寒い国から帰ってきたスパイ
『寒い国から帰ってきたスパイ』ジョン・ル・カレ(ハヤカワ文庫NV)

薄汚れた壁で東西に引き裂かれたベルリン。リーマスは再びこの街を訪れた。任務失敗のため英国諜報部を追われた彼は、東側に多額の報酬を保証され、情報提供を承諾したのだ。だがすべては東ドイツ諜報部副長官ムントの失脚を計する英国の策謀だった。執拗な尋問の中で、リーマスはムントを裏切者に仕立て上げていく。行手に潜む陥穽をその時は知るよしもなかった……。英米の最優秀ミステリ賞を独占したスパイ小説の金字塔(本書あらすじより)

ついに読みましたよ巨匠の名作を。スパイ小説と言えば『寒い国から帰ってきたスパイ』、スパイ小説作家といえばジョン・ル・カレなのです。読む前までてっきりジョージ・スマイリーが主役なのかと思っていたのに、いざ読んでみたら端役だったのでビックリでした。そもそも「寒い国」をソ連のことだと思っていたのに違ったし……。
久々にぐうの音も出ない傑作を読みました。いやーこれは確かにスパイ小説の金字塔でしょう。「スパイ小説」「エスピオナージュ」というジャンルそのものを変えた作品だったのではないでしょうか。トールサイズ370ページほどの中で東西冷戦がぎゅっと圧縮され、隙のないプロットに乗せて個人と国家を見事に対比した職人技が光る傑作。晴らしかったです。イアン・フレミングとは対極の観点から「スパイ」という職業をとことん描いた作品です。

ちょうど先月、007を読んだところだったじゃないですか。あちらが夢と冒険のスパイ小説だとすれば、こちらは現実と非情のスパイ小説。主人公であるアレック・リーマスは、ヒーローでも何でもない、ロンドンに、さらには冷戦という世界の構図そのものに翻弄されるだけの悲しき一スパイに過ぎないのです。
ある意味それだけの話を、延々と続く裏切ったスパイの尋問シーンだけで作るので、退屈になりそうなもんなのに全くそうならないのがすごいのです。策略が上手くいくかというギリギリの緊迫感と、その中で作者が仕掛けるどんでん返しがラストで炸裂し、さらに作品のテーマが一気に浮かび上がるというわけ。単にどんでん返しがあるだけではこうも名作として評価されることはなかったでしょう。「スパイ」という、国家に属する個人を描き切り、あのようなラストシーンに到達したからこそ、ここまで名作になったのです。うまい、うますぎる。

というわけで今更感のある感想ですが、やはり読めて良かったです。東西ミステリーベスト100から漏れたのが意外なんですよねー。1985年版は33位だったのに。

原 題:The Spy Who Came in from the Cold(1963)
書 名:寒い国から帰ってきたスパイ
著 者:ジョン・ル・カレ John le Carré
訳 者:宇野利泰
出版社:早川書房
     ハヤカワ文庫NV 174
出版年:1978.05.31 1刷
     2015.01.25 36刷

評価★★★★★
バサジャウンの影
『バサジャウンの影』ドロレス・レドンド(ハヤカワ・ミステリ)

スペイン、バスク地方のバスタン渓谷で、連続少女殺しが発生する。絞殺された少女たちは森の中で、裸身を晒して仰向けに横たわるポーズをとらされていた。州警察は地元出身の女性捜査官アマイアに捜査主任を命じる。迅速に捜査を進めるべく奮戦するアマイアだが、故郷に戻ったことで否応なしに、捨てたはずの自分の過去に直面し、公私ともに追い込まれてゆく。さらに死体発見現場では、バスク神話の精霊である大男バサジャウンの姿が目撃されていた……歴史と伝説に彩られた秘境を舞台に展開する、大型サスペンス。(本書あらすじより)

最近週1更新が板についてきました。こ、このペースだけは維持したいぞ。
さて今年のポケミスですが、スペイン版ピエール・ルメートルみたいな作品でした。どんでん返し的な意味ではなく、捜査官の親族が巻き込まれてしまうサイコ・サスペンスという意味で。それに加えてバサジャウンというスペインの伝説が関係する……というものです。
読む前は非常に面白そうだなと思ったのですが、う、うーん、これは久々に覇気のないポケミスを読んだなというか……。やりたいことを色々詰め込んだのは評価しますが、やるならちゃんと書いてほしいなというのが正直な気持ちです。

奇妙な状態で死体を残す少女連続殺人犯。死体はバスタン渓谷で発見されていた。女性捜査官アマイアはバスタン渓谷出身で地元に明るかったため、捜査主任として地元に舞い戻ることに。しかし故郷の家族内での軋轢、部下の刑事の不審な行動など問題が多発する一方で、次々と殺人は起き続け……。

この地方で目撃されるはずのない熊のような動物の痕跡が現場で発見されたことから、犯人はバサジャウン(雪男のような伝説上の怪物で森の守護者)ではないか?という話が序盤からちらほらと出ているのですが、主役のアマンダがそんなことはあり得ないとバッサリ切り捨てます。
……いや、それはいいんですよ。警察官がまともに伝説を扱ったら話が進みません。ただ、「バサジャウン」の出し方が物語全体を通じて雑というか。とりあえず伝説仕込んでみました、あとはまぁラストでね?みたいな。やるからには適当に出すのではなく、もっと存在を強調して欲しいのです。

で、物語の主軸はアマンダの家族内の問題、およびアマンダの部下の問題に収束していきます。連続殺人事件の被害者の家族などは、ちらっと登場しますが影が薄いです。登場人物がどいつもこいつも自己中なので非常につらい……。主人公のアマンダ含めて自己中なので、それはもうつらいのです。
人物描写について言えば、1ページだけ脇役の捜査官視点の家庭シーン入れるみたいな、意味のない視点変更も気になるっちゃ気になります。連続殺人を相手にしている捜査官が息抜きにピクニックに行っちゃうあたりはスペインまじ偉いと思いましたが、実際どうなんでしょう。

で、当然内輪の問題が殺人にも絡んでくるのですが、そこのミステリとしてのどんでん返しっぷりも甘いし、終わらせ方も慌ただしく感じました。いちおうミスリーディングもあって、もしこの通りに終わったら作者ぶっ飛ばしてやるぞと思っていたらさすがにそこまで単純ではなかったんですが、かといって意外かというとそんなこともないし。全然読者の期待と想像を超えてこないのです。

というわけで、凡庸なスリラーだったなという感想。別に読んでいてつまらないと感じるほどではないですが、面白いかと言うとそうでもないという……。3部作らしいですが、読むか迷うなぁ。
ちなみに翻訳ですが、「~じゃ」みたいな口調を最近のミステリで久々に見ました。全体的に大人向けというより児童向けの翻訳っぽさを感じたのですが、気のせいかな?

原 題:El guardián invisible(2013)
書 名:バサジャウンの影
著 者:ドロレス・レドンド Dolores Redondo
訳 者:白川貴子
出版社:早川書房
     ハヤカワ・ミステリ 1914
出版年: 2016.12.15 1刷

評価★★☆☆☆
紳士と猟犬
『紳士と猟犬』M・J・カーター(ハヤカワ・ミステリ文庫)

イギリスの支配下にある19世紀インド。上官に呼び出された軍人エイヴリーは、奥地で姿を消した詩人の行方を捜すよう命じられる。この任務に同行するのは“ブラッドハウンド”と呼ばれる謎の男ブレイク。反りが合わないながらも旅に出たふたりを大いなる陰謀と冒険が待ち受ける! 密林の中にひそむのは、虎か!象か!盗賊か! アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞&英国推理作家協会新人賞W候補の歴史ミステリ。(本書あらすじより)

いやー面白かったです。歴史ミステリの良作でしょう。550ページありますが、展開が必要十分なので長く感じません。

舞台は19世紀前半のインド。大英帝国が東インド会社を使ってインドの植民地化を進めている最中です。ムガル帝国や藩王国がまだまだ勢力を保ってはいるものの、東インド会社の力の強まりは否定できない、というくらいの時代。
主人公エイヴリーは、夢を抱いてインドに来たものの、出世の道も特になく、賭け事で借金もたまり、というがんじがらめの状態。現地人に対する偏見は丸出しで、東インド会社は絶対に正しい、西洋>>東洋、早くイギリスに帰りたいと願う、という、まぁどうしようもない人物です。こいつが語り手なので、ある意味終始不快な作品ではあります。
その彼が行動を共にさせられるのが、東インド会社のはぐれもの、ブレイクです。ほぼ現地人と同化した生活を送るブレイクが人探しの調査を命じられ、エイヴリーはそれに同行することになります。ケンカしあいつつ旅を進めて行くうちに、やがてエイヴリーはインドの、そして東インド会社の真実を知るのですが……。

