モルグ街の殺人事件
『黒猫・モルグ街の殺人事件 他五篇』ポオ(岩波文庫)

サークルの企画用で読みました。ちょっと感想文載せるのが遅れましたが。
ポーの短編の中で、犯罪を扱った物を集めた短編集……なんだと思います。デュパン物3つを同時収録というのは良いですね。しかし、なぜポーの推理小説を5つ同時収録した短編集がどこにもないんでしょうか。うぅむ。(※)

(※)と思っていたら、こないだ手に入れた中公文庫に全部入ってました。素晴らしい組み合わせ。


自分は、まぁ何と言うか、ホラーっぽい話は好きじゃないんですが、ポーに限っては大丈夫のようです。
後書きに、ポーの生涯・彼が何を書こうとしていたのか、が書かれています。大変面白いですね。ポーがいかにダメな人物か、アンド美的感覚に優れた天才だったかが分かります。
特に良かったのは「黒猫」と「盗まれた手紙」でしょうか。以下、ちょっと長くなりすぎましたが、各短編の感想です。

「黒猫」(1843)
「私」が、自分が犯したある犯罪が、なぜ暴かれたかを説明する……。

読み直すのは小学1年生の時以来ですかねぇ。あの時は泣くほどびびって、それ以来ある意味トラウマになってた、大変思い出深い作品です。ちなみに同じ巻(『世界なんとか全集第○巻』みたいゆつ)に入ってたドイル「まだらの紐」も同様の扱いでした(笑)
これはやはり傑作でしょうね。ポーの持ち味が最大限に生かされていると思います。合理的なホラーを描いた犯罪小説……とでも言ったらいいのか。

「ウィリアム・ウィルソン」(1839)
「私」ウィリアム・ウィルソン(仮名)の身に起きた、ある恐ろしい体験の話。

後半以降の盛り上がり・高まる不安が素晴らしい。いわゆるド○○○○○○○(別に伏せ字にするほどのもんでもないか?)を扱った作品ですが、非常に冷静に描かれているのが特徴。Wikipediaの考察が面白いですね(特に主人公の名前のくだり)。

「裏切る心臓」(1843)
私を気が狂ってるとお考えのあなた、そんなことはありません。私がいかにある犯罪を冷静にやり遂げたかをお話ししましょう……。

自分は狂人じゃないとやたらに主張する、どう考えても狂人の男の話。これ、今年の前期の英語の授業で、原文を読んだばっかりなんですよね……。原題は「Tell-Tale Heart」です。オチの付け方とかが、全然違うんですが「黒猫」と似てますね。というかこの短編集は似たような話ばっかりだけど。
良く出来た作品だとは思いますが、まあオチを知ってたし、こういう、いわゆる頭のちょっとアレな人の一人称というのは、あんまり好きになれませんね。例えば、ウィルキー・コリンズの傑作『月長石』では狂信家のおばはんの手記があって、あれは当時めちゃめちゃ話題になったようですが、自分はちょっとついていけませんでした。ってあんまり関係ないか。

