泥棒成金
『泥棒成金』デヴィッド・ドッヂ(ハヤカワ・ミステリ)

ロビーは二階の寝室から、闇に沈んだ庭を見下ろした。いつもと変わらぬ静かなニースの夜だ。が、彼の鋭い眼は、じっと息をひそめているいくつかの影を見逃さなかった。警察がついに彼を捕まえにやってきたのだ! しかし、今捕まるわけにはいかない─意を決したロビーは、テラスから一気に跳躍し、信じられない身軽さで木を伝うと、闇の中に姿を消した……。
かつて、その手口から“猫”とあだ名された宝石泥棒ジョン・ロビー。彼は一度捕えられたものの、戦時中のレジスタンス活動を認められて特赦となり、その後は足を洗って悠々自適の生活を送っていた。だが、今、彼は再び警察に追われていた。最近、”猫”とそっくり同じ手口の宝石盗難事件が相次ぎ、その嫌疑が彼にかけられたのだ。身に覚えはないものの、警察が彼の言葉を信じるはずがない。ロビーは、無実を証明するため、自分の手でにせ”猫”を捕えることを決意した。ちょうどカンヌには、アメリカの大金持、スティーヴンス夫人が滞在中だった。彼女の有名な宝石を狙って、にせ”猫”は必ず姿を現すに違いない――かくして、アメリカ人観光客に変装したロビーは、日増しに厳しくなる警察の追求の眼を逃れ、真夏のカンヌに乗り込んだ!
華やかな高級リゾート地カンヌに展開される息詰まる追跡劇。ヒッチコック映画化の傑作サスペンス。(本書あらすじより)

面白いらしいとは聞いていたのですが……こ、このやろう、マジで面白いじゃねーか……。
『地下室のメロディー』みたいな(それより10年は前だけど)、フランス(作者アメリカ人だけど)泥棒物(主人公は盗もうとしてないけど)シャレオツ犯罪小説という感じで、いやー面白かった! 昔のポケミスはこれだから侮れません。

第二次世界大戦前のフランスにおいて伝説的な泥棒『猫』であった主人公ジョン・ロビー。レジスタンス活動を経て、今ではすっかりフランスで悠悠自適の足を洗った生活を送っています。ところが再び『猫』と思われる泥棒が活動を再開。ジョンは自らの安寧な生活を守るため、偽物の『猫』を追い始めます。
かつての泥棒仲間と共に偽『猫』を追うジョン。しかしジョンの親友であった貴族や警察署長も、『猫』の活動再開を見てジョンが再び泥棒に戻ってしまったのかと勘違いし、ジョンと敵対してしまいます。果たしてジョンは『猫』を捕まえられるのか、そして偽『猫』の正体は……?というのが大まかなあらすじ。

主人公ジョン・ロビーは超良いやつなのですが、ラブコメの主人公並のにぶちんで、かつ「どうせ自分のことを説明しても理解されないし」と説明を放棄して親友と敵対してしまうという、どうしようもなく人付き合いが苦手な人です。『泥棒成金』は、泥棒の生き様と共に、友情を描いた物語でもあるんですよね。
登場人物それぞれの「存在の理由(レエゾン・デエトル)」が裏テーマとなっていて、金持ちの夫人の娘、妻を亡くした融通のきかない貴族、何より泥棒の世界と堅気の世界の狭間で生き方に悩む主人公が、ラスト各々の「存在の理由」を見出すことになります。もう、実にかっくいいのです。言っていいと思いますが、これぞ大団円!というエンディング。

そして元泥棒が泥棒を追うというメインのストーリーもなかなかの出来栄え。はっきり言って内容自体はかなりシンプルな中で、いろいろと出来事を重ねることによって長編としてしっかり作り上げているのは上手いなぁ。最後の登場人物を総動員した結末は見事という他ありません。

意外、とまではいかないけど偽『猫』の正体などもしっかり作ってあり、とにかくエンタメとして隙のない良作だと思います。HPB1500番の時に復刊されたようですが、これは文庫化するべきだたかも。映画も評判が良いですし(実際、映画化向きの内容だと思います)、機会があればそちらもぜひ観てみます。

原 題:To Catch a Thief(1952)
書 名:泥棒成金
著 者:デヴィッド・ドッヂ David Dodge
訳 者:田中融二
出版社:早川書房
     ハヤカワ・ミステリ 223
出版年:1995.11.30 1刷
     1987.12.31 4刷

評価★★★★☆
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死はわが隣人
『死はわが隣人』コリン・デクスター(ハヤカワ・ミステリ文庫)

オックスフォード大学学寮長選挙のさなか、住宅地で殺人事件が発生。テムズ・バレイ警察のモーズ主任警部は、血の海に横たわる女の死の謎を追い始めた。一癖も二癖もある隣人たちの錯綜する証言から、やがて殺人事件と学寮長選挙との意外な関係が明らかに。だが、その矢先、モースは病に倒れた。苦痛に耐えながらたどり着いた、混迷の事件の真相とは? 現代本格ミステリの最高峰、モース主任警部シリーズついに佳境へ。(本書あらすじより)

デクスター追悼再読。最後は、デクスターで一番好きな作品で、マイ再読欲求度ナンバーワンの『死はわが隣人』です。これも高1以来なので9年以上ぶり。
もうね、この作品を楽しく再読できてしまうあたり、自分はモースの妄想推理とかどうでもいいんだなということがよく分かりました。キャラ萌えと言われようが何だろうが、『死はわが隣人』は最高なのです。

学寮長選挙をめぐる殺人事件自体は、中盤の転換が面白いとは言え全体的には薄味。モースの推理も大胆な仮設が登場するわけでもなく、結構いきあったりばったりに解決しているに近いです。トリックもまぁこんなもんだろうと。つまり本格としては並か、下手するとそれ以下かもしれません。少なくとも中期までのデクスターに及ばないことは確か。
ただ、コリン・デクスターといえば不倫によって事件が起きるわけですが(そのせいでイギリス人は基本的に浮気しているという理解が高校生の頃の自分の中に爆誕した)、まぁその頂点のような話なんですよね。学寮長候補2名とその妻の描き方がすごく好き。これも初期の頃には見られないキャラクターだと思います。

さらにモースとルイスという、実は今までその仲をきちんと描いていなかった2人の関係が、『死はわが隣人』でようやく示されるのです。モースとルイスのお互いに関する気持ちについて、内面に踏み込んだ描写がされたことがこれまであまりないんですよね。ところが今作、モースが糖尿病でガタガタになる中で、秘書(この人のエピソード好き)や上司であるストレンジ警視、シスター・マックイーンといった脇役の活躍によって、モースという人間がようやく描かれたという感じ。
だから何回読んでもラストには感動してしまいます。モースの身勝手さとルイスの人の良さが、知り合って15年くらいを経たシリーズの中でようやく噛み合うんですよ。モースのツンデレっぷりがやっと発揮されるわけですよ。だから、この作品が、シリーズの中で、一番好きなんです。

『死はわが隣人』という当初のシリーズ完結作が、このあと読者の要望によって『悔恨の日』という完結編へとつながっていくわけですが、『死はわが隣人』でモースとルイスの関係がきちんと描かれた後でないと『悔恨の日』は成り立たないんですよねぇ。とにかく、このシリーズの集大成のような作品なのは間違いないです。うーん大好きだ。追悼再読はこれで終わりにしますが、近いうちに『悔恨の日』も再読しましょう。

原 題:Death is My Neighbour(1996)
書 名:死はわが隣人
著 者:コリン・デクスター Colin Dexter
訳 者:大庭忠男
出版社:早川書房
     ハヤカワ・ミステリ文庫 148-13
出版年:2001.12.15 1刷

評価★★★★★
ジェリコ街の女
『ジェリコ街の女』コリン・デクスター(ハヤカワ・ミステリ文庫)

モース警部がジェリコ街に住む女アンに出会ったのは、あるパーティの席上だった。すっかり意気投合した二人は再会を約すが、数ヵ月後、彼女は自宅で首吊り自殺を遂げた。はたして本当に自殺なのか? モースにはどうしても納得がいかなかった。やがてアンの家の近所で殺人事件が起こるにおよび、モースの頭脳はめまぐるしく動き始めた。前作に続き英国推理作家協会賞シルヴァー・ダガー賞を連続受賞した傑作本格ミステリ。(本書あらすじより)

コリン・デクスター追悼再読第2弾。前回は初期の代表作だったので、今回は(デクスター好きにはおなじみ)中期の代表作『ジェリコ街の女』です。高1の冬以来なので9年ぶりですが、記憶通りめちゃくちゃ良い作品でした。うーん、実に素晴らしい。

まず『キドリントンから消えた娘』から続けて読んで感じたのですが、圧倒的に文章が上手くなっていますね。プロローグだけでも分かりますし、章頭の引用文のセンスも増しています。ちょっと突き放したような、皮肉とユーモアたっぷりの余裕のある文章となっていて、いかにもなデクスターっぽい雰囲気が完成したのかなと。
また、ミステリとしての作風も変化しています。『ウッドストック』から『死者たちの礼拝』までは、とにかく推理をこねくり回すタイプの試行錯誤推理が大きな特徴でした。ただその後の数作は、妄想推理をやや減らして、その分大ネタを仕込むようになっているのです。だからきっちりまとまっていてすごく程よく楽しめるんですよね。『ウッドストック』や『キドリントン』なんかよりよっぽどスタンダードでおすすめしやすい英国ミステリなのかなと思います。『ジェリコ街の女』とか、『謎まで三マイル』とか、『別館三号室の男』(これも再読したい)とか。
いやーしかし、トリックを忘れていたこともあり、今回も素で楽しめました。『ジェリコ街の女』のトリック自体は綱渡りすぎるから絶対上手く行かないだろうなとは思うのですが、それでも初読時はかなり驚いた記憶があります。この綱渡りっぷりをごまかすのがモースの妄想推理でもあるわけで、さらに押し進めると『謎まで三マイル』になるのかな。ニクい作風だぜ。

ちなみにこれは後期の作品に関わることですが、この頃からモースは事件の中でトリッキーな役回りを演じ始めるんですね。要するに客観的に捜査するだけではなく、事件をややこしくさせるのにモース自身が一役買い始めるのです。この要素が、『森を抜ける道』とか『悔恨の日』あたりで爆発するようになるのかなと。

というわけで大満足の再読となりました。非常に初デクスター向きの作品だと思います。モースとルイスのキャラが関係が出来上がってくる、なんて要素もあるのですが、この2人については次の『死はわが隣人』の感想でまとめることにします。

原 題:The Dead of Jerich(1981)
書 名:ジェリコ街の女
著 者:コリン・デクスター Colin Dexter
訳 者:大庭忠男
出版社:早川書房
     ハヤカワ・ミステリ文庫 148-5
出版年:1993.03.31 1刷
     1994.12.31 4刷

評価★★★★★
キドリントンから消えた娘
『キドリントンから消えた娘』コリン・デクスター(ハヤカワ・ミステリ文庫)

二年前に失踪して以来、行方の知れなかった娘バレリーから両親に無事を知らせる手紙が届いた。彼女は生きているのか、としたら今はどこでどうしているのか。だが捜査を引き継いだモース主任警部は、ある直感を抱いていた。「バレリーは死んでいる」……幾重にも張りめぐらされた論理の罠をかいくぐり、試行錯誤の末にモースが到達した結論とは? アクロバティックな推理が未曾有の興奮を巻き起こす現代本格の最高峰。(本書あらすじより)

引っ越しが終わりまして、先ほどインターネットもようやく開通したので、ブログを再開します。
さて、デクスター追悼のための再読、1冊目は初読時に全く楽しめなかったシリーズ2作目『キドリントンから消えた娘』です。『ウッドストック行最終バス』に次いで日本では評価が高い作品です。
読み終わってから見事に思い出しましたが、そうだそうだ、8年前はこのモヤっとする終わり方がイヤであんまり印象が良くなかったんでした。とはいえ、今読むと別にそれほどイヤな終わり方でもないですね……っていうか記憶の中ではもっとイヤな終わり方だと思っていたんですけど、もっとマシなやつでした。

二年前に失踪した少女から手紙が届き、彼女の再捜索が始まります。殺人以外にそもそもあまり興味がないモースですが、彼女は既に死んでいる、という謎の確信を振りかざしながらルイスと共に事件に乗り出します。

この登場人物数と失踪少女の生死不明事件だけで400ページのややこしいミステリを作れてしまうところがデクスターなんだよなぁ。デクスターの有名な作風と言えば、特に初期作に顕著な、試行錯誤の推理と二転三転する推理と仮説を激しくスクラップアンドビルドする推理(全部同じ)なわけですが、その良さが十二分に発揮されているのが『キドリントン』なのだと思います。だいたい謎からして「失踪少女は生きている/死んでいる」という、「自殺/殺人」と並ぶ試行錯誤向きのテーマなわけです。普通こういう二択ミステリって、結局途中で立てられた仮説が真相に及ばず、ラスト失速することが多いのですが、かなり上手くどんでん返しを仕掛けているなと感心しました。

まぁ、再読向きの作品ですよねー。初読より確実に楽しめるミステリだと思います。二転三転をやり過ぎで、個人的にはもっとしゅっとしていたり遊びがあったりするデクスター(何だそれは)の方が好きなのですが、これはこれで悪くありません。悪くないっていうか良いです。
と、初期のデクスターの良さを再確認したところで、次は中期作、『ジェリコ街の女』を読みます。

原 題:Last Seen Wearing(1976)
書 名:キドリントンから消えた娘
著 者:コリン・デクスター Colin Dexter
訳 者:大庭忠男
出版社:早川書房
     ハヤカワ・ミステリ文庫 148-2
出版年:1989.12.31 1刷
     2001.05.31 10刷

評価★★★★☆
2017年3月21日、イギリスのミステリ作家、コリン・デクスターがお亡くなりになりました。86歳でした。

……いやもう、ほんと、ショックでして。レジナルド・ヒル、P・D・ジェイムズ、ルース・レンデルが亡くなった頃から既に覚悟していましたし、そもそも新作を出すこともなさそうでしたから、そんなに悲しくはならないだろうと思っていたんですが、全然そんなことなかったです。超悲しいです。たぶんこのブログをご覧になっている皆さんの想像の3倍くらいはショック受けています。
自分の一番好きな作家はアガサ・クリスティーなのですが、その次に好きなのがデクスターなんです。存命の作家の中で一番好きなのがデクスターだったのです。小学生、中学生とひたすらクリスティーを読み続け、あらかた読み終わり、次に何を読めばいいのか……と迷っていた高校生の自分にぱっと英国ミステリの新たな楽しさを教えてくれたデクスター。それがついに……。心から、ご冥福をお祈りいたします。
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紙片は告発する
『紙片は告発する』D・M・ディヴァイン(創元推理文庫)

周囲から軽んじられているタイピストのルースは、職場で拾った奇妙な紙片のことを警察に話すつもりだと、町政庁舎(タウンホール)の同僚たちに漏らしてしまう。その夜、彼女は何者かに殺害された……! 現在の町は、町長選出をめぐって揺れており、少なからぬ数の人間が秘密をかかえている。発覚を恐れ、口を封じたのは誰か? 地方都市で起きた殺人事件とその謎解き、著者真骨頂の犯人当て!(本書あらすじより)

お久しぶりです、引っ越しと新しい仕事の準備でめちゃ忙しい吉井です。
さて、自分の好きな作家トップ5に入るかもしれないD・M・ディヴァインが新たに翻訳されたので、発売日に早速買ってきました。『災厄の紳士』の前年に書かれた後期の作品になります。もうあと未訳が2作しかない……つらい……。

ストーリーはあらすじを読んでの通り。誰からも相手にされていないような若干イヤな性格の女の子が、地方選挙に関わるある秘密を知ったことで殺されてしまうという、王道中の王道のような殺人です。かつ、ディヴァインが初期の頃からかなり関心を持っていたと思われる地方政治物でもありますね。