語り手エイヴリーがとにかく西洋人意識丸出しの人間なのですが、かなり頑固で最後の方までなかなかデレないのが安易じゃなくて良いですね。徹底して、美化することなく、19世紀の西洋人の見方を描いていることに、一周回って好感が持てます。当然最終的にはエイヴリーとブレイクは友情で結ばれるわけですが、バディ物としてもきっちり仕上がっていると思います。
またロードノベル&冒険小説、といった趣の内容で、ひたすら現地の都市を巡ったり東インド会社や藩の支配者に会うだけなのですが、その中できちんとミステリをしているのも優秀です。姿をくらませた小説家は実際どのような人物で何を企んでいたのか? 東インド会社の支配に隠されたとある陰謀とは? 退屈に陥りがちな調査パートを当時のインド描写と結びつけることで、適度な緊張感を保ちつつ話が進行します。
そしてその陰謀が明かされた瞬間の衝撃も素晴らしいのです。そこに至るまでの不穏感を一気に説明する明快などんでん返しであり、またその決着も歴史ミステリらしいというか。著者あとがきを読んで、『時の娘』のラストを読んだときの気持ちを思い出しました。

手堅くまとまった歴史ミステリですので、興味がある方はぜひ。単に過去を舞台にしただとか、歴史を取り扱っただけの歴史ミステリとは一線を画する良い作品です。

原 題:The Strangler Vine(2014)
書 名:紳士と猟犬
著 者:M・J・カーター M.J. Carter
訳 者:高山真由美
出版社:早川書房
     ハヤカワ・ミステリ文庫 448-1
出版年:2017.03.15 1刷

評価★★★★☆
ラスキン・テラスの亡霊
『ラスキン・テラスの亡霊』ハリー・カーマイケル(論創海外ミステリ)

不幸な事故か? それとも巧妙な殺人か? 謎めいた服毒死から始まる悲劇の連鎖に翻弄されるクイン&パイパーの名コンビ。ハリー・カーマイケル、待望の長編邦訳第2弾!(本書あらすじより)

おととし『リモート・コントロール』で地味of地味英国ミステリ in 1950-70sの神髄、みたいな登場をしたハリー・カーマイケル。待望の邦訳2作目です。『リモート・コントロール』は1970年の作品で大きめのトリックが仕掛けられた円熟期の作品、という感じでしたが、今回はなんとシリーズ3作目にあたります。
トリックや話の内容上仕方がないとはいえ『リモート・コントロール』みたいなキレはないし、初期作らしく説明がバタバタしていて詰め込んでいる割にややぐだっているし、とアラばっかり目立つのですが、やはり嫌いではありません。こういうのに弱いんだよなぁ……地味だけど……。

スリラー作家クリストファー・ペインの妻エスターが毒物の摂取により死亡します。自殺かと思われましたが、エスターはかなりの悪女だったようで、周囲には浮気が入り乱れ、エスターを憎む人物ばかり。パイパーが調査をしていくと事件は新たな局面を迎えるのですが……。

『リモート・コントロール』は陰鬱で捻くれ野郎の新聞記者クィンによる鬱屈した文章が魅力的でしたが、今回の視点人物であるバイパーは全然毛色が異なり、感傷的な保険会社調査員です。『リモート・コントロール』と読み比べてみると、バイパーから見たクィンの印象が大きく違うため面白いかもしれません。ただクィンの一人称がとにかく陰鬱でクセがあった『リモート・コントロール』とは異なり、今回はコンビ物としてだいぶ正統派なので全体的におとなしいです。容疑者の一人に好意を持ってしまうちょっとロマンティックな調査員と、口の悪い新聞記者の相棒、という。
エキセントリックな作家、美人すぎる受付嬢、浮気する医者……と恋愛関係愛憎関係入り乱れた登場人物鉄壁の布陣です。容疑者数としてはかなり少なくいろいろと詰め込むことで話をしっかり作ろうとしているのですが、ある程度は主人公のインタビュー巡業に留まってしまっており、やや中だるみ気味なのがもったいないです。

また本格ミステリとしてですが、結末のインパクトは悪くないだけに、見せ方や持っていき方がもったいないなぁと思いました。色々とうっちゃったままエンディングを迎えたような気がして居心地が悪いのです。もっと絞ってまとめた方が格段に面白くなると思いますが、3作目ということで色々要素を入れたかったんでしょうね。「ラスキン・テラスの亡霊=被害者エスター・ペイン」というテーマ自体は悪くなかったので、これをもっと強調して軸にしてもよかったのかな。

