『悔恨の日』発売

2018-02

『ディミトリオスの棺』エリック・アンブラー - 2017.12.27 Wed

アンブラー,エリック
ディミトリオスの棺
『ディミトリオスの棺』エリック・アンブラー(ハヤカワ・ミステリ文庫)

執筆のためイスタンブールを訪れた英国人作家のラティマーは、そこで国際的犯罪者ディミトリオスがついに死んだと聞かされた。ディミトリオスの屍を眺めているうち、ラティマーはこの男の謎につつまれた過去の真相を突き止めたい衝動に駆られていった。が、ディミトリオスの過去を探ろうとしていたのは、彼一人ではなかったのだ! スパイ小説のスタイルを確立し、ミステリ史上に不動の地位を築き上げた巨匠の代表的傑作。(本書あらすじより)

スパイ小説の古典中の古典。こんなんを1930年代に書けちゃうから、英国はすげぇ、という純粋な英国信仰心が生まれてきます。というか、こういうものを戦前に書ける国だからこそ、ジョン・ル・カレなんかが冷戦期に登場するんだろうなぁ。
『寒い国から帰ってきたスパイ』が生まれてしまう素地は、大戦間からあった、ということがよく分かる歴史的文学的名作。もうどうかと思うくらい地味ですが、冷戦前にしてスパイを冷笑的に描く冷徹さや、サスペンスのベタをベタとして切り捨てる作者の先見の明には恐ろしいものがあります。

主人公ラティマーは一介のミステリ作家。だが、ディミトリオスという伝説の殺人者の話を聞き、死体を見たことで、彼に関心を持ち、東欧各国をめぐりディミトリオスの歴史を調べ始める……というのが基本的な導入。というわけで、中盤すぎまではかなりルポルタージュ風なのです。
しかし、まずこのルポルタージュがとにかく面白いんですよ。第一次世界大戦後の東欧の社会情勢が、ディミトリオスの過去と共に描かれていきます。さらに、ディミトリオスの犯罪に巻き込まれた人々の性格が、悲哀が、淡々と綴られていくのです。
特に見事だったのが、元スパイの語り。容赦なく人を動かし、切り捨て、利用する、スパイという職業の巧みさと残酷さが、1939年のこの作品で既にたっぷりと強調されているのです。後に登場するジェイムズ・ボンドなんか、戦前から既にもう幻想なんだぜ。
また、印象的なのがラティマーが脅されるシーン。ただの職業的興味から調査を行っている彼が、それを素直に説明しつつ「どうせあなたは信じないんでしょうけど、私にはこれしか言えないんですからね」とぶつくさ言っているのです。正直に語っても信用されない、ってのが既にテンプレとしてパロられており、それを踏まえた展開を用意してしまう作者……いやー、これはね、些細なシーンではあるけど、すごいことだと思います。

ラストのサスペンスまで地味ですが、主人公ラティマーの冷静な傍観者であり続けたいという態度が、自分は犯罪者にならず、一般人であり続けたいという、むしