シャーロック・ホームズ リオ連続殺人事件
『シャーロック・ホームズ リオ連続殺人事件』J・ソアレス(講談社)

ひょんなことからブラジルに招かれた名探偵。謎の連続殺人事件も得意の推理で即刻解決――と思いきや、美女や名物料理に気をとられているうちに、事件は大迷走! あのホームズが誰にも語りたくなかった、人生最大の難事件!! 全世界を笑いの渦に巻き込んだ、ユーモア・ミステリーの大傑作。(本書あらすじより)

先日ブラジル・ミステリのパトリーシア・メロ『死体泥棒』を読みましたが、なんと翻訳されているブラジル・ミステリって数作しかないんですよ。で、そのうちの1つが見事積ん読棚にあったので、絶好の機会とばかりに読んでみました。
タイトル通りホームズのパロディです。ホームズがブラジルに渡って皇帝の依頼のもと盗まれたストラディヴァリウス探しに乗り出したところ、残忍な手口で女性を殺して回る殺人犯も追うことになる、という話。筋立て自体は(ホームズっぽくないとはいえ)真っ当で、ごく普通のホームズパロディです。
ただ、パロディとしてもパスティーシュとしても中途半端というか。ブラジル人のためのホームズパロディ、という感じで、全体的にややだれ気味なこともあり、あまり楽しめませんでした。オチだけはいいんですけどね。

まずパロディ面について言うと、ホームズのキャラクターは、知識量や言動についてはほぼ原典通りだけど、相手の見た目から推理することはからっきし、という状態(ただし外れていることに本人があまり気付いていないので、シュロック・ホームズみたいな感じですね)。だとするとなぜ世界的名探偵になれたんでしょうね……まぁいいや。ワトスンはただのアホです。
さらに、ホームズが恋に落ちるも童貞を捨てられないとか、大麻にハマるとか、いろいろネタになりそうな面白シーンは多いのです。ホームズが「シリアルキラー」という単語を思い付く場面とか笑えました(ちなみにこの犯人、新聞紙上では「皮膚コレクター」と呼ばれています。す、スキン・コレクター……)。中南米の人が読めば、ブラジルの実在の皇帝ペドロ2世がメインで登場したり、ダイキリ誕生秘話が明かされたりと、もっと楽しめるのではないかと思います。

というわけで、パロディとしては良さそうなのですが、問題は事件自体はすごくマジメに展開することなんですよね。ここだけパスティーシュっぽいのです。だからテンポは悪いし、結局だれちゃうし。連続殺人事件自体はシビアで、ヴァイオリンの弦の本数だけ殺人が起きるのですが、こちらの緊迫感も微妙。登場人物がやたらと多いのを作者がさばき切れていないのも問題です。
そして明かされる意外な犯人とは……なんてことより、まずはこのぶん投げまくったラストですよ。これはすごいです。はっきり言ってこのオチだけは高く評価したいです。っていうかこのオチだけ周りに話して聞かせたいくらい。こう考えると、無責任な終わらせ方にも納得できます。

というわけで、どうせならもっとユーモアミステリとしてドタバタさせてくれる方が好みだったかなぁ。わざわざ単行本を探し出してまで読むほどの作品ではないかもしれません。

原 題:O Xangô de Baker Street(1995)
書 名:シャーロック・ホームズ リオ連続殺人事件
著 者:J・ソアレス Jô Soares
訳 者:武者圭子
出版社:講談社
出版年:1998.12.08 1刷

評価★★☆☆☆
スポンサーサイト
死体泥棒
『死体泥棒』パトリーシア・メロ(ハヤカワ・ミステリ文庫)

俺の目の前で自家用飛行機がパラグアイ川に突っ込んだ。駆けつけたが、パイロットの青年は死んでしまう。俺は機内にあったコカインを盗んで現場を去った。それでしばらくは楽な生活が送れるはずだった。だが、欲を出した仲間のせいで俺はギャングに借金を負ってしまう。なんとか金を工面しようとする計画は、思いもよらぬ道をたどり――。ドイツ・ミステリ大賞第一位! ブラジルの人気作家が放つベストセラーサスペンス。(本書あらすじより)

う、うわぁ出たぞ。久々にどうともコメントのしにくい作品です。一言でまとめるなら「どうでもいい」という感じ。
ブラジルを舞台に、主人公の男が偶然手に入れた麻薬で一儲けを狙うも、のっぴきならない破目に陥り、その状況を打開すべく死体を泥棒する話……なのですが。結局色々ありながらもうまいこと片が付く、ってまぁそれだけなんですよ、本当に。第一部は全く話が動かないし、死体を泥棒する第二部以降がじゃあスペシャルに面白いかと言えば、実に「ふつー」なのです。

じゃあ何が独創的なのかと言えば、訳者あらすじにある「ブラジル的価値観」なのでしょうね。ある意味拍子抜けしてしまうような、一種無秩序的な解決の仕方は、確かに他ではあまり見ないものです。このへんは解説に詳しいのでそちらをお読みになればと思います。