そもそもディヴァインは地味な英国ミステリ作家なわけですが、今作はずば抜けて地味 of 地味。狭いコミュニティの狭い職場の中で、とりたててエキセントリックな登場人物も出さなければ派手な事件も起こさずに、超丁寧に犯人当てをやろうとする、それだけなんです。まぁ、だからこそ俺はディヴァインが好きなんですけどね!!(伝われ) 実際のところ、この殺人2つだけでどうやって350ページも持たせられるのか、読み終わったにもかかわらずさっぱり分からないんですけど……これぞ熟練の技術……。
お得意の多視点を使わず、殺人が起きた後の視点は終始主人公ジェニファーに置かれています。これはジェニファーという有能で物事をよく見ている女性が、「有能な女性」というポジションへの偏見や妬みと戦う様を描きつつ、実は彼女にも見えていないものがあったということを少しずつ明らかにしたいからでしょう。ディヴァインは好感の持てる女性もイヤな女性もどちらも上手く書ける作家ですが、今回の主人公はいつもより「戦う女性」感が強いですね。

本格ミステリ的な側面ですが、はっきり言って難易度は低めです。ディヴァインを読むのはかれこれ10作目になりますが、初めて証拠(の一部)込みで犯人を完璧に指摘できました。今回ははっきりとしたミスディレクションもないですし、証拠に気付くシーンも結構直接的ですし、何より終盤に露骨なヒントがすごい勢いで出てくる上に「何か見落としている気がする……」を猛プッシュするのでさすがに分かります。もちっと頑張れたんじゃないですかディヴァインさん。

全体としては何の問題もなく面白かったとはいえ、他と比べると中……の下……か……?くらいかなぁ。他が良すぎるんですよ。とはいえこの手のド地味本格ミステリの書き手が今やほとんど紹介されていないこともありますし、もう出来が良かろうが悪かろうが喜んで読ませていただきたい所存であります、はい。
さて、前回作ったランキングをもし更新するとするなら……だいぶいい加減なランキングになってきましたが、とりあえずこんな感じで。
『悪魔はすぐそこに』>『五番目のコード』>『ロイストン事件』>『災厄の紳士』>『跡形なく沈む』>『紙片は告発する』>『そして医師も死す』>>『兄の殺人者』>『ウォリス家の殺人』>>『三本の緑の小壜』
『こわされた少年』はまだまだ大事に取っておきます。もったいなすぎるので。

原 題:Illegal Tender(1970)
書 名:紙片は告発する
著 者:D・M・ディヴァイン D.M. Devine
訳 者:中村有希
出版社:東京創元社
     創元推理文庫 Mテ-7-9
出版年:2017.02.28 初版

評価★★★★☆
アイガー・サンクション
『アイガー・サンクション』トレヴェニアン(河出文庫)

すぐれた登山家にして大学教授、美術鑑定家、ジョナサン・ヘムロックは、パートタイムの殺し屋でもある。CIIのサンクション(報復暗殺)要員として莫大な報酬を得ている――サンクションの舞台はアイガー北壁、チームを組んだ登山隊のメンバーのなかに、対決しなければならない未知の目標がいる……。ソフィスティケートされた異色のスパイ・スリラーとして絶賛を浴びた大ベストセラー。(本書あらすじより)

トレヴェニアンといえば一作ごとに大きく作風を変えることで有名ですが、そのデビュー作となったのがこちらの『アイガー・サンクション』です。あらすじを見た瞬間鼻血が出そうなほど要素テンコ盛りの主人公が活躍するスパイ・冒険小説。何しろジョナサン・ヘムロックは若き大学教授(美学)であり、世界的に名の知れた登山家であり、さらにアメリカ情報機関の殺し屋でもあるんですよ、そして荒れ果てた教会を改装して自宅にして、その地下に闇で買い集めた絵画を並べまくり、その資金を得るために人を殺すんですよ、そんな彼がかつて友人を裏切って殺した宿敵も相手にしつつ、登山隊のメンバーの中に潜む敵を探りながらアイガー北壁に挑戦するんですよ。あらすじどうなってんだ。
というわけなので、エンタメとしては文句なしの出来なのは確か。そりゃあ面白いに決まってます。正直あのド傑作『夢果つる街』を書いた人と同じだとはとうてい思えないんですけど……。

盛りだくさん過ぎる主人公のキャラ設定に加えて、盛りだくさんすぎる相棒やらライバルやらのキャラ設定、またかというくらい登場する美女とのセックスシーン、どことなく作り物めいた組織とスパイっぽいやり取り(「ドラゴン」と呼ばれる色素欠乏症で常に暗闇の中にいる人物がボスなんだぜ)。これってもしかして、スパイ小説のパロディなのか、とすら思います。なんかもう意図的にやりすぎというか。

とはいえ(ある意味)バカっぽい設定だけの話ではありません。アイガーに挑む登山隊の中から殺しのターゲットを探さなければならないというミッションはまさにフーダニットなのですが、正直かなり意表を突かれました。このキレキレっぷりは褒めまくらざるを得ません。
あらすじ上はメインっぽいアイガー登頂シーンは、実は50ページほどしかありません。そこまでは別のスパイを相手にしたり、セックスしたり、久々の登山に備え修行をしたり(現役の登山家を引退して結構経つので、過去二度失敗しているアイガーに立ち向かうには相当な修行が必要なのであります)、セックスしたりで、いや早く山登れよ、みたいなところはありますが、逆にそのせいで緊張感を保ったままラストになだれ込めるのでこれはこれであり。登るまでの350ページも話が盛り沢山なので全然飽きないですしね。とはいえちょっと登山シーンの内容はあっさり気味かなとは思うので、冒険小説っぽいものは期待しない方がいいでしょう。

総じて傑作!みたいな感じではありませんが、エンタメとして一級品であることは間違いないでしょう。あらすじにピンと来た人はぜひ。続編の『ルー・サンクション』もいずれ読みます。


ところで、作中でこういうシーンがありました。
画像アイガー・サンクション
これ、要するに二視点を分けて書いているんですよ。翻訳小説でこういうことをしているのは珍しいなぁと。
ちなみに昔の河出文庫なので20行です。字が小さい……。

原 題:The Eiger Sanction(1972)
書 名:アイガー・サンクション
著 者:トレヴェニアン Trevanian
訳 者:上田克之
出版社:河出書房新社
     河出文庫 951A
出版年:1985.07.04 初版

評価★★★★☆
バーナビー・ラッジ
『バーナビー・ラッジ』チャールズ・ディケンズ(世界文学全集)

殺人事件を起こした父親が逃亡中に、バーナビーは生まれた。成長して青年になったとき、宗教一揆が勃発。バーナビーは逮捕され、獄中である人物と対面する――。暴動におびえるロンドン市民、迫害を受けるバーナビー! 一七八〇年の反カトリック暴動事件に材を取り、推理小説的手法を駆使した歴史小説。(本書あらすじ一部改編)

年越しディケンズ企画3回目。ついにハードカバー来ちゃったよこれ。『バーナビー・ラッジ』はあまり知名度がありませんが、『荒涼館』より前に書いた、ディケンズ最初のミステリ長編として一部で有名な作品です。ちなみに『荒涼館』は、文庫4巻と長いけど、100人近い登場人物の隠れた関係が次第に明かされ、名探偵である警部も登場し、殺人事件の謎が解決される傑作ミステリだよ! みんな読もうね!
で、『バーナビー・ラッジ』なんですが、うーんちょっと微妙かなぁ。今まで読んだディケンズの中では初めてハズレかも。

『バーナビー・ラッジ』について簡単にまとめると、
・ディケンズの比較的初期の長編
・『荒涼館』より前に書かれたミステリ要素のある作品(1841年連載なので「モルグ街の殺人」と同年)
・第1章を読んだポーが犯人が分かったと豪語したことで有名
・『二都物語』と並ぶ歴史小説
といったところでしょうか。

物語の始まる22年前、ある屋敷の主とその使用人が殺されるという殺人事件が起きます。この事件に関係していると思われるある不審人物が随所に登場するも、作者によってその正体が意図的に隠されています。そして終盤にトリックと真相が一気に明らかにされるという……なるほど、確かにこれはミステリだ。トリックも初歩的なものですが、確実にミステリであると言えるようなトリックなのです。
ただその殺人事件だけがメインではなく、むしろ主軸は副題にある「一七八〇年の騒乱の物語」、すなわちジョージ・ゴードン卿の率いるプロテスタントによる反カトリック騒動にあります。歴史上の人物であるゴードン卿よりも、その騒乱に巻き込まれる人々の運命や、恋愛が見どころなのでしょう。

