魔法
『魔法』クリストファー・プリースト(ハヤカワ文庫FT)

爆弾テロに巻きこまれ、記憶を失った報道カメラマンのグレイ。彼のもとへ、かつての恋人を名乗るスーザンが訪ねてきた。彼女との再会をきっかけに、グレイは徐々に記憶を取り戻したかに思われたのだが……南仏とイギリスを舞台に展開するラブ・ストーリーは、穏やかな幕開けから一転、読者の眼前にめくるめく驚愕の異世界を現出させる!奇才プリーストが語り(=騙り)の技巧を遺憾なく発揮して描いた珠玉の幻想小説。(本書あらすじより)

うーん……なんじゃこりゃあ。
サークルの先輩でプリーストが大好きな人がいるんですが、彼が超熱烈に推してくるので読んでみた次第です……が。正直マトモな感想を書ける自信がないんですけど……。おそらく既に読まれた方も多いと思うので、まぁ適当に書き散らかします。

えーと、とにかく話はあらすじの通り。どの辺がFT文庫なんだよと思われるかもしれませんが、読んだら分かります、FT文庫です。
ストーリーはべらぼうに面白いのです。基本的にはラブ・ストーリーで味付けされているのですが、読んでいてとにかく不穏。いったい何が起きているのかよく分からず、実に不安定な感じなのです。読み進めれば読み進めるほど不安定になるのでさらにまた引き込まれ。そう、ストーリーはめっちゃ面白いんです。よ。

それだけに個人的には最後の展開がどうも……。いや、すごいことは分かるんですよ、これ読んでむむむってなっちゃっている時点でプリーストさんの手のひらの上であることも分かっているんですけど、それでもこれはやっぱりなんか納得がいかないのです(分からない人は読んで)。どうもこの手のひっくり返し方が嫌いだというのもあるんですが、まぁあとはこういった幻想文学というか、なんというのか、この手のものを読み慣れていなかったせいかもしれません。

まぁそういうわけなので、どういう感想を書いたらいいのかさっぱり分からないのですが、とりあえず読め!とだけは言えると思います。ファンタジー・SF史上を代表する一冊であることは間違いないと思いますし。何とも難しいです。先輩が1984年版を持っているので借りてみようかな……。

書 名:魔法(1984、翻訳は1985の改訂版)
著 者:クリストファー・プリースト
出版社:早川書房
    ハヤカワ文庫FT 378
出版年:2005.1.31 1刷

評価★★★★☆
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小鬼の市
『小鬼の市』ヘレン・マクロイ(創元推理文庫)

カリブ海の島国サンタ・テレサに流れついた不敵な男性フィリップ・スタークは、アメリカの通信社の支局長ハロランの死に乗じて、まんまとその後釜にすわった。着任早々、本社の命を受けてハロランの死をめぐる不審な状況を調べ始めたスタークは、死者が残した手がかりを追いかけるうち、さらなる死体と遭遇することになる──『ひとりで歩く女』のウリサール署長とウィリング博士、マクロイが創造した二大探偵が共演する異色の快作。(本書あらすじより)

実を言うと、ヘレン・マクロイはどうも性に合わない、苦手な作家なのです。
……あ、いえ、その、すみません、まだ『幽霊の2/3』『家蝿とカナリア』『暗い鏡の中に』しか読んでないです偉そうなこと言えないですホントすみません。
いやでもとにかく、面白いことは面白いんだけど、なんか合わねぇんだよなぁ、という作家なのですよ、はい。『家蝿』は結構良かったんだけど、代表作と言われるその他2つがちょっと微妙だったので、そりゃあくじけもするというもんです。というわけで『小鬼の市』も、かなり警戒しつつ読み始めたわけですよ(というわけで以下の感想はどうしても批判気味になっちゃうのでそのへん差し引いてくださいな)。
……しかし、むぅ、面白いじゃないですか。やや物足りない気もしますが、「第二次大戦下」の「中米」という舞台が遺憾なく発揮された事件、シリーズ読者ならニヤリとする仕掛けなど、決して悪くない作品です。

ただ、サスペンス要素と本格要素が必ずしも理想的に結合しているとは言えないかも。中途半端感が無きにしもあらず。
どうしても気になったのが、読んでいる間のモヤッと感と、読了後のモヤッと感。読み中はおそらく、主人公の性格付けが案外あいまいで、読者が(決して嫌いではないのに)100%感情移入しにくいからではないかと思います。読了後のモヤっと感は、謎解きシーンがわちゃわちゃしているせいかな。
もう1つケチをつけるなら、「小鬼の市(ゴブリン・マーケット)」という謎の使い方が上手くないかな、ということ。複雑な事件なのですが、それを捜査していく過程・読者に見せていく過程が、説明過多だったり不足だったりと、慣れない題材であるせいかこなれていないように思えるのです。

ただねぇ、困っちゃうのが、今あげた問題点はいずれも大したことではない、ということなんですよ。ぶっちゃけ結構楽しめちゃったのです。十分面白いんです。それでも100%の満足感を自分は得られなかったのですが、このあと一歩感は何なんでしょうね……単なるサスペンス・本格の中途半端さではないと思うんですが。

というわけで、現時点の自分にはこの作品についてどうしても満足のいくような感想を書けません。再読が必要かなぁ(したくない)。マクロイはやっぱり自分には手ごわい作家です。

書 名:小鬼の市(1943)
著 者:ヘレン・マクロイ
出版社:東京創元社
    創元推理文庫 Mマ-12-6
出版年:2013.1.31 1刷

評価★★★☆☆
容疑者Xの献身
『容疑者Xの献身』東野圭吾(文春文庫)