でもさぁ、だからといって、この本の評価が上がるかと言えばそんなこともないんですよ。自分の中で引っかかる部分が見つからないのです。これはもう仕方ない。はまっている人にはかなりはまっている本のようですし、ページ数も270ページと近年の作品としてはビックリするほど短いので、さっと読んで確かめてみっか、と試しに手に取ってみるような作品なのかなと思います。

原 題:Ladrão de Cadáveres(2010)
書 名:死体泥棒
著 者:パトリーシア・メロ Patrícia Melo
訳 者:猪股和夫
出版社:早川書房
     ハヤカワ・ミステリ文庫 427-1
出版年:2016.01.25 1刷

評価★★☆☆☆
カールの降誕祭
『カールの降誕祭』フェルディナント・フォン・シーラッハ(東京創元社)

本屋大賞翻訳小説部門第1位『犯罪』のシーラッハによる珠玉の3編と、気鋭の版画家タダジュンによる謎めいたイラスト。ふたりの天才が贈るブラックなクリスマス・プレゼント。(本書あらすじより)

もうすぐ第3長編『テロ』が日本でも出版されるシーラッハですが、ここで去年の11月にさりげなく出ていた短編集を読んでみました。第3短編集、ではなく、クリスマス向けの小品集、という扱いのようです。そしていつの間にか自分は気付けばシーラッハを4作品、というかこれを合わせると5作品読んじゃっていたらしいです。マジか俺。
シーラッハは長編も悪くはないのですが、個人的には簡潔な文体と、距離を持った人物描写、そして短くてえげつないストーリーがキレッキレの短編の方が好きなのです。今回久々にシーラッハ短編を読んでびりっと来ましたよ。そうだそうだ、シーラッハってこういうのだったよと。読み終わって微妙な気分になる長編とは違うんだったよと。

本国版がどうなっているのか知らないのですが、この日本版は短編3つ、および、『犯罪』『罪悪』の表紙を描いたタダジュンさんによる挿絵がふんだんに用いられた、どちらかといえば絵本やアートブックに近いものとなっています。東京創元社の単行本なのに(?)装丁が、こう、かっこいいんだぜ。薄いからこそいい。
収録作は以下の通り。

Der Bäcker「パン屋の主人」(2011)
Seybold「ザイボルト」(第2短編集『罪悪』に収録される予定だった、本短編集初収録作)
Carl Tohrbergs Weihnachten「カールの降誕祭」(2011)

3作品しかないのでベストを決めにくいのですが、この中だと「カールの降誕祭」はかなり長編のシーラッハっぽい作品です。逆に短編のシーラッハっぽいのが「パン屋の主人」「ザイボルト」でしょうか(「パン屋の主人」のオチのブラックさを考えると、「ザイボルト」の方が典型シーラッハ?)。一番印象に残ったのは「ザイボルト」かなぁ。
あまりあらすじを説明してもシーラッハは興ざめなので、感想もこれくらいにします。『犯罪』『罪悪』のいずれかが好きという方はぜひ読んでみるとよいです。

原 題:Carl Tohrbergs Weihnachten(2012)
書 名:カールの降誕祭
著 者:フェルディナント・フォン・シーラッハ Ferdinand von Schirach
訳 者:酒寄進一
出版社:東京創元社
出版年:2015.11.13 初版

評価★★★★☆
ギデオンの一日
『ギデオンの一日』J・J・マリック(ハヤカワ・ミステリ文庫)

ロンドン警視庁にその人ありと知られた犯罪捜査部長ジョージ・ギデオンは、続発する犯罪に体の休まる時がない。きょうも、麻薬密売人の賄賂をうけた部下の一人が何者かにひき逃げされるという事件が起った。一方、ロンドン市内では、最近頻繁に郵便車が襲撃されてるし、さらには憎むべき少女殺しの容疑者も緊急手配しなければならない。強盗、殺人、麻薬密売と果しない犯罪の後を追ってギデオンの一日は暮れる。事件の中には解決されるものもあれば、未解決に終るものもあるというミステリの新しい行き方を示した警察小説の古典的名篇。(本書あらすじより)

コリン・ワトスン『愚者たちの棺』を書いた時に、警察小説からの影響があったのでは?みたいなことを書きましたが、そういえばイギリスの警察小説といえばモジュラー型ミステリの先駆けとして有名なギデオン警視シリーズがあるわけですよ。読んだことないんですよ。というわけで満を持して手に取ってみました。ギデオン警視シリーズ第1作。
複数の事件が同時並行的に進行するモジュラー型の創始者として評価しないわけではありませんが、現代の読者にはちょっと厳しい出来なのではないかと思います。面白くないんですよ、読んでいて。何しろ我々はエド・マクベインの87分署シリーズを知っているわけですし、もっと言えばR・D・ウィングフィールドのフロスト警部シリーズ(あぁ偉大なり)を知っているわけです。退屈というのでもないし、モジュラー型としてはなるほど納得なんですが、ただ事件が並んでいるだけという感じ。緩急の付け方がイマイチなせいで全体的に楽しくありませんでした。