「天邪鬼」(1845)
人間の心に潜む「天邪鬼」がいかに人間を支配しているか、という前置きのもと、「私」が自分の犯した犯罪について語る話。

前半の記述がやや難解。アイデアは面白いとは思いますが、後半のあの短さでは書き切れていないように思います。

「モルグ街の殺人事件」(1841)
「私」の友人、オーギュスト・デュパンが解決した、ある密室事件についてのお話。

デュパン物は、高1の時に全部読みました。で、あの時「モルグ街」を読んで、オチを知った時に、「ざけんなエドガー!」みたいな気持ちで、壁に本をぶん投げようとすら思いました(笑)予備校時代の世界史の先生が、今まで読んだミステリの中で一番ふざけてたのが「モルグ街」と『オリエント急行の殺人』だと言ってましたね。TYは『オリエント』は大っ好きですが。
ところが今回読み直してみると、非常に良く出来た推理小説であることに驚きました。確かに犯人こそポーの大好きな、そら見ろビックリ、的な感じではありますが、それを割り出すまでのデュパンの推理というのが論理的なことこの上ないです。いくらかフェアプレイを意識した風もあるんですよね。ちょっと感心。
冒頭のデュパンが「私」の考えを当てる場面は、ドイルが「ボール箱」(自分はもしかして「入院患者」で読んだ可能性があるけど)でそっくりそのまま真似しています。ドイル自身もこれを気に入っていたようですし。『緋色の研究』か何かで、ホームズはデュパンのこのやり方を批判してはいますが(笑)何にせよ、このくだりは、「モルグ街」の中である意味最もミステリしているとも言えます。

「マリー・ロジェエの迷宮事件」(1842-1843)
マリー・ロジェエ殺しについて、デュパンは新聞記事から推理を試みる。

「モルグ街」が最初の推理小説&密室ミステリなら、「マリー・ロジェエ」は最初の安楽椅子探偵物でしょう。ぶっちゃけつまんないですが。
なぜこんなにダラダラとしてつまんないのかと言うと、まぁこれは有名な話ですが、実際にニューヨークで起きたメアリー・ロジャーズ殺しが未解決のままになっているのを見たポーが、よっしゃ、俺は新聞記事からこいつを推理してやるぜ、と、舞台こそフランスですが事件も新聞記事も被害者の名前も何もかもそっくりに書いたののがこれなんです。大した意欲作になるはずだったのです。ところが、たぶん最初から3回の連載のつもりだったんだと思いますが、連載1回目の後に、急に犯人&真相(しかも結構ビックリな内容)が分かっちゃって、それがポーの想定していた真相とは全然別だったわけですね。しかし連載1回目にいくらか伏線を張ってしまった以上、何とか収拾をつけないかんというわけで、ポーは2回目と3回目でかなり頑張りますが、まぁ無茶苦茶に終わったらしいです。で、書籍化される際に、大幅に手を入れたものが、今私達が読めるバージョンなわけです。
つまり、結局かなり苦しくなっちゃうし、リアルタイムでメアリー・ロジャーズ殺しを知らない私達には大して興味がわかないんですよね。ま、しょうがない。

「盗まれた手紙」(1845)
デュパン、盗まれた手紙のありかを推理する。

デュパン物の中で断トツに面白いとされる作品で、自分もその通りだと思います。トリックが盲点を突くようななかなかの出来であり、ユーモアも効いてて、キャラクター小説としても読めるし、長さも調度良い感じ。後世このトリックは、手を変え品を変え使われますが、本家の完成度はかなり高いと思います。
当時のフランス警察の警視総監って、こんなに前線で働いたのかな?(笑)



以上長くなりましたが、「天邪鬼」と「マリー・ロジェエ」以外は水準以上かな(「モルグ街」は、ミステリに興味のある人じゃないとつまんないかも)。実はまだ「黄金虫」「お前が犯人だ」が未読という情けない状況です。早いとこ読まないとなぁ。

書 名:黒猫・モルグ街の殺人事件 他五篇(1839~1945)
著 者:エドガー・アラン・ポオ
出版社:岩波書店
    岩波文庫 赤306-1
出版年:1978.12.18 1刷
    2004.12.3 36刷

評価★★★★☆


追記に、もはや完全に趣味の領域ですが、読書会でも話題になった、「ポーはどれだけ意識的に『推理小説』を書いたのか?」という軽い考察をしてみました。と言っても、文献あさったりポーの伝記や手紙を読んだりして書いたわけじゃないので、あまり真面目に読まないで下さい。専門家の方がうっかりこれを見ても怒ったりしないで下さいな。
さて、お題は「ポーはどれだけ意識的に『推理小説』を書いたのか?」です。一般に、ポーは史上初めて「推理小説」を書いた人とされています。もちろんそれでいいんですが、それはあくまで後世から見た「推理小説の祖」であって、もしかするとポー自身はそんな気はさらさらなく、単に推理を書きたいだけだったのかもしれないわけです。