天才数学者でありながら不遇な日日を送っていた高校教師の石神は、一人娘と暮らす隣人の靖子に秘かな想いを寄せていた。彼女たちが前夫を殺害したことを知った彼は、二人を救うため完全犯罪を企てる。だが皮肉にも、石神のかつての親友である物理学者の湯川学が、その謎に挑むことになる。ガリレオシリーズ初の長篇、直木賞受賞作。(本書あらすじより)

長らく積んでいた本で、その間に母親も弟も読んでいたのですが、とにかくいまさら『容疑者Xの献身』です。読む理由はもちろん、『喪失』と比べてどちらの方が面白いか調べるため(笑)

まず、コロンボ以外で、しかも小説でここまで倒叙らしい倒叙を読むことはほとんどなかったので、いろいろ新鮮でした。400ページという程よい分量に過不足なくまとまった良作だと思います。ただ、世間でやたらと持てはやされている理由は正直よく分からないんですよね。一点、ちょっとだけ気に入らないところがあるので。

倒叙物が難しいのは、スタートとゴールが定まっているため、話を長く引っ張りにくいことだと思います。導入・捜査・対決・解決のバランス感覚が優れていないと、長編として辛いものになりやすいのではないでしょうか(という気がする)。『容疑者X』はお手本のごとくそれが上手いのです。実に無駄なく読ませる作品でしょう。
犯人が仕掛けたトリックは、某先輩は見抜けない方がおかしいとか何とかほざいていたのですけど、自分は全然分かりませんでした。これまたお手本のようなトリックですが、シンプルに決まっていてかなり良いんじゃないかと。単なるトリックに留まらず、動機面としっかり結び付いているのが上手いです。

一点どうしても気に入らないのが、最後に探偵ガリレオが取る行動。何でこいつ正義感は関係ないとか言いながら全てを台なしにしようとするのかなぁと。誰得なんですかちょっと。結果的にすんげぇ悲壮感漂う話になったのは全部こいつのせいじゃないですか、ぶっちゃけた話。なぁんかこのせいで素直に感動出来ないんですよね。よく考えたらトリックもかなりどうかと思うし。

ちなみに某作を読んだ後に自分の中での整理がついたのですが、『容疑者Xの献身』のトリックがそこまで気にならないのは、あくまでこう、(ネタバレなしにどう言やいいんだ)、場外ホームランじゃなくて、天井に当たるレベルだからなんですよね、たぶん。という個人メモ。

『容疑者Xの献身』と『喪失』、どちらが面白いかと聞かれても、何かもう根本的に別物だという気がするので、よく分からないというのが正直なところですね。強いて言うなら、感心したのは『容疑者Xの献身』、けどMWA長編賞を取るには薄味過ぎるので『喪失』の方が受賞しそう、だけどぶっちゃけ『喪失』はちょっと物足りない、といったところでしょうか。うぅん。

書 名:容疑者Xの献身(2003~2005)
著 者:東野圭吾
出版社:文藝春秋
    文春文庫 ひ-13-7
出版年:2008.8.10 1刷
    2008.11.25 10刷

評価★★★★☆
喪失
『喪失』モー・ヘイダー(ハヤカワポケミス)

当初は単純な窃盗と思われたカージャック事件。だが強奪された車の後部座席に乗っていたはずの少女はいっこうに発見されない。捜査の指揮を執るキャフェリー警部の胸中に不安の雲が湧きだしたとき、今回とよく似た手口の事件が過去にも発生していたことが判明した。犯人の狙いは車ではなく、少女だったのか! 事件の様相は一変し、捜査に総力が注がれる。だが姿なき犯人は、焦燥にかられる警察に、そして被害者の家族に、次々と卑劣きわまる挑発を……屈指の実力派が、MWA賞最優秀長篇賞の栄誉を射止めた力作(本書あらすじより)

『容疑者Xの献身』を破ってMWA賞に輝いたということで話題になったようなならなかったような。なりませんでしたね。『容疑者Xの献身』が受賞しなかったらもうMWA賞にゃメディアは興味ないということでしょうか。
『容疑者Xの献身』も例によって積んでいたので、『喪失』に続けて読みました。感想はまたアップします。

さて、しばらく翻訳のなかったモー・ヘイダー。めちゃくちゃイヤな作品を書くという評判でしたが、『喪失』ではかなり丸くなったというのが巷のウワサです。ふーむ、まぁ確かにそんなにイヤなミステリではなかったかな。
読み終わったあとは、「おぉ、なかなかしっかりしたものを読んだ、面白かった」という感想だったのですよ。ところが数日経って思い返そうとすると、驚く程に何にも心の中に残っていないのです。非常によく出来た作品で、完成度は高く、読ませるし、満足の一冊ではあるんですが、何か物足りない気がします。

小女誘拐物ということで、扱っているテーマは重め。序盤はやや退屈ですが、事件について明らかになっていく中盤以降は読者をグイグイと引っ張っていくため、そこそこの厚さはほとんど気になりません。キャフェリー警部とその周辺の人間の背景もしっかり描かれています。ちょっと嫌味な言い方かもしれませんが、非常に優等生的な作品だと思います。
では何がいかんのかと言われると、特にケチのつけようがない作品だけに書くのが難しいのですが、例えばキャフェリー警部とフリー巡査部長に感情移入しにくいのはやや問題かもしれません(前作までを読んでいないからかもしれませんが)。キャフェリーはまぁぶっちゃけ平凡ですし、フリーは正直どういうキャラクターなのかよく分かりません。いろいろと背景に抱えているものがあるせいで、両主人公とも、読者とは少し距離を取ってしまっているように思います。
後半では事件について意外な真実が明らかになりますが、その見せ方もやや難アリかなぁと。また、終盤の展開が良くも悪くも大人しく片付いてしまうせいで、ベタというか、ありきたりの域を出ていない印象を与えてしまっているようにも思うのです。骨太の警察小説ではあるんだけど、あくまで見本的過ぎる印象に強く、これといって突出した要素を感じられませんでした。

とは言え、『喪失』が面白いのに間違いはないでしょうね。かなり書けている作品だけに、もう一歩期待してしまう、ということでしょうか。
なんでこんな感想になったのか考えると、たぶん似たような作品である『六人目の少女』を先に読んでしまったせいじゃないかな、と。あちらは、ほら、あんまり優等生的じゃないので……(ヘンですからね)。

書 名:喪失(2010)
著 者:モー・ヘイダー
出版社:早川書房
    ハヤカワ・ポケット・ミステリ 1866
出版年:2012.12.15 1刷

評価★★★☆☆
黒衣の花嫁
『黒衣の花嫁』コーネル・ウールリッチ(ハヤカワ・ミステリ文庫)

ジュリーと呼ばれた女は、見送りの友人にシカゴへ行くといいながら、途中で列車をおりてニューヨークに舞い戻った。そして、ホテルに着くと自分の持物からイニシャルをすべて消していった。ジュリーはこの世から姿を消し、新しい女が生まれたのだ……やがて、彼女はつぎつぎと五人の男の花嫁になった──結婚式も挙げぬうちに喪服に身を包む冷酷な殺人鬼、黒衣の花嫁に。巨匠ウールリッチの黒のシリーズ劈頭を飾る名作。(本書あらすじより)

うぉぉぉぉぉぉぉウールリッチすげぇ面白い!あんたは天才か!
『聖アンセルム923号室』『幻の女』しか読んでいなかった自分ですが、いずれも傑作でした。『黒衣の花嫁』もやはり傑作。代表作はいずれもきちんと傑作。なんと素晴らしい作家なんですか。

なんてったってまず話がべらぼうに面白いのです。謎の女(めちゃくちゃ魅力的なヒロイン)に、一見無関係に思われる男たちが次々と殺されていくという展開がもうひたっすら楽しいし、それを必死で追う刑事もいいし、とにかくべらぼうにカッコイイ小説。毎章毎章が必要最小限の言葉でキッチリまとまり、終わっていくのが素晴らしく良いんですよねぇ。天性の才能を感じます。読者を飽きさせまいと、毎回変化をしっかりと加えているのにも好感が持てるところ。そして第4部で、なかなか面白い繋がりが出てくるとともに、サスペンス感が一気に強まるわけですよ、激アツじゃないですか。
何よりもヒロインである「花嫁」が魅力の塊のような人で、殺人犯である彼女を読者は応援せざるを得ません。復讐の方法がまたいちいちカッコイイんですよ。これは(映画化されちゃいましたが)絶対に映像化出来ない作品のような気がします。三次元で見たら、とたんに魅力が薄れてしまうような。

しかし解説にあるとおり、決して欠点のない作品ではありません(『幻の女』も読み終わったあとこんな気分になった記憶が)。正直、最後の展開はちょっと気に入らないのですが、これはもしかしたら彼女に感情移入しすぎたせいでしょうか。刑事がここまでこの事件に執着する理由が別にないというのもやや問題かもしれません。ウールリッチはラストの説明がいちいち長いのか、『幻の女』と同様、必要な説明ではあるにもかかわらず、最後に蛇足っぽさをどうしても感じてしまいます。
でもま、これだけ面白けりゃ最後どうなろうがどうでもいいというか、ラストがちょっとアレでも気にしない、というのが本音です。ウールリッチファンを自称する人は、きっとこういう欠点も含めて愛おしくなるんでしょうね。

というわけで、ウールリッチすげぇぇな、と思わせられる一冊でした。まだまだ未読の長編だらけですし、短編集なんかも面白そうなので、じっくり読み進めていきたいところです。

書 名:黒衣の花嫁(1940)
著 者:コーネル・ウールリッチ
出版社:早川書房
    ハヤカワ・ミステリ文庫 10-4
出版年:1983.8.15 初版
    1989.12.31 4刷

評価★★★★★
キラーバード、急襲
『キラーバード、急襲』ウィリアム・ベイヤー(ハヤカワ・ノヴェルズ)

ニューヨークにヤバイ男が現れる。彼はハヤブサに若い女性を襲わせ、殺戮の限りを尽くすのだ。偶然巻き込まれた女性ニュースキャスター、パムの運命やいかに?必死で犯人を追うジャネック警部補は殺人を食い止められるか?そして日本から来たクマタカ使いはどうなる?(適当なあらすじ)

えーなんというか、ここまでアホな小説は久しぶりに読んだ気がします。表紙からしてまずアホっぽさが炸裂していますが。
とにかく話の内容は上記の通り。ハヤブサを使って人を殺す連続殺人犯が登場するという時点で既に意味が分からないというか、もうバカ丸出しのデビュー作としか言いようがないです。「エイック、エイック、エイック」という狂暴な啼き声をたてる怪鳥が現れ、スケートリンクにいた女性を襲うんですよ。キラーバードですよ。大爆笑ですよ。ひたすらツッコミを入れながら読みましょう。
基本的にオーソドックスなシリアルキラー物なのですが、あまりにバカバカしいし、読んでいて粗がかなり目立っているのがしんどいです。正直、何でこれがエドガー賞を取ったのかさっぱり分からないんですよねぇ(そうなんですよこれMWA長編賞なんですよ)。あくまで色物なので、うぉっハヤブサとか何それ気になる!って人だけ読めば今となっては十分でしょう。

突っ込みどころはたくさん。そもそも犯人がなぜ女性を襲うのかがよく分かんないし、ジャネック警部補がパムに惚れるのも何か都合いいし、話の7割近くを埋める鷹狩裏話とパムのテレビ局事情が非常にどうでもよくて退屈だして、とにかく欠点は少なくありません。日本から来たクマタカ使い・ナカムラとハヤブサのバトルとか、まぁめっちゃ楽しいですが、尺のばし的に感じられるのもまた事実。長編としてきれいに収まっていないのです。はっきり言ってそんなに面白くはないかなぁ。
犯人の正体は早々と明らかにされるのですが、これがそれほどマイナスポイントとなっていないのはちょっと意外。むしろ犯人側の様子をしっかり描けて良いんじゃないでしょうか。ハヤブサが女性を襲う場面は全体的にワケわからなすぎて超絶楽しく、殺人が行われるたびに読者のテンションが高まるので、まぁ部分部分で盛り上がるお話ではあります。
そして終盤、そんな上手くいくかよという感じで犯人の思惑通りにことが運んでいきます。ジャネック警部補は必死で犯人を追った後、衝撃的な場面を目にすることになるのですが……いやぁ、これは、結構びっくりしました。マジかようげげ、と唐突に話が終わっちゃうのです。良いかどうかはともかく。最後の最後まで頭のおかしい小説なのでした。

仁賀克雄さんによると、「日本ではそれほど評判にならなかった」らしく、『すげ替えられた首』以降注目されるようになったらしいです。というか『すげ替えられた首』は面白いらしいんです。ジャネック警部補ものということで、えっシリーズなのというマジかよ感も強いので、いつか読んでみたいですね。そういや扶桑社の『現代ミステリー・スタンダード』でもじゃネック警部補ものが1つ取り上げられていましたね……そんなに有名な作家だったの?

書 名:キラーバード、急襲(1981)
著 者:ウィリアム・ベイヤー
出版社:早川書房
    ハヤカワ・ノヴェルズ
出版年:1984.12.15 初版

評価★★☆☆☆
マーチ博士の四人の息子
『マーチ博士の四人の息子』ブリジット・オベール(HM文庫)

医者のマーチ博士の広壮な館に住み込むメイドのジニーは、ある日大変な日記を発見した。書き手は生まれながらの殺人狂で、幼い頃から快楽のための殺人を繰り返してきたと告白していた。そして自分はマーチ博士の4人の息子――クラーク、ジャック、マーク、スターク――の中の一人であり、殺人の衝動は強まるばかりであると。『悪童日記』のアゴタ・クリストフが絶賛したフランスの新星オベールのトリッキーなデビュー作。(本書あらすじより)

一時期は毎年のように訳されていたブリジット・オベールの処女作です。
フランスミステリにありがち(?)な、ワントリック&心理ものです。やっていることは面白いのですが、かなり反則気味であること、中盤がややダレることなどにより、手放しでは褒めにくい作品となっています。というか、欠点の方が目立っちゃってるんですね、はい。

殺人衝動を持つ男の日記、およびそれを偶然見つけてしまったメイドの日記が交互に語られていきます。日々書かれていく殺人犯の日記をメイドは読みながら、マーチ博士の四人の息子のうち、誰が殺人犯なのかを考えようとするのですが、次第に犯人もメイドが自分の日記を盗み見していることに気付き……というサスペンス仕立て。殺人者の日記と、メイドの日記では、訳者が違うのです。なかなか上手いことやったなぁと。
メイドが犯人の試みを阻止しようと奮闘し始めるあたりから物語に緊迫感が生まれてかなり面白くなるのですが、それまでは手記手記手記手記でちょっと(かなり)退屈。さらにこのメイドがいまいち頭が良くないせいで、終盤何だかよく分からない展開になってしまうんですよねー……この展開いるのかなぁ。デビュー作ということもあるとは思うのですが、単調かつメリハリのない展開は、正直いただけません。決してつまらなくはないだけにもったいないところ。

そしてラスト、驚愕の真相が明かされるわけですが……い、いやぁ、これは……伏線がなくはないとは言え、さすがに反則なのでは。自分はあんまりアンフェアとか言わない人ですけど、これはいくら何でも唐突過ぎます。「そ、そうだったのかー(棒)」って感じですよ、ちょいとちょいと。
それよりも、真相が明かされる前、お葬式のシーンの方がはるかに素晴らしかったですね。読者を一気にゾクッとさせる1文。これまで読んできた物語が全てひっくり返ってしまうような。……まぁ、その後の真相を読んで、悪い意味でひっくり返るというわけですが。

しかしこういうのを読むと、日本の新本格に最も近いのはフランスミステリ、という意見がなるほどなぁと思えてきます(そういうの抜きにして、『マーチ博士の四人の息子』は単に微妙な作品ですが)。一作ごとに大きく作風が違う作家らしいので、他のも読んでみるつもりです。

書 名:マーチ博士の四人の息子(1992)
著 者:ブリジット・オベール
出版社:早川書房
    ハヤカワ・ミステリ文庫 213-1
出版年:1997.2.28 1刷

評価★★★☆☆
濃紺のさよなら
『濃紺のさよなら』ジョン・D・マクドナルド(ハヤカワポケミス)