事件はごちゃごちゃ色々起きるのですが、核となるのは、ワイロを受け取った件で叱責したギデオンの部下がひき逃げされた、という話になるのでしょう。一日の中で起きたことが順に描かれていきます。
ギデオン警視はあくまで「警視」なので、現場型というより管理職なんですよね。だからロンドン中での事件が全て報告され、特に重要だと思われる場合はギデオン自ら捜査に乗り出したり容疑者と会ったりします。「一日」開始時点で既に過去に発生している事件もあるし、「一日」終了時点で未解決な事件もあるのですが、そういった報告がどんどん集まってくるのです。ここらへんの管理職らしい面白さはなかなか珍しいかも。
ただ、モジュラーの中での大きな一本の流れはちゃんとあるし、クライマックスでの盛り上がりもあるんですが、なぜかギデオンの捜査をテンポよく追えないのです。これはまず、ギデオンの足となり捜査する部下がほとんど登場しないせいかもしれません。たくさん事件が起きるのにギデオンが数を絞って現場に足を運ぶので、どうしても腹心の部下から後で適当に報告を受けて終わり、みたいなことが多く、バランスが悪いのです。
加えて、ギデオン以外の視点が多すぎます。事件の容疑者などですが、このパートがそれほど盛り上がらないんですよ。別にあってもいいんですが、後半はギデオンパートが特に少なく思えました。だから、確かに警察小説なんですが、あまり捜査小説、という印象を受けないのです。

まぁこれはシリーズ1作目ですし、マリックは化け物じみた多作家なので、他の作品を見ていけば色々変わっていくのだろうと思います。『ギデオンと放火魔』は数作あとの作品なので、もう少し面白い……かも。

原 題:Gideon's Day(1955)
書 名:ギデオンの一日
著 者:J・J・マリック J. J. Marric
訳 者:井上一夫
出版社:早川書房
     ハヤカワ・ミステリ文庫 53-1
出版年:1977.08.31 1刷

評価★★☆☆☆
愚者たちの棺
『愚者たちの棺』コリン・ワトスン(創元推理文庫)

港町フラックスボローの顔役だったキャロブリート氏のつましい葬儀から七か月後。今度は参列者のひとり、新聞社社主のグウィルが感電死する。真冬に送電鉄塔の下で発見された遺体には不可解な点がいくつもあり、現場近くでは“幽霊”の目撃証言まで飛び出す始末。相次ぐ町の名士の死には関連があるのか。奇妙な謎と伏線の妙、個性的な登場人物、機知に富む会話……英国本格ミステリの粋が凝縮された巧手の第一長編。(本書あらすじより)

ようやく翻訳された、1950年代~1970年代に活躍した英国本格作家によるシリーズの第1作です。系統としてはD・M・ディヴァインやハリー・カーマイケルと並ぶド地味英国本格衆ですね。個人的にこれは期待せざるを得ないのです。
地味かつ古典的なトリック(意外性はあるけどパッとはしない)のザ・英国本格 in 1950s という感じですが、堅実さとこの意地の悪さがなかなか心地よく、個人的にはかなり楽しめました。もう少し見せ方を頑張ってほしいですが、それは2作目以降に期待かな。

不可解な行動の末感電死した新聞社社主の事件を契機に、パーブライト警部が捜査に乗り出します。被害者と特に関係の深かった町の名士たちにはどうやら秘密があるようで……。

登場人物全員がしっかり描き分けられているのですが、これぞ英国地方都市の悪の結集、と言わんばかりに、地方名士の闇をこれでもかと軽快にえぐりだしていくのが楽しいです。全くタイプは似ていないのですが、後のドーヴァー主任警部やフロスト警部シリーズに通じる何かを感じます。フロストの扱う事件の中流階級以上だけ抜き出したみたいな。上流階級が扱われるもあくまで身内におさまる傾向の強い黄金時代の作品とは異なり、どちらかといえばスキャンダラスな趣きがあります。
探偵役のパーブライト警部は、辛辣なコメントを交えつつばっさばっさと推理していきますが、面白い、というかこの手のミステリとしては珍しいことに、部下の警官が何人も登場するんですよね。当時のイギリスに既に紹介されていたらしいローレンス・トリートやエド・マクベインなどの警察小説の影響かもしれません(J・J・マリックが『ギデオンの一日』を書いたのもこの作品の数年前ですし)。

真相は、少ない登場人物で組み立てたわりにはかなり頑張っているとは思います(ちょっと解明が間延びしてたかな?)。伏線ばりばりって感じでもないんですが、丁寧にきっちりとミステリしながら意地悪スパイスをかけたって感じで悪くありません。おそらく今後の作品でさらに上手くなるだろうと思えるので、期待したいところ。

というわけで、シリーズ順なんか無視して、ぜひ面白いらしい4作目を早く訳してほしいです。頼む、頼むよ創元さん。帯で煽られているように「ディヴァインに匹敵する巧手」だとはどう考えたって思えないんですが、でも間違いなく層はかぶっているはずなのでもっと読まれるといいなぁ。


原 題:Coffin Scarcely Used(1958)
書 名:愚者たちの棺
著 者:コリン・ワトスン Colin Watson
訳 者:直良和美
出版社:東京創元社
     創元推理文庫 Mワ-3-1
出版年:2016.03.11 初版

評価★★★★☆
血染めのエッグ・コージイ事件
『血染めのエッグ・コージイ事件』ジェームズ・アンダースン(扶桑社ミステリー)

1930年代の英国。バーフォード伯爵家の荘園屋敷に、テキサスの大富豪、大公国の特使、英海軍少佐など豪華な顔ぶれが集まる。やがて嵐の夜に勃発する、宝石盗難事件と、謎の連続殺人。犯人は15人の中にいるはずだが、手がかりは庭に残された、血のついた茹で卵覆い(エッグ・コージイ)だけ……。復古的な舞台立てと、ロジカルな推理、けれん味あふれるトリック、そして意外な結末。70年代に黄金期本格の味わいを復活させた作品として名高い、伝説のパズラーが待望の復刊!(本書あらすじより)

あれはそう、2011年5月16日のことでした。大学1年生だった私は、「うわぁ大学生協って安く本が買えるんだ! 1割引きだ!」とテンションあげながら、わざわざ取り寄せして『血染めのエッグ・コージイ事件』を買ったのです。あれから5年が経ちましたが、エッグ・コージイはいまだに積ん読棚に積まれていたのでした。
……というわけで、これじゃいかんとついに読みました。初アンダースンです。ユーモア寄りの作品やジェシカおばさんシリーズなどが翻訳されていますが、こちらは1975年発表でありながら、コテコテの英国古典本格ミステリを想起させる作品です。文春文庫から『血のついたエッグ・コージイ』のタイトルで出ていましたが、扶桑社ミステリーから出直しています(おそらく訳が同じままですね、訳文が全て「血染めの」ではなく「血のついた」ですし)。なお、続編、というか同じ舞台の作品である『切り裂かれたミンクコート事件』(1981)も扶桑社から出ましたが、2003年に出たシリーズ3作目は未訳です。そろそろ翻訳されるというウワサもありますが……。

前置きが長くなりましたが、いやこれ、積んでいたのが実にもったいない、超好みの作品でした。複数の人物の思惑や行動が重なり、事件が複雑になるも、それがラストに一気に紐解かれるという、非常にクリスティーっぽさのあるガチガチ本格ミステリです。ユーモラスな語り口といい雰囲気といいバカトリックといい、いいですよーこれ。おすすめです。

あらすじが全てなのですが、とにかく様々な人物が館に集まり、盗難や殺人など事件が一気に発生する、というものです。舞台が第二次世界大戦直前期であるせいでなおさら本格黄金時代っぽいですし、国際的な怪盗やらアメリカ人の富豪やらが登場するせいで全体的に派手かつ華やかです。
この作品の何がすごいって、まず事件が起きるまでに200ページかかり、殺人事件が発覚するまでそこからさらに60ページかかり、140ページの捜査の後に、解決編に140ページ費やすという驚異的な作品なんですよ。残りページがまだあるからダミー推理だろうと思ったらマジで真相を語るのにそれだけ使うんですよ。さらに、さらにですよ、この作品の秀逸なところはおそらく事件発生の夜の描写です。この夜に、誰がどこをうろついただのぶつかっただのが、複数の人物の視点から語られて、なんとそれが20ページも続くのです。本書の事件の複雑性を示す名シーンだと思います。最高。

ミステリとしてのプロットの立て方などが完全にクリスティーっぽいですし(登場するびっくりするほど気弱なネガティブ警部・ウィルキンズが、ポアロっぽいと言われると自分で述べています)、そりゃあクリスティーの傑作群の方が色々うまいとはいえ、『チムニーズ館の秘密』の上位互換、とでも言いたくなるような雰囲気があります。適度にくだけたセリフもぴったりで、結構分厚いのに楽しく読めます。事件発生までが若干長く、屋敷の不穏な状況が描かれるばかりで一向に死体が転がりませんが、ここすらちゃんと面白いのです。登場人物数が20人くらいいますが、立ち位置・キャラ・事件への関わり方など様々な方向からしっかり描き分けられているので、全く混乱しません。
で、その真相ですが……伏線の張り具合については、もう少し頑張れたとは思います。ただ、メインとなる殺人以外の無駄な要素がひとつひとつ見事にばらばらにされていくシーンの面白さは絶品ですし、トリックのぶっ飛び具合、犯人の隠し方のうまさを考えると、これでもう十分です。いやー面白かったなー。

というわけで、本格黄金時代以後の英国本格好きには間違いなくおすすめです。地味ながらよりよく出来ているというウワサの続編もぜひ読んでみたいところ。3作目が翻訳されるっていうのはどうなのかなぁ……。
ところで、少し前の文春文庫って、こういう作品とかマーサ・グライムズとかが出ていたわけですよね。この系統、といったら何ですけど、本格ミステリ寄りの作品ってあと何があるんでしょう。気になります。

