パールストリートのクレイジー女たち
『パールストリートのクレイジー女たち』トレヴェニアン(ホーム社)

1936年、六歳のぼくは、母と妹のアン・マリーと、オールバニーのパールストリートに越してきた。長く不在だった父と暮らすために。しかし約束の日、父は現れなかった。そしてその日から、見知らぬスラム、パールストリートでの三人の生活がはじまる。六歳にして、病弱でエキセントリックな母の片腕となった「ぼく」の目を通して、スラムの人々の暮らしや、当時のラジオ、音楽、遊びなどのアメリカ文化、また市民が体験した第二次世界大戦を色濃く言葉に映した、ベストセラー作家の最後の長編小説。(本書あらすじより)

あのトレヴェニアンの最後の長編を、あの江國香織が訳したというので話題になった作品です。版元はホーム社……し、知らない……(ごめんなさい)。2005年にトレヴェニアンは亡くなってしまったのですが、その亡くなる数か月前に出版されたようです。
まず言っておくと、全くミステリ要素はありません。自伝的小説で、大戦間のアメリカ貧民街の生活が市民の目線から描かれます。風俗小説として、そして妄想力豊かな少年の成長譚としてじっくり面白い……のですが、9割暮らしを描いているだけなので、それだけと言ってしまえばそれだけ。嫌いじゃないんですけど、ストーリー性がもう少し欲しかったかもしれません。

主人公のジャン・リュックは6歳の時、父親が出て行った家族の中で、強烈な個性を持つ母親と、弱気な妹と共に、パールストリートでの暮らしを始めます。クレイジーな女に満ち満ちているパールストリートで、彼は彼女たちと関わりながら貧しい暮らしを送っていくことになります。
父親不在の中、一家を支えようと思う一方で、こんなところから抜け出して自由な世界に出て行きたいと思うジャン・リュックの葛藤が非常に胸に迫ります。……という主人公の成長譚としての側面もあるにはありますが、このへんが強調されるのはほぼ終盤で、基本は街の暮らしと住人の様子を描くことがメインでしょうね。

ラジオが導入されて家庭はどうなったか、動かない夫と共に引きこもり過去の世界に生きるクレイジーな女との出会い、初恋とも言える体験、などなど、各章で少年時代のジャン・リュックとパールストリートが登場します。いやもう個々の章を抜き出すととっても面白いんですが、長編というより中編の集合体っぽい構成ということもあり(章のつながりがあんまりないのです)、ちょっと長いというか冗長に感じました。
で、基本的に章ごとがほぼ独立しているのに、終盤になって唐突に主人公たちの新たな旅立ちが出てくるなどいきなりストーリー性が増してくるんですよ。おまけにその結末もかなりつらいもの。なんといっても主人公の母親がもう本当にめんどくさくて嫌な人で、後半に入ると特にきつくて色々としんどいのでなおさらラストがつらいことに。バッドエンドというより、貧しい一家の行きつく先とは?くらいのものなので読めることは読めますが、いきなりこういう話になっちゃうの、みたいな違和感があります。

とはいえこれはほぼ自伝小説なので、たぶんこういうのも実話なんだろうし、文句を言ってもしょうがないかなとも思うんです。じっくりじっくり、アメリカ貧民街を読んでいくのがこの小説のメインなので、いろいろストーリー性にケチをつけるのが野暮ったいのも事実。『夢果つる街』に登場するザ・メインのような街が好きな方とか、ディケンズが好きな方なんかはつまらないということは決してないと思いますので、ぜひ読んでみてはどうでしょうか。

書 名:パールストリートのクレイジー女たち(2005)
著 者:トレヴェニアン
訳 者:江國香織
出版社:ホーム社
出版年:2015.04.08 1刷

評価★★★☆☆
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