全長52フィートの、はしけ型の居住用ヨット〈バステッド・フラッシュ〉号─もめごと処理屋、または取り返し屋として知られるトラヴィス・マッギーの住み家である。金のあるうちは、酒、女、博奕で遊びほうけ、金がなくなると、やおら腰をあげて、生活費を稼ぎ出すのである。その仕事の内容は警察には言えないようなものがほとんどで、事件が片付けば、半分の分け前をもらう仕組になっている。その日もまた、新しい客があらわれた。名前はキャシイ・カー。マッギーは、金がなくならないと仕事を引き受けない主義だったが、今度ばかりは、女友達チューキー・マッコールのたっての願いもあって、重い腰をあげることにした。
キャシイは涙ながらに訴えた─彼女の父は第二次世界大戦中、ある不正な方法で大金を儲けた。だが、父は除隊した後、酔っ払って人を殺した。今は終身刑で服役中だが、その間に、キャシイにジュニア・アレンという男が近づき、キャシイを手もなく籠絡してしまった。そして、キャシイの父の大金を捜しあてると、直ちに逐電した。そこで、アレンを捜し出し、盗んだものを奪い返して欲しいというのだったが…… 現代のロビンフッドと異名をとるトラヴィス・マッギーのスリリングな冒険! カラー・シリーズ第3弾!(本書あらすじより)

カラー・シリーズ第3弾、とあらすじにはありますけど、これはあくまで紹介順の話であって、トラヴィス・マッギーシリーズとしては第1作にあたります。タイトルに必ず色が入っているので「カラー・シリーズ」ですか、その言い方聞いたことないんですけど。
いや、全く油断していました。しょせん広く読まれた感じのゆるハードボイルドだと思っていたんですよ。いやその通りなんですけど、これは傑作です。不覚にも感動してしまいました。トラヴィス・マッギーがね、もうね、ただただかっこいいのです。

話は極めてシンプル。ジュニア・アレンという卑劣でろくでもない男にひどい目に合わされた女性が、マッギーのもとに相談に来る。マッギーはくそったれアレンが何をしていたのか探り出す。そして取られたものを取り返すべく、マッギーはアレンと対決する。以上。
「取り返し屋」というか、まぁ何でも屋みたいなトラヴィス・マッギーは、ヨットに住み、金がなくなると仕事を受ける、という、タフなプレイボーイ。彼はめちゃめちゃいい奴なのです。根が心底優しいし、面倒見がいい。どうしようもなく人間臭い。あぁもうカッコイイなぁ。
読んですぐ気付くのが、一人称小説で、地の文での彼の一人語りが多いこと。思うに彼は随分と分析的に物事を見られる人なのですね。ついでにロマンチスト。だから、つらつらと考えを述べるわけです。話の進行上確かにいらない部分ではあるのですが、しかし読者はそんな彼に感情移入せずにはいられません。彼の考えがよく分かるからこそ、彼の行動にもますます惹かれてしまうというか。

そして敵役が非常に明確。女をボロボロにするクズ、アレンです。こいつを何とかする、という目的が最初からあり、話の筋が実にはっきりしています。話が進めば進むほどアレンがクズであることが分かるのでなおさら。被害者女性のかわいそうなことったらありません。そんな彼女達に対して優しいマッギー。
当然のことながら、終盤、マッギーとアレンの対決となります。まさにタフファイト。アレンの衝撃的な退場。胸を打つラスト。マッギーは、優しい故に傷付きやすいのですね……何これ、俺、泣いちゃうよ。

というわけで(?)、非常に面白かったです(ちと褒めすぎな気もするけど気にしない)。中盤がややダレるかもしれませんが、まぁ語りが充分面白いので許容範囲内かな。これはもう、シリーズの他の作品も読むっきゃないですね。ってどれを読めばいいの。
ジョン・D・マクドナルドは、『37の短篇』に収録されている「懐郷病のビュイック」がめっちゃ面白かった(ユーモアの感じがドストライクだった)ので、ためしに『濃紺のさよなら』を買っただけなのですが、大正解だったと言わざるを得ません。トラヴィス・マッギーシリーズに詳しい方、ぜひともおすすめ作品を教えてください。あとはノンシリーズ作品もいろいろあるんですよね……いっやぁ楽しみ。久々に良い作家を見つけてしまったようです。

書 名:濃紺のさよなら(1964)
著 者:ジョン・D・マクドナルド
出版社:早川書房
    ハヤカワ・ポケット・ミステリ 1004
出版年:1967.10.15 初版
    1983.2.15 2版

評価★★★★★
クライマーズ・ハイ
『クライマーズ・ハイ』横山秀夫(文春文庫)

1985年、御巣鷹山に未曾有の航空機事故発生。衝立岩登攀を予定していた地元紙の遊軍記者、悠木和雅が全権デスクに任命される。一方、共に登る予定だった同僚は病院に搬送されていた。組織の相剋、親子の葛藤、同僚の謎めいた言葉、報道とは――。あらゆる場面で己を試され篩に掛けられる、著者渾身の傑作長編。(本書あらすじより)

まぁ無理やりこじつけない限りはどう考えてもミステリではないですけど、何しろ作者が横山秀夫ですから、気にせずこのタグでいきましょう。
というわけで久々の国内小説です。母親が読んで、とにかく面白いから読め、と言われたので読んだのですが。

まー確かにすごいです。新聞記者の物語ですが、舞台は現場ではなく、あくまで新聞を作る編集部内。しがらみやら人情やらを絡めつつ、御巣鷹山飛行機墜落事故という一世一代の大事件にかじりつく記者たちの姿が生き生きと描かれます。
この主人公の悠木さんというのが、いやいい人なんですけどね、やることなすこと全部裏目に出るというもう実にどうしようもない感じ。生き方が不器用なんです。というわけで読んでいてなかなか辛いものがあるのですが、しかしそれでもグイグイと読ませます。横山秀夫は(もちろん)まだ読んだことはないのですけど、すごい作家なんだなぁと思わせられるものを確かに感じました。

余韻というか、ある種スッキリしない終わり方も含め、よく練られた傑作であることは間違いないでしょう(というあっさり目の感想で逃げる)。

書 名:クライマーズ・ハイ(2003)
著 者:横山秀夫
出版社:文藝春秋
    文春文庫 よ-18-3
出版年:2006.6.10 1刷
    2008.7.10 10刷