原 題:The Affair of the Blood-stained Egg Cosy(1975)
書 名:血染めのエッグ・コージイ事件
著 者:ジェームズ・アンダースン James Anderson
訳 者:宇野利泰
出版社:扶桑社
     扶桑社ミステリー ア-8-1
出版年:2006.09.30 1刷

評価★★★★★
ぼくは漫画大王
『ぼくは漫画大王』胡傑(文藝春秋)

いま台湾ミステリーが面白い。第3回島田荘司推理小説賞受賞。夢中で漫画をむさぼり読んだすべての元少年少女に贈る、企みに満ちた本格ミステリー。ミステリーは第十二章から始まる。家出していた妻が自宅に戻ると、夫が殺され息子の健ちゃんは密室に閉じ込められていた……。物語は第一章に戻り、奇数章はライバル“太っ許”と漫画大王の座を争う小学生・健ちゃん、偶数章は少年時代の事件のトラウマで鬱々とした人生を送っている妻子持ちの方志宏という男が主人公。父親と息子、二つの視点から語られるストーリーの結末と殺人事件の真犯人は?(本書あらすじより)

中国語で書かれた応募作品を対象としている島田荘司推理小説賞、これまで第1回の寵物先生『虛擬街頭漂流記』、第2回の陳浩基『世界を売った男』と読んできましたが、ついに第3回が翻訳されました(クラウドファンディングに参加しましたが、良かったですね、無事に出て。いやほんとに)。さっそく読んでみましたが、今回すごく面白かったですよ。完成度では『世界を売った男』が一番だと思いますが、個人的な好みではこっちの方が好きです。
バレバレトリックミステリかと思いきや、二段構えできっちり騙してくれる良作です。ストーリーも適度にイヤな感じがリーダビリティを高めていて、訳の読みやすさも相まって一日で楽しく読み切れました。本格ミステリ娯楽作としては、程よく期待を上回ってくれるんじゃないでしょうか。

内容は、さえないサラリーマンの章と、漫画大王というあだ名を持つ小学生・健ちゃんの章が交互に語られる、というもの。漫画大王・健ちゃんのパートでは、日本の漫画のタイトルが多数出てくるので、日本人には意外なフックがある……かも。

さて、この交互に語られる章、という構成からして既にバリンジャー的な怪しさがあるわけで、これ以上あまり語れないのですが、この交互に語ることによってだまそうとしているポイントは結構見え見えなんですよ。だから読んでいる間は1950年代のバリンジャー、ニーリィ的なしょぼさが頭にちらついてすごく心配だったのです。
ところがこれ、見せトリックなのかどうだったのか分かりませんが(ラスト一行がこのトリック絡みだったことで、読了後にトリック分かりやすかったなーみたいな印象を残しそうでどうかと思いました。これはこれでオマージュだったようですが)、実はもうひと段階うまいことひっくり返しがありまして、こっちがすごく良いんです。この仕掛けのために色々な要素が配置されていますが、これもなかなか上手いなと思います。トリックありきで無理やり設定を作り上げた感はありますが、まぁ頑張ってるしね、新本格を意識した本格ミステリだしね、このくらいなら許せるかなと。

この厚さ(というか薄さ)と読みやすさも合わせて考えると、かなり楽しい作品でした(まぁ唯一文句を言うとするなら……造本がコンビニコミックっていう……お金抑えるためだからね、仕方ないね……)。第3回はまだ『逆向誘拐』が秋には訳されますし、第4回、第5回と翻訳が続いてほしいので、皆さんぜひぜひ読んでみてください。日本の新本格ファンはもちろんですが、もしかして現代海外ミステリのどんでん返しが好きな人ははまるんじゃないかな(『ユー・アー・マイン』みたいな)。おすすめです。

原 題:我是漫畫大王(2013)
書 名:ぼくは漫画大王
著 者:胡傑 胡杰
訳 者:稲村文吾
出版社:文藝春秋
出版年:2016.05.30 1刷

評価★★★★☆
ゲー・ムーランの踊子 三文酒場
『ゲー・ムーランの踊子三文酒場』ジョルジュ・シムノン(創元推理文庫)

リエージュのキャバレー、ゲー・ムーランはそろそろ閉店の時刻だった。店の売上金を狙うシャボーとデルフォスの二人のチンピラは、先程から虎視眈々とチャンスをうかがっていた。しかし二人の目論みははずれて、猟奇的な行李詰めの殺人に巻き込まれることになった。事件はベルギー警察のデルヴィーニュ警部の担当へ、そしてパリの司法警察メグレ警部の手へ。名作「ゲー・ムーランの踊子」と、青年死刑囚からふと聞いた話に興味を惹かれたメグレ警部の活躍を描く「三文酒場」の二編を収録する。(本書あらすじより)

月イチメグレだ、とか言いながらこうやって毎月せっせと積ん読を崩し、せっせと感想を書いているわけですけど、いまどきメグレの感想って需要あるんでしょうかね。何より瀬名秀明さんが立派なレビューを毎月シンジケートで連載しているわけですし。とはいえ自分だって積ん読メグレを減らしたいわけですからね、頑張って続けますよ。そしていつかは連載を追い越してみせるよ(いまは瀬名さんがノンシリーズに手を付けているようなのでチャンス拡大中)。

さて、『港の酒場で』の次は、創元推理文庫から出ている合本版の2長編になります。どちらも1931年の作品。

・『ゲー・ムーランの踊子』
ジャンは悪友ルネと共に、キャバレー・ゲー・ムーランの売上金を盗もうとしたところ、死体を発見してしまう。泡を食って逃げ出したジャンだが、翌日から謎の肩幅の広い男にあとを付けられることになり、不安と怯えを抱えて逃げ惑うことになるのだが。

不良少年ジャンを視点人物に置いて語り、メグレが序盤ほとんど登場しない、という変化球の作品ですが、これが見事に決まっていません。真相の壮大さも唐突だし、ジャン以外の登場人物への踏み込みも不十分。せっかくシムノンの故郷のベルギーが舞台だってのに。珍しく明確にはずれっぽさを感じるメグレでした。
要するにこのあとを付けている男がメグレで、身分を隠して捜査しているわけなんですが、そもそもこの趣向に意味が感じられないのです。メグレってそもそも結構勝手に事件に介入することが多いんですよ。だからある程度は読者に耐性があるにせよ、それがこうまで勝手に事件をいじって、しかもそれが視点側で描かれないとなると、もうお前勝手に何やってんのさとなるわけです。
ゲー・ムーランの踊子であるアデールも、ほのめかしが多いわりに結構薄っぺらい女で魅力がありません。不良少年二人のうち、ジャンは最後までぱっとしないし、ルネについては書かれなすぎ。なんだか表面的な登場人物を配置したままこんなデカい真相を出されるとついていけないなぁという感じです。

・『三文酒場』
死刑囚から過去の発見されなかった殺人事件の話を聞いたメグレは、関係者が常連らしい「三文酒場」を探して回る。ようやくたどり着いた酒場で、メグレは地元民と交流を持つようになるが、事件についての手がかりは全く見つからない。ところが翌日、酒場の裏手で銃声が鳴り響いた。

『ゲー・ムーランの踊子』とは一転、非常にスタンダードなメグレ物です。メグレ警視は、最後まで登場人物と距離を取る場合と、登場人物と積極的に心を通わせる場合がありますが、後者である本作はそのメグレの魅力と複雑な真相が見事に結実した作品と言うほかありません。メグレ第一期の代表作と言っていいのではないかと思います。

死刑囚のことばをきっかけに、メグレによる過去の事件の再捜査が始まるのですが、その過程で別の事件が起きてしまう、という構成。過去の事件の再捜査はいつも通りずるずると手がかりが集まるのですが、これが無関係なはずの現在の事件としっかりある点でリンクするところが好印象です。

そしてこの作品で最も優れているのが、酒場の人間、容疑者、メグレの人間関係の描き方なのです。
メグレがいきなり結婚式の公証人になるところはホームズを意識しているのかな? 酒場の常連客たちとメグレは、あくまでメグレが警察官ということもあるのでそこまで親しくはなりませんが、ある程度仲間意識を持っているようにも見えます。そして、イギリス人ジェームスとは、事件を通じて独特の付き合いを始めるようになるのです。
まぁはっきり言って、酒場で起きた殺人事件の顛末なんてどうでもいいんですよ。犯人がいきなり逃亡してしまうせいでごちゃごちゃしますが、それだってつまり犯人なんだからどうでもいいのです。ところがこの事件に、ある人物たちの友情と過去が絡められることで、ラストの演出に一工夫加わっています。メグレとジェームスの関係によってラストが悲劇的でさえありますが、それを適度にやわらげるシムノンの職人っぷりが素晴らしいのです。

なおこの話は、夫と妻の関係が一つの軸になっているんですが、メグレはメグレで妻を持つ身でありながら、その妻の田舎からの呼び出しを無視して捜査にかまけ、事件の容疑者と酒を飲んでいる有様。そしてラストに、メグレはようやく妻のもとへ向かうという。容疑者たちとメグレのこの対比も、なかなか渋くて良いです。
メグレ警視、奥さんと不仲なんじゃないのってくらいにはどの作品でも全然構ってあげていないし、奥さんの希望は無視するし、八つ当たりもしているんですが、関係は良好なのかな……たまにすごく仲いいんですけど。ただの亭主関白ですねたぶん。


というわけで2長編読みました。どちらも200ページくらい。スタンダードな『三文酒場』と比べるとイレギュラーな『ゲー・ムーランの踊子』は、ある程度他作品を読んでからの方がいいかもしれません。

原 題:La danseuse du Gai-Moulin/La guinguette à deux sous(1931)
書 名:ゲー・ムーランの踊子三文酒場
著 者:ジョルジュ・シムノン Georges Simenon
訳 者:安堂信也
出版社:東京創元社
     創元推理文庫 139-3
出版年:【ゲー・ムーランの踊子】1959.11.27 初版 1961.08.11 3版
     【三文酒場】1960.08.05 初版 1961.07.28 2版
     【合本版】1973.09.14 初版 1986.01.10 5版