という問いを発すると、「おいこら、推理を書くのが推理小説でいいだろーが」と言われてしまうのでめんどくさいんですが。つまり、単に「推理」を書くのは「推理小説」と言って良いのでしょうか。しかしそう定義してしまうと、例えば『旧約聖書』『アエネイス』『歴史』に含まれる短編も、確かに「小説」かと言われるとやや微妙ですが、間違いなく「推理」を描いているわけです。19世紀に至るまでに「推理」を描いた小説は、それこそ無数にあるでしょう。それでは定義としては曖昧です。

で、よく言われるのが「探偵の論理的な推理」を描く、というものですが、これもちょっといただけません。そういう作品が過去にあったかと言うより、むしろ後世に問題が生じます。例えば、果たしてホームズの推理は毎回「論理的な推理」なんでしょうか?目の前の証拠を繋げて必然的な推理を導き出すなら、そりゃあ論理的でしょうが、目の前の証拠から、あるストーリーを作れることを探偵が思い付いた、みたいなのは論理的でしょうか?

というわけで、話が全然進まないんですが、とりあえず何か定義が必要です。そこで、極めて狭義のミステリの話に持っていくために、「探偵小説」という単語で考えることにします。ここでホームズを「探偵小説」の典型だと仮定します(話がやや強引ですが、気にしないことです)。ホームズの「探偵小説」の特徴とは何でしょうか。
1つは、やはり探偵が謎を解く、ということです。これは、まぁ良いでしょう。
もう1つ、かなりいきなりですが、「ある探偵の物語である」という点を強調したいと思います。結局のところ、ホームズを読みたい人にとって、主人公はホームズでなくてはいけないのです。「探偵」小説である以上、探偵は個性を持った探偵としてしっかり活躍しなくてはいけません。感情のない空気探偵が、事件の説明の後、地の文みたいな口調で謎を解明するのではやはりダメではないでしょうか。だからこそ、ディケンズの『荒涼館』やコリンズの『月長石』は、確かに探偵小説に入れてもいいけど、何か違う気もするんだよなぁ、みたいな感じを抱くわけです。

というわけで、いささかじゃなく強引ですが、「探偵小説」の定義をここで上の2点とします。ポー以降のミステリ作家は、ポーを読んだことで、間違いなくこれを意識して書いていたはずです。では、ポー自身は意識していたのでしょうか?


まず「モルグ街の殺人事件」ですが、これに関しては当てはまらない気がします。ポーがこの作品を書いた理由はただ1点、「論理的思考により謎を解決する物語」を書きたい、ということにあったように思います。こういえる理由の1つが、「モルグ街」冒頭の、デュパンが「私」の思考を読むシーンです。おそらくこれを思い付いたポーは有頂天になったことでしょうね。何考えているか分からない相手の思考という「謎」を、純粋に推理で解けるという大発見です。そしてひょっとすると、これは殺人のアイデアより先に思い付いたのではないでしょうか。モルグ街の殺人を解決する探偵が「私」ではない理由、つまりワトソンを置いた理由がここにあります。ポーはこの物語を書く上で、「思考を読まれてビックリな私」を必要としたのです。
この話の主眼が推理そのものにあるならば、探偵の個性は正直なところ全く必要がありません。別にマシーンだって良いんです。故に、オーギュスト・デュパンにはほとんど個性がありません。単なるポーの代弁者といった感じ。もちろん論理性を重んじるポーとしては、主人公がただのプー太郎ではいかんわけで、でも警察とのコネがあるくらいの方が話を進めやすいよなぁ、というわけで、没落貴族、みたいな取って付けた様な設定が付けられたのです。大体デュパンが本職の探偵でないところからして、探偵本人を書く気が大してないように思われます。ポーが自身の小説を「推理物語」と読んでいるんだから、これはもう決定的です。
結論。ポー自身に「探偵小説」を書いてるという自覚はなく、彼は単に名推理を書きたかった。