評価★★★★☆
ガストン・ルルーの恐怖夜話
『ガストン・ルルーの恐怖夜話』ガストン・ルルー(創元推理文庫)

フランス・ミステリ界を代表する巨匠が贈る、世にも怪奇な物語集。片腕の老船長が語る奇怪な話「胸像たちの晩餐」、コルシカの復讐譚に材をとった「ビロードの首飾りの女」、結婚相手が次々と怪死を遂げる娘の物語「ノトランプ」など、いずれ劣らずなまなましく人間心理の闇を描いて、読む者を戦慄の世界へ誘う。恐怖ファン必読!(本書あらすじより)

恐怖ファン必読!と言われても自分は恐怖ファンじゃないので何とも言えないのですけど、とにかくサークルの先輩のおすすめにより読んでみた次第です。ホラー短編というより、奇譚、もしくは怪奇譚という感じ。全体的に淡白に仕上げられています。都会的な健康さを持つ話もあれば、非文明的な世界の話もあったりと様々。
ただ、総じてちと印象に残りにくいんですよねぇ。おそらく読んだら絶対忘れないであろう「胸像たちの晩餐」は、確かに一歩抜きん出ているように思います(これは奇譚)。それ以外では、ミステリとして良く出来ており面白い「ノトランプ」、妙にユーモラスな「ヴァンサン=ヴァンサンぼうやのクリスマス」が良かったかな。

……けどやっぱり、そのサークルの某先輩がやたらと興奮していたのは何ともよく分かりません。こういう合理的な解決のつく恐怖譚というのが、三津田信三には受けるらしいです。うーん。あとこの本はホラーファンの中でもかなりの人気のようで、まぁやっぱり自分にはちと分かんねぇな、というのが正直なところですね、えぇ。

ちなみに収録されている短編がどうもまとまりがないので、書誌情報を調べてみたのですが、何だか錯綜していてよく分かりません(分かりませんばっかり)。1920年代に発表された短編を1つにまとめた……ってことでいいのでしょうか。原題となっている『Histoires Epouvantables』が1977年にフランスで出版されているけど、こちらは6編しか収録されていませんし(ような気がする)。明らかに付け足し臭い、後ろの2編が、やっぱり付け足しなんじゃないかな、ってとこでしょうか。どのみちルルーによりまとめられた短編集ではないということですね。

以下個別の感想です。


「金の斧」
わりとありふれた話ではあるのですが、語り口がいかにも怪談調のせいか、面白く読めます。この手の話をエリンも扱っていましたが、あちらは真逆なわけで、なかなか興味深いですね(ネタバレになるのでどの話かは言えない)。

「胸像たちの晩餐」
読んでいる間、だんだんとタイトルの意味が分かって来る作品。ストーリーそのものより、話の進行上明らかに不要な四人の船乗りの方が不気味に感じられるのはなぜなのでしょうか。女主人の存在がまた絶妙。しかしよくあるテーマではあるのですが、ちゃんと動機付けがなされているのは上手いですね。

「ビロードの首飾りの女」(1924)
この人の「恐怖夜話」って、超自然的なことが起こったように見せかけながら最終的にかなり合理的な結論を出すもの、を言うのでしょうか。面白いです。でもまぁ、20数ページにまとめた方がいい気がしますね、ちと長いです。

「ヴァンサン=ヴァンサンぼうやのクリスマス」(1924)
おいオチぃ!!!「恐い話」の意味がなんか変わってきてる気がするぞ大丈夫ですかこの短編集(やっぱりまとまりに欠ける)。話を聞いている船乗りたちの発言がいちいち差し込まれるなど、この短編はちょっと意図的にユーモア成分が多いようです。

「ノトランプ」(1924)
怪奇というより、非常にミステリらしい短編。何しろ意外な犯人までいるわけだし。この手の話は長さを気にせず読めるからいいですね。なおかつ、語り手が渦中の人間なので臨場感があります。良作。

「恐怖の館」(1925)
紛れも無く恐怖話。茶々がほとんど入らないことからも、作者が真面目に恐怖話をやってることが分かります。何よりシチュエーションが不気味過ぎですね(死んでもこんな宿泊まりたくない)。捻りもきいていて、なかなか良く出来ている作品です。

「火の文字」
本短編集で、初めて、非合理的な話が登場。悪魔とかそういうやつ。ただ、これだけ短い話で、エピローグをわざわざ分けた理由が分かりません。話自体は普通でしょうか。語り手(ルルー)が体験した話、として書かれているのはこれだけです。

「蝋人形館」
この話だけ、明らかに三人称視点が強く意識されています。話自体は割合ありふれていて……というかありきたり。意外性もほぼなし。最後に持ってくるにはちと弱いかなぁ。

書 名:ガストン・ルルーの恐怖夜話(1977?)
著 者:ガストン・ルルー
出版社:東京創元社
    創元推理文庫 530-1
出版年:1983.10.21 初版
    1990.11.9 15版

評価★★★☆☆
ベンスン殺人事件
『ベンスン殺人事件』ヴァン・ダイン(創元推理文庫)

ウォール街の悪徳株式仲買人アルヴィン・ベンスンの怪死をめぐり、多すぎる容疑者の中から独自の心理的探偵法によって真犯人を指摘する名探偵ファイロ・ヴァンス。本書はアメリカにおける本格推理長編の黄金時代の幕開けを告げた記念すべき作品であるとともに、美術評論家ウィラード・ハンティントン・ライトがヴァン・ダインの筆名の許に発表した全長編中の歴史的な第一作である。(本書あらすじより)