『ゲー・ムーランの踊子』評価★★☆☆☆
『三文酒場』評価★★★★☆
くノ一忍法帖
『くノ一忍法帖』山田風太郎(講談社ノベルスSPECIAL)

大坂城落城前夜、救出された千姫とその侍女たち。智将真田幸村はその中に秀頼の胤を身籠る五人の女忍者を潜ませていた。「子が生まれる前に始末せよ」家康の密命が伊賀忍者に下った。子を宿しながら迎え討つ、くノ一五人衆に危機迫る!(本書あらすじより)

月イチ国内ミステリ、今月はついに山田風太郎です。ぶっちゃけ忍法帖シリーズってミステリに入るのか?というとアレですが、いいんです、冒険・伝奇小説なんです。あと読みたかったんです。例によって初読作家。
山田風太郎は1990年代以降再評価が続いており、様々な出版社から同一の本が出ているという今や超豪華な時代なわけですが、とりあえず今回は講談社ノベルスの、山田風太郎傑作忍法帖シリーズから4作目のこちら(カバーを外すとまっ金金なのすごい)。舞台は江戸時代初期のまだ徳川家康が大御所として頑張っていた時代、豊臣の子をくノ一5人に宿させた家康の孫・千姫が、家康とその抱える伊賀忍者5名と敵対します。

……ってな感じで、基本的には家康 vs 千姫、そして男伊賀忍者5名 vs くノ一信濃忍者5名、という男 vs 女の様相を呈してくるのです。だからもう登場する忍法もエロいのばっかりですよ。精液をぶっかけて催眠状態にしたり、精液をとりもちのように使ったり、逆に精液を搾り取って殺したりするんですよ。すげぇ。NARUTOのシカマルが使いそうな忍術とか普通に出てくるし。
おまけに、言ってしまえばこんなにエロくだらない話なのに、普通に話に引き込まれるし、登場人物になぜか肩入れしてしまうし、気付けば歴史超大作だしで、うわぁ山風やばいっすね。奇想だ、奇想に満ちあふれているぞ。ぶっちゃけ徳川側の伊賀忍者たちが負けまくっているくせに変に図に乗っているせいで、徳川側を応援する気に全くなれず、思いっきり悪女である千姫側を応援したくなってしまうのです。良い人とかいないんですけどね、そもそも。

そして忍法帖は基本的につらい、と聞いていましたが、確かに最終的に全員死んでしまうのでした。なんてこった。ただ、ラストのオチがすさまじく秀逸。古典などの歴史物にありがちな補足が、ここまで説得力を持って語られるとなぜか感動します。いやそりゃ嘘なんでしょうけど、そこまで引き込む山風がすごいのです。

というわけで、やっぱり楽しめました。山風、ミステリも結構ランキングに入ったりしているので、そちらにも手を出したいという気持ちはあるのですが、忍法帖面白いですね……。

書 名:くノ一忍法帖(1961)
著 者:山田風太郎
出版社:講談社
     講談社ノベルスSPECIAL 山田風太郎傑作忍法帖 ヤK-12
出版年:1994.08.15 1刷

評価★★★★☆
門番の飼猫
『門番の飼猫』E・S・ガードナー(ハヤカワ・ミステリ文庫)

百万長者の主人が死んで一番困った立場になったのは、忠節な老門番アシュトンだった。相続人に、飼猫を殺さないと解雇すると言われて、猫好きの老人はぺリイ・メイスンに泣きついてきた。だが、その門番がある夜、邸の一室で惨殺死体となって発見されるとは! しかも、死体には飼猫の足跡がくっきりとついていた……莫大な遺産をめぐって一匹のペルシャ猫が重要な役割を演じる怪事件の顛末は? ガードナーの代表的傑作。(本書あらすじより)

創元版もありますが、こちらは早川版です。
さて、読めば読むほどめっちゃ面白いことに気付かされるガードナーです。フランク・グルーバーもそうですが、昔の通俗ミステリ作家ってレベル高過ぎじゃないですかね……あらゆる娯楽要素を取り入れつつきっちり謎解きまで仕上げてくる感じ。今回も非常に複雑なプロットで、ガードナーのサービス精神がうかがえます。

門番の飼猫をめぐるしがない事件に、弁護士は庶民を助けるものだと強気なペリイ・メイスン。ところが百万長者の遺産をめぐる騒動に巻き込まれ、事件はやがて殺人事件へと発展します。

