拾った女
『拾った女』チャールズ・ウィルフォード(扶桑社ミステリー)

サンフランシスコ、夜。小柄でブロンドの美しい女がカフェに入ってきた。コーヒーを飲んだあと、自分は文無しのうえハンドバッグをどこかでなくしたという。店で働くハリーは、ヘレンと名乗る酔いどれの女を連れ出し、街のホテルに泊まらせてやる。翌日、金を返しにやって来たヘレンと再会したハリーは、衝動的に仕事をやめヘレンと夜の街へ。そのまま同棲を始めた二人だったが、彼らの胸中に常につきまとっていたのは、死への抗いがたい誘いだった。巨匠初期の傑作、遂に登場!(本書あらすじより)

刊行当初から話題になり、各種ランキングに怒涛の勢いで割り込んでいった、去年話題の『拾った女』です。まさか2010年代の日本でパルプ・ノワールが評価されまくるとはチャールズ・ウィルフォードも考えていなかったろう……と思ったけど、よく考えたらジム・トンプスン『ポップ1280』なんてこのミス1位取っているわけだし。何にせよ、扶桑社ミステリーから久々にこの路線の作品がガツンと紹介され(そもそもほぼ扶桑社のみから出ているウィルフォードの紹介自体が久々ですし)、きちんと話題になったというのは嬉しいことですね。

というわけで今さら読んでみましたが、あーだから話題になったのか!と納得しました。『ポップ1280』みたいな正統派ノワールとは全然違いますし、はっきり言ってどえらい変化球なのです。合う合わない、面白い面白くないはともかく、とりあえず読んでみぃよ、とすすめてみたい気持ちになります。めっちゃ読みやすいし。

主人公のハリーは、レストランのコックなどでほぼその日暮らしを送る下層階級の人間です。そんな彼がびっくりするほどの美人だがアル中であるヘレンと出会い、衝動的に仕事をやめ彼女との生活が始まるのですが……。

ノワールと聞かされてこの一人称の文章を読み始めたら、たいていの読者が思う話の筋道は大きく2パターンでしょう。すなわち、
①主人公の男が実はとんでもないサイコ野郎で、女が悲惨な目に会う
②女がとんでもない悪女(ファム・ファタール)で、主人公が悲惨な目に会う
どっちかと言えばこれは②の系統なのですが、ちょっとだけ①も入っており、しかもどちらでもない、というのがこの作品の正体です。主人公ハリーがひたすら刹那的・衝動的に生き、自殺願望すらあり、ちょっと叙述もフワフワしているのでいかにも①っぽいのですが、そこまでヤバそうにも見えません。またアル中にしてハリーに生き方を誤らせた女ヘレンも、まぁ迷惑をかけまくっていてどうかと思いますが、少なくとも自覚的な悪女ではありません。

というわけで、明確な悪意もないまま、何となく二人は破滅へ向かい、そして一応事件が起き、決着、となるのですが、またこれがモヤモヤする決着のつき方なんですよね。何も満たされず、何も為しえなかった男の話。
……と思っていると、どんでん返しが炸裂します。

258ページで発覚するある事実とか精神病院とかから、一人称ならではのエグいオチでも来るのかと思ったら、そういうのとは方向性が全然違いました。しかし確かに読後ガラッと様相が変わるのです。例えばセリフ全ての意味が変わりますし、この話全体によく登場するある要素の意味(例えば家主のフランシス・マッケイドや、それを言うならサンフランシスコという舞台もそう)も分かります。なるほど話題になるわけだよなー。
実は類似作品がありまして、しかもそれを去年読んでいたので、いやほんと良かったなという感じです。某作の方が伏線がうまいけど、この作品の方がエグさが強いかな? 隠し方的には、某作が先の方が両方楽しめる……かも。発表年を考えると……うーんすごい。ちなみに某国の某作も、このトリックを下敷きにしたオチでしたが、それも発表年があれでしたね(ネタバレを警戒しすぎて何も言えない)。

と自分は結構感心したのですが、読んだ友人は何に驚けばいいのか分からなかったそうです。
でも、これはある意味21世紀日本では当然のことです。1955年という背景を考えないとピンと来ないでしょうし、説明されては楽しみも半減してしまうでしょう。これだけ去年話題になったのにはちょっとビックリです。教養って大事だねぇ。

原 題:Pick-Up(1955)
書 名:拾った女
著 者:チャールズ・ウィルフォード Charles Willeford
訳 者:浜野アキオ
出版社:扶桑社
     扶桑社ミステリー ウ-3-6
出版年:2016.07.10 1刷

評価★★★★☆
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