ヴァン・ダインを読むのがどれくらい久々かというと、この記事を書くために新しく「ヴァン・ダイン,S・S」のカテゴリを作らなくてはいけなかったほどなのですが、調べてみるとなんと2008年に『僧正殺人事件』を読んで以来でして、あとはそれより前に『グリーン家殺人事件』を読んだっきりで、ヴァン・ダインなんて古びた作家なんか知るかという感じだったのですけど、なんと今年『ベンスン殺人事件』が新訳で復刊されてしまい、そうなると積んでいる『ベンスン』が実にわびしいことになってしまうので、慌てて読んだのでした(前置き長い)。

いやもうなんというか、あらすじにある「歴史的な第一作」以上のものではないというか。
本当ならば新訳を読んでちゃんと評価すべきなんでしょうけど、でもまぁしかしこれは、はっきり言って凡作です。古典ミステリの良くないところが片っ端から出てしまっているのです。全体的に退屈で、これといったカタルシスもありません。もはや現代では厳しいでしょう。

『グリーン家』『僧正』は知能的な連続殺人犯vs天才ファイロ・ヴァンスという話ですが、『ベンスン』はあくまでヴァンスの名探偵ぶりを示すためにのみ書かれている作品です。彼の心理的・論理的な(と作者が言っている)推理が見所。故に警察はこの上なく無能(無個性ではない)にならざるを得ません。冒頭で「私」が語るように、ヴァンスの登場は警察の捜査をまるっきし変えることになったらしいのですが、つまりこの時点で警察はもうどうしようもなくアホで、ヴァンスにドヤ顔で「関係者のアリバイを調べてみたまえ」なんて言われちゃうし、ヴァンスは現場に入って即座に真相を見抜く(けど言わない)ようなムカつく探偵像になってしまうのです。
さらに、事件は警察が安易な結論に飛びつきやすいよう、平凡で単純でなければならず、連続殺人などもってのほか、ただただよくありそうな殺しが扱われることになってしまいます。ヴァンスの推理も、初歩的なものに留まるのですが、まぁしかし言われてもはぁそうですかとしか言えないようなつまらない事件とつまらない推理を延々と聞かされて読者は楽しいかといえばそんなこともなく。ダシール・ハメットは「ごく基本的な警察捜査の手順に従うことを許されれば、当局はすぐに謎を解き明かす事が出来ただろう」とヴァン・ダインの作品をこき下ろしたそうですが、『ベンスン』に関してはまさにその言葉がピッタリきすぎてつらいです。真相解明シーンも意外性をそもそも狙っておらず、あくまでヴァンスの頭の良さを示すように書かれているせいで、驚きはほとんどありません。どっちかというと人間ドラマ寄りに描かれているのかな(そこはまぁ面白いと思いますけど、でも不徹底だからねぇ)。

中島河太郎氏の解説によると、こうした描き方に限界が生じたため、3作目(『グリーン家』)以降作風が変化していくことになるらしいです。凡庸な事件を天才探偵が余裕で解くような話ばっか書いてもしょうがないということですね。ってことは『カナリヤ殺人事件』もこんな感じなのかしら(うぇぇぇぇ)。とにかく『ベンスン殺人事件』の新訳ではたしてこの作品の評価が変わるものなのか、なかなか興味の尽きないところではあります。
なお、『ベンスン殺人事件』は1926年。そしてヴァン・ダインと同時期にアメリカで書かれたE・D・ビガーズのチャーリー・チャンシリーズ第一作『鍵のない家』は1925年。ヴァン・ダインは、ビガーズみたいなのの対極を目指したかったんでしょうけど、個人的には謎解きにとどまらずプラスアルファ要素を楽しめるビガーズの方が圧倒的に面白いでしょ、と思ってしまいます。

書 名:ベンスン殺人事件(1926)
著 者:ヴァン・ダイン
出版社:東京創元社
    創元推理文庫 103-1(Mウ-1-1)
出版年:1959.5.5 初版
    1985.11.8 48版

評価★★☆☆☆☆
かくてアドニスは殺された
『かくてアドニスは殺された』サラ・コードウェル(ハヤカワポケミス)

オックスフォード大学のテイマー教授にはとても信じられなかった。リンカーンズ・イン法曹学院きってのあわて者弁護士ジュリアが、たった一人でヴェネツィアに旅立ったとは。何しろ生まれ育ったロンドンで、二週間に一度は迷子になる子供のような女性なのだから。よくよく聞くと、彼女は重税に苦しめられ、気分転換にと海外ツアーに参加したらしい。同僚は、不安を抱きながら彼女を送り出していた。
数日後、その不安は現実のものとなった。ジュリアが留置されたというニュースがテレックスではいったのだ。ツアーの仲間、内国税局局員のネッドを、ホテルで刺殺した容疑がかかったらしい。一方で、はるかイタリアからジュリアののんびりした手紙が次々に届き始めた。彼女はネッドを女神アフロディーテに愛された美青年アドニスになぞらえ、彼に一目惚れした様子を書き綴っていた。いくら税金に悩んでいるとはいえ、収税吏だという理由で好きな男を殺すだろうか? 学究の徒テイマー教授は探偵に早変り、ジュリアの手紙を基に、真相追究を始めた。ミス・マープルや隅の老人の向こうを張って安楽椅子探偵となった教授の推理とは?
機智に富んだ会話、ギリシャ神話等を巧みに織り込んだ知的な文体、謎解きの妙味……英国ミステリらしい魅力に満ちた、才知溢れる女流新人の堂々たるデビュー作!(本書あらすじより)