何といっても真相が、いやそこに至るまでのプロットがとにかく複雑です。レックス・スタウトとかクレイグ・ライスとか、アメリカ戦前勢のプロットの凝りようはどうなってるんでしょう……。単なる飼猫をめぐる問題が、猫を飼う管理人の秘密、管理人を雇っていた百万長者の秘密、その子供3人が隠していた秘密、と次々に連鎖していって、めまぐるしく事件の様相が変わります。
この猫の足跡がカギになって(表紙はそういうことなのか)、殺人事件ではある男が容疑者とされてしまいます。ちょっとした不可能状況のようなものですが、この処理はちょっと残念……と思っていたら、最後にとんでもない真相が叩き出されます。エグい。エグいから伏線とか十分じゃなくても許す。この叩き出し方がまた法廷ミステリとしても最高にカッコイイのです。
クイーンとかヴァン・ダインも、真相は複雑ですけど、事件をめぐる様相は基本的に単線的じゃないですか。やっぱりフェアプレイに撤するとある程度単純になるのかな。

というわけで、ガードナーもっと読まないと、と思わされた一冊でした。A・A・フェア名義の『屠所の羊』がやばいということも聞いているので、今度はそっちにしようかな。

原 題:The Case of the Caretaker's Cat(1935)
書 名:門番の飼猫
著 者:E・S・ガードナー Erle Stanley Gardner
訳 者:田中西二郎
出版社:早川書房
     ハヤカワ・ミステリ文庫 3-7
出版年:1977.01.31 1刷
     1986.09.30 3刷

評価★★★★☆
赤毛の男の妻
『赤毛の男の妻』ビル・S・バリンジャー(創元推理文庫)

殺人を犯して妻とともにアメリカじゅうを逃げ回る脱獄囚、赤毛の男。そして二人の逮捕を命じられたNY第19管区の刑事。この追う者と追われる者の息づまる攻防は、そのまま複雑なアメリカ社会に苦悶する人間の縮図である。一見単純な構成の中に秘められた最終ページの恐るべき感動! 独創的なプロットが光る名手の真骨頂。(本書あらすじより)

実は『赤毛の男の妻』については、ネタバレを『海外ミステリー事典』で食らっていたのです。というわけで大ネタは知っていたのですが、いったいそのネタがどうミステリとして生かされるのかがさっぱり分からないのです。と言っている間に10年近く経ってしまいました。
で、今回ついに読むこととなったわけですが、いやぁバリンジャー読むのって『歯と爪』『消された時間』以来6年ぶりですよ。バリンジャーと、あとリチャード・ニーリィって、「当時は斬新だったんだろうけど現在では意外性に乏しくおまけに小説としても微妙」軍団として自分の中ではくくられているのですが(大変失礼)、果たしてどう転ぶか。

読んでみて一番驚いたことをまず言いますとですね、いやーなんか、あれですよ、バリンジャーのくせに普通に小説が面白いんですよ。びっくりするくらい読みやすくって、ちゃんと読ませるんですよ。しかも、しかもですよ、バリンジャーなのにサプライズが一切ないんですよ。めっちゃ意外じゃないですか。

話の内容はあらすじにあるのがすべて。脱獄囚の逃亡と、それを追いかける刑事、という構図のみです。本当にそれだけ。

一応さっき言ったネタ的なものはちゃんとあって、そのネタは最終ページで明かされます。ちゃんと仕掛けとしては機能していて、ちょいちょい伏線も張られているので非常にきちんとしてはいるのです。ただ、当時のアメリカではこれが非常に驚きを持って受け入れられたそうですが、さすがに2016年にこれを読んでも「あ、そうなんだー」で終わりです。いや、いつものバリンジャートリックではあるんですが、本筋と全く関係がないのです。あくまでストーリーにプラスαするだけのトリック。バリンジャー、ニーリィを評する「時代遅れ」「21世紀に読んでも驚けない」って言葉がめちゃくちゃピッタリです(予想してたけど)。

ただ『赤毛の男の妻』の面白さって、(バリンジャーのくせに)そういうトリック部分とは違うところにあるんですよ。追うものと追われるもののサスペンスが、次第にお互い会ったこともない両者を結び付ける独特の友情というか親愛を生み出し、最後に刑事が脱獄囚を捕まえるところでピークに達する、という話なんです。逃げる脱獄囚は、もはやスピリチュアルに追う刑事の存在を肌で感じ始めるので、「やつがこの街に入ってきた、俺には分かるんだ」とか言っちゃうわけです。この部分だけで純粋に最後まで読ませるのですごい。っていうかこれ完全に腐案件なのでは?
唯一残念なのが、脱獄囚と共に逃げる彼の妻(タイトルの「赤毛の男の妻」です)。この女が一見すごい悪女で、何やら企んでいる感を最初からずっと醸し出しているのですが、なんと、何も企んでいませんでした。なんだったんだ本当に。てっきり稀代の悪女かと思ったよ。

というわけで、個人的に『歯と爪』より楽しんでしまったという、意外な読書となりました。残る未読バリンジャーは……あ、地味にあと3作もあるのね。

原 題:The Wife of the Red-Haired Man(1957)
書 名:赤毛の男の妻
著 者:ビル・S・バリンジャー Bill S. Ballinger
訳 者:大久保康雄
出版社:東京創元社
     創元推理文庫 Mハ-5-1
出版年:1961.09.08 初版
     1998.01.23 6版

評価★★★★☆