というわけで高評価は与えられないのですが、やはりハリー・カーマイケル、どこか期待してしまう作家です。ディヴァインと似ているようで、また違うタイプの英国本格ミステリですね。邦訳3作目に期待したいところです。

原 題:Deadly Night-Cap(1953)
書 名:ラスキン・テラスの亡霊
著 者:ハリー・カーマイケル Harry Carmichael
訳 者:板垣節子
出版社:論創社
     論創海外ミステリ 188
出版年:2017.02.28 初版

評価★★★☆☆
火の玉イモジェーヌ
『火の玉イモジェーヌ』シャルル・エクスブライヤ(ハヤカワ・ミステリ)

イモジェーヌ・マッカーサリー─しっかりとした骨格と、男のような態度と、赤毛の人間特有の白い皮膚をもった身長5フィート10インチの大女。ほんのわずかでも不恰好な肉がつかないように注意し、少しでも無駄な脂肪を見つけると、毎朝夢中になって体操するイモジェーヌは、女には珍しいほどの力持ちである。生粋のスコットランド人で、炎のような髪の持主イモジェーヌは曲ったことは大嫌いなたちで、その髪に似て猪突猛進型の大女だった。おまけに、スコットランド人以外は人間と思わないほど、母国スコットランドに対する情熱ははげしく、同僚からは、〈赤い牡牛〉と恐れられていた。同僚というのは海軍省情報局の人たちである。イモジェーヌは、そこのタイピストだったが、あろうことか、彼女の特異な性格が局長の目にとまり、女スパイに抜擢された! 局長はとくにイモジェーヌを名指し、新型ジェット機に関する極秘書類をある人物に運んでほしいと頼んだのだ。かくして大女のイモジェーヌはいたく感激、まっ赤な髪をふりかざし、女スパイとして堂々と乗り出すことになったのである……!
数々の失敗を重ねながら、イモジェーヌ、奇想天外の大活躍! フランス・ミステリ界の鬼才が放つ、女スパイ、イモジェーヌ・マッカーサリー・シリーズ第1弾!(本書あらすじより)

別につまらないってことはないんですが、エクスブライヤの他の作品と比べるとちょっとなぁ……という感じの作品でした。
『火の玉イモジェーヌ』は女スパイ、イモジェーヌ・マッカーサリー・シリーズの第一弾。只のタイピストだったイモジェーヌがスパイに大抜擢、しかしあっさり騙され勘違いで暴走するイモジェーヌはとんでもない活躍を見せることに……というお話です。

エクスブライヤって、ユーモア路線だとフランス外の国を舞台にすることが多いじゃないですか。『死体をどうぞ』はイタリア、『キャンティとコカコーラ』はイタリアとアメリカ、というように。で、特に『キャンティとコカコーラ』で顕著でしたが、舞台となるお国柄を強調した国民性ジョークが好きなようです。いちいち大げさでラテン気質丸出しなロメオ・タルキーニ警部とか。
今回の舞台はイギリス、主役のイモジェーヌはスコットランド気質丸出し、田舎感丸出しの強気な女性です。当然スコットランドとイングランドのお国柄の違いなんかをガンガン出したジョークが連発されるわけですよね。ところがそれが若干すべっているというか……。

まぁ何もかも予想通りに展開するユーモアスパイ小説……というかここまで来るとスパイパロディなのですが、後半のレディ・キラーズ並に敵を返り討ちにしていくイモジェーヌ(50歳の強気な赤毛のスコットランドおばさん)の活躍はなかなか楽しめました。どんどこ殺します(イモジェーヌが)。全然意外でも何でもないどんでん返しもありますが、この予定調和感も悪くはありません。

とはいえやっぱり、ユーモアミステリのド傑作『死体をどうぞ』や傑作ノワール本格『パコを憶えているか』、軽さが楽しい『キャンティとコカコーラ』と比べるとどうしても弱いかなぁ。初エクスブライヤには向かないと思います。

原 題:Ne vous fâchez pas, Imogène !(1959)
書 名:火の玉イモジェーヌ
著 者:シャルル・エクスブライヤ Charles Exbrayat
訳 者:荒川比呂志
出版社:早川書房
     ハヤカワ・ミステリ 1003
出版年:1967.09.30 1刷

評価★★★☆☆