では「マリー・ロジェエの迷宮事件」はどうでしょうか。
「モルグ街」を書いた動機が推理を書きたかったから、なのだとしたら、「マリー・ロジェエ」を書いた動機は一目瞭然、「メアリー・ロジャーズ殺し」をポーが解決したかったからです。よっしゃ、俺が解いたるで、と意気込んだポーはふと気付きます。そーいや2年くらい前に、とりあえず謎解くの得意なやつが主人公の話を作ったなぁ、よし、もう一回あいつを使おう、ニューヨーク舞台はちょっと露骨だから、パリくらいの方が調度良いしね、推理書きたいのは同じだし、大体新しく主人公考えるのも面倒くさいし。
メアリー・ロジャーズが死ぬまで、続編を書こうとしなかったことが、ポーが「モルグ街」を単なる1作品に過ぎない、つまりアイデアメインであり、探偵はどうでもよろし、と思っていた証拠になると思います。が、まぁそれはそれとして、今回デュパンが起用されたのは、以上のような消極的な理由だったのではないでしょうか。やはり今回も「探偵」を書く気はあまりなかったのです。
この作品では、事件解決に対し、デュパンが警察から金品をもらっています。「探偵」を書く意識の現れだと見られないこともありませんが、それにしてはやはりデュパンは没個性的です。「モルグ街」以上に論理しか書いていません。報酬の話は大して深い意味のない軽い肉付け、もしくは、前回の事件から数年経ったという設定を作った以上、いくら没落貴族でも現金収入くらい欲しいよなぁ、と思ったからだと思います。


さて、「盗まれた手紙」ですが、これが前の2つとは大きく違うことに気付きませんか。
1つには、警視総監がデュパンを訪れ、捜査の協力を願う、という形が、まさに探偵そのものであるということです。「マリー・ロジェエ」もそうですが、あの場合は事件の説明を、総監ではなく「私」が地の文でやったことがマイナスです。「盗まれた手紙」の方が、より「依頼者」らしいわけですね。最後に、デュパンの方から報酬の件を確かめたり請求している点にも注目。
次に、警視総監が訪れた際に、デュパンが暗闇がいい、なんて自分のキャラクターを印象付ける様な発言をすることです。いや、それだけではなく、彼自ら現場に乗り込んで容疑者と語ったり、人を雇って芝居をしたり、最後には自分の過去を話したりまでするのです。突然、キャラ付けを意識し始めたように思えませんか。
さらに、警視総監のキャラクターも強調されます。今まで大して意味のなかった「私」は、警視総監に茶々を入れたり、質問をしたりしています。容疑者のキャラ付けもしっかりしています。
加えて最後のオチ。いきなりデュパンが親しみやすい人間になったと思いませんか?

そう、これは明らかに、今までの2作品とは異なり、「探偵」を描いた作品なのです。この作品を書いた動機は分かりませんが、現実の事件が起きるまで書かなかった「マリー・ロジェエ」とは違い、積極的な理由だったのではないかと思います。間違いなく、「盗まれた手紙」は、ポーが意識的に書いた「探偵小説」だったと言えるのです。そしてだからこそ、この3つの中で、探偵小説が好きな現代人が一番面白く読めるのではないでしょうか。「盗まれた手紙」を書いて初めて、ポーはミステリ作家となったのです。


ところでなぜ3つしか書かなかったのかということですが、単にネタが尽きたためではないかと思います。締め切りに追われるドイルとは異なり、ポーは別にムリヤリ推理小説を書く必要はないわけで、密室・暗号・入れ替わり(「マリー・ロジェエ」中に出てくる新聞の推理として)・盲点とやれば、もう十分でしょう。きっと、ドイルの数倍論理を好んだポーとしては、探偵がはいつくばって足跡を探すなんて考えもつなかったのかもしれません。



というわけで長い長い考察でした。原稿用紙8枚分くらいあるんじゃないですか。高1の夏の読書感想文はこれにしたらよかったのかなぁ。
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