ちなみにタイトルであり主人公であるバーナビー・ラッジは、作中の言葉を借りるなら「白痴」の若者で、主人公らしい活躍はしないのですが物語を動かす要素となるキャラクターです(22年前の事件で殺された使用人の息子でもあります)。ディケンズらしく登場人物は多彩で楽しく、特に死刑執行吏デニスが良いですね。
ただやはり、今まで読んだ作品の中では構成やプロットがそこまで凝っていなく(これまで読んだのが全て後期ディケンズだからかも)、上下二段500ページにしては話も平坦。ロミジュリ的要素もおざなりだし、何よりメインとなる反カトリック騒動がそこまで面白くないのです。これはイギリスの人だと、大塩平八郎の乱みたいな感じで興味深く読めるのかなー。全体的に長かった、という印象が強いです。

というわけで、まぁこの世界文学全集でしか読めない長編ですし、そんなにオススメすることもないかなぁ。来年は後期作品を読みたいです。『荒涼館』以降の作品の方が暗くて凝ってるともっぱらの噂です(解説の受け売り)。
ちなみにこの世界文学全集ですが、500ページほどの『バーナビー・ラッジ』に加え、100ページほどの『クリスマス・キャロル』も収録されています。有名だからね。

原 題:Barnaby Rudge(1841)
書 名:バーナビー・ラッジ
著 者:チャールズ・ディケンズ Charles Dickens
訳 者:小池滋
出版社:集英社
     愛蔵版 世界文学全集 15
出版年:1975.10.25 1刷
     1986.07.20 4刷

評価★★★☆☆
遙かなる星
『遙かなる星』ヤン・デ・ハートック(角川文庫)

第二次世界大戦直後、ナチス強制収容所から解放されたユダヤ人の少女アンナは、未だ見ぬ約束の地パレスチナへ行き、祖国のために働きたいと願っていた。しかしナチスの人体実験でその体は極度に衰弱、結核におかされていた。その上イスラエルをめぐる国際情勢の不安定のなかでパレスチナへ帰るには密入国しか手段はなかった。アムステルダム警察のユングマン警部は彼女を助け、数々の困難に堪えオランダから、イギリス、フランスをへて遂に少女を祖国へ送り届ける。苦難と悲哀に満ちた一大叙事詩。(本書あらすじより)

マケプレオーバー2000月間、9冊目はオランダの作家ヤン・デ・ハートックによる作品です。日本における筆者の知名度は超低いと思いますが、この作品自体は逢坂剛氏が自らのマイベストに選んだということで名前が上がります。っていうかそれ以外で名前が上がっているのを見たことないんですけど。
ミステリ……にぎりぎり入るのかなぁ。非常にセンチメンタルな冒険小説なのですが……あのですね、もしこの作品を読める機会があれば、ぜひ読んでください。もうすんごい地味なんですが、とにかく読めてよかった、と心から思える作品です。

時代は戦後すぐのオランダ。オランダ警察の冴えないおっさん警部ユングマンが、死ぬまでにパレスチナに行きたいと願うユダヤ人の娘に出会います。当時のイスラエルは厳しい入国制限を行っており、彼女が行く方法は密入国しかありません。
突如崇高な目的を果たそう思い立ち、彼女をイスラエルに密入国させようと警部は決意します。とはいえ密入国は不法行為。奥さんからは色ボケ爺が駆け落ちしようとしていると思われるし、勤め先の警察からはクビを言い渡されるしでお先真っ暗。それでも彼は、なぜか抗いがたい使命感のもと、彼女と共にイスラエルへの道を懸命に探すのです。

このような筋の中で、ナチスの行ったユダヤ人迫害(収容所での人体実験)への弾劾を交えつつ、ユダヤ人とヨーロッパの人々の関係をこの上なく細やかに、丁寧に、読者に提示してくるのです。一切のオチがないのに感動せざるを得ません。なんかね、すごいんですよ、文章が。読ませるとかじゃなくて、一文一文が詩のような、ちょっとありえない小説なんです。
最初はおっさんのメルヘンチックな物語なのかなと思っていたのですが、後半にはそういうことですらなくなります。これユダヤ人の役が若い女の子じゃなかったら結局既婚おっさん警部は崇高な使命感を持たなかったんじゃないの?みたいなヤボな疑問が、途中から何の意味もなくなるのです。後半に入ると女の子はもう病気で死にかけなのですが、警部は憑かれたようにパレスチナを目指し続けます。警部はユダヤ人でも何でもないので、この設定はどう考えてもおかしいんですが、読んでいるともうそれしかないっていう話なんですよ。