さぁ、ついに最後のコードウェルになってしまいました。4作しかないとか非常過ぎます。うぅぅぅぅ、もっと読みたかったぜ。
読む順番としては最後になってしまいましたが、コードウェルのヒラリー・テイマー教授シリーズとしてはこれが第一作です。イタリアに旅行に出かけたジュリアが殺人容疑で捕まってしまい、送られてくる手紙をもとにテイマー教授が真相を推理する……という、二作目以降と全く同じ展開となっています。
相変わらずのふんだん(すぎる)英国ユーモアに乗せて英国本格ミステリが炸裂。いやはやめっちゃ笑えます。ミステリ部分も、そこまで凝ったものではないけどよく練られていますし、さらには読書しながらヴェネツィア観光も出来てしまうというお得な一冊です。これはおすすめ。

コードウェルは手紙の使い方がすぺさるに上手い作家で、伏線としても笑いどころとしてもバンバン手紙文を出してきます。読んでいてそれがめちゃくちゃ楽しいのですね。はっきり言って地の文より手紙の方が圧倒的に面白いとすら言えます。デビュー作ということで気合が入ったのか、ヒラリー・テイマー教授物4作のうち、もっとも笑える要素が多い作品なんじゃないですかね、これは。
というのも、本書の前半で手紙を書いているのがジュリアなのです。ジュリアは何かにぶつからずには歩けないというスーパー天然淫乱美女。『かくてアドニス~』を読んで彼女のファンにならない読者がいましょうか、いやいません。もうジュリアを知るために読めと言いたいくらいです(ちなみにジュリアファンには4作目の『女占い師はなぜ殺される』もおすすめですね)。
コードウェルの作品は手紙により事件の様相が現在進行的に語られていくのですが、それの何がいいって、容疑者の尋問だとかアリバイ調べだとか、そんな描写を一切入れずにすむ、ということでしょう。事件発生までが何よりも面白く楽しく読めてしまうのです(しかもさりげなく伏線込みで)。この面白さにはまったアナタは、病みつきになって4作全てを読んでしまうこと間違いなし。

真相はやや唐突かな、とも思いますが、まぁでもきちんと意外性があるし、その真相解明までがまた面白いので、本格ミステリとしても良いんじゃないでしょうか。だからつまり、クスクス笑いながらミステリ読みたい人はサラ・コードウェル読みましょうってことですよ。

あくまで個人的な印象で言うと、1年に1冊ペースで読んだからずいぶん胡散臭い印象ですが、『セイレーンは死の歌をうたう』≧『女占い師はなぜ死んでゆく』>『かくてアドニスは殺された』>『黄泉の国へまっしぐら』ですかねぇ。『女占い師』はまだ絶版になっていないので今のうちにぜひ。ゼロ年代本格ベストだか何だかにも選ばれていたはずです、たしか。

というわけで、これでヒラリー・テイマー教授シリーズはおしまい。名残惜しいです。あとは短編が1つくらい訳されていたはずなので、何とか探し出して読みたいものです。

書 名:かくてアドニスは殺された(1981)
書 名:サラ・コードウェル
出版社:早川書房
    ハヤカワ・ポケット・ミステリ 1441
出版年:1984.11.30 1刷

評価★★★★☆
ケンブリッジ・シックス
『ケンブリッジ・シックス』チャールズ・カミング(ハヤカワ文庫NV)

キム・フィルビーら5人のケンブリッジ大学卒業生がソ連のスパイだったことが発覚し、英国は大打撃を受けた。だが彼らのほかに、もうひとり同時期に暗躍していたスパイがいたという。歴史学者のギャディスは親友の女性ジャーナリストからこの人物に関する本の共同執筆を提案されるが、その女性が急死し、彼は後を継いで調査を開始する。が、やがて国際情勢を左右する事実が明らかに!巧妙に構築されたスパイ小説の力作。(本書あらすじより)

どう考えても『エニグマ奇襲指令』と続けてよむべきハヤカワ文庫NVではありませんでした……いやだってつまり名作のあとに読むのはねぇ、ちょっとねぇ。

隠された過去を暴こうとする歴史学者が、国際的な陰謀に巻き込まれ、各所から命を狙われたりなんだりする話。一気読みという感じではないけど、飽きずにしっかり読ませます……ただ、正直、これで終わっちゃうの?という物足りなさを感じてしまうのです。
ストーリーは終始面白いんです。カネのため、やがて仇討ちのために真実を追い求める主人公ギャディスは、そんなに魅力はないけどちゃんと説得力のあるキャラクター。陰謀もほどほどに複雑で、意外な事実を小出しで提示していき読者の注意を引き続けるのも上手いと思います。

そう、あんまり良くないのは、終始「意外な事実」を出してくるくせに、陰謀の全貌がそんなに意外じゃないことかなぁ。ふーん、というか、むしろ唐突に終わってしまったというか。そこがもったいないのです。最後もうちょっと盛り上げて欲しいのです。ラスト前はかなり盛り上がっていて楽しかったんですけどね。だんだんSISが前面に出てきてバトル展開になっていったり、かなり命の危険を感じるような状況になったり、ギャディスが必死になっていつの間にか自然にスパイっぽく行動していたりと、かなり良いと思うんですけど。でもやっぱり物足りないよね。

ところが最終章、これは素晴らしかったんですよ。読み終えてこのニヤリとしてしまう感じ、やるじゃねぇかカミングさん、という感じ。ここはしっかり褒めたい……何だこの中途半端な感想は。

というわけで、やはりあと一歩なのでしょう。チャールズ・カミングの作品は今年もう一作出版される予定(だった気がする)らしいので、そちらをとりあえず楽しみにしておきましょうか。

書 名:ケンブリッジ・シックス(2011)
著 者:チャールズ・カミング
出版社:早川書房
    ハヤカワ文庫NV 1275
出版年:2013.1.15 1刷

評価★★★☆☆