いやとにかく、これまでに読んだことのないタイプの小説でした。ロードノベルとして、ユダヤ人小説として、一生心に残るような印象を読者に与えるはずです。いま復刊したらすごく話題になることは間違いないだろうなぁ。

原 題:The Inspector(1960)
書 名:遙かなる星
著 者:ヤン・デ・ハートック Jan de Hartog
訳 者:安達昭雄
出版社:角川書店
     角川文庫 赤378-1
出版年:1974.08.30 初版

評価★★★★☆
盃のなかのトカゲ
『盃のなかのトカゲ』ピーター・ディキンスン(ハヤカワ・ミステリ)

ギリシャ南西岸沖、イオニア海に浮かぶ島、ヒオス。次第に忘れられていく古代の僧院と、不気味な毒トカゲの伝説が残る島。まばゆい陽光と美しい海に、ひとときの安らぎを求めて訪れる旅行者も少なくない。あるいはホテルで、あるいは別荘で短い休暇を楽しみ、去っていく。しかし、島一番の豪華な別荘では、大富豪タナトスに危険な影が伸びはじめていた……。
タナトスは、巨大な財力を権力で世界各地の実業界に君臨していたが、その強引さは多くの敵を作っていた。そして今度は、こともあろうに、西インド諸島のマフィアの利権を横取りしたのだ。組織の復讐は当然考えられる。富豪が信頼する四人の部下がヒオスに集められた。それに、専門家として、ロンドン警視庁の元警視ジェイムズ・ピブルが付け加えられた。五人の、マフィア対策の机上演習は、愛人トニーとたわむれるタナトスとは逆に、鋭い緊張感の中で始まった。正面からの襲撃か、あるいは姿を変えた刺客が忍び寄ってくるのか、それとも内通者が……? 島への上陸はすべてチェックされ、アメリカへはプロのボディーガードが要請された。が、ピブルの心を離れない危険の予感にもかかわらず、見えない敵は容易に姿を現わさなかった……。
二年連続CWA賞に輝く、イギリス・ミステリの実力派ディキンスン。ピブル警視シリーズ第五弾!(本書あらすじより)

マケプレオーバー2000月間、6冊目は、ポケミスから出ている全てがレア本のピブル警視シリーズです。初ピブル警視だったのですが(初でシリーズ終盤の作品読むのもどうかとも思うけど)……あ、合わない、絶望的に合わない……『生ける屍』レベルで楽しめなかった……。
単純に退屈だし、描写とか色々本当に読んでいて楽しくないのです。ラストも何なんだあれは。

事件自体はそこまで変ではありません。舞台はギリシアの島。金持ちがマフィアに狙われてるかも!となり、警察をやめ私立探偵となっていたピブルにその護衛の任務が依頼されます。小さな島の中で、麻薬だとかギリシア正教会の修道院だとか謎の過去を持つ女(ピブル含め登場人物軒並みに惚れられている)だとか、様々な要素が入り乱れる事態へと発展していくのです。

色々なサブプロットの合わせ方と騙し方とかは悪くはないっていうか、むしろ上手いとは思うのです。でも、正直目が滑るし、全然頭に入ってきません。なんとなく読者に不親切な説明、盛り上がらない描写。何も起きないわけではなく、殺人こそ起きませんが銃撃などもあるのでそこまで地味ではないんだけど……つまりこれ単純につまんねぇんだなぁ。もうダメだ。おまけに読み終わってこみ上げるフラストレーションがやばいし。ピブル警視のキャラクターも、これというほどの何かもないし。

というわけで感想もこれくらいで。『眠りと死は兄弟』も似た感じらしいから、次ディキンスン読むなら別のにします。『キングとジョーカー』は絶対面白そうなので、そっちかな。

原 題:The Lizard in the Cup(1972)
書 名:盃のなかのトカゲ
著 者:ピーター・ディキンスン Peter Dickinson
訳 者:大庭忠男
出版社:早川書房
     ハヤカワ・ミステリ 1236
出版年:1975.02.15 1刷

評価★★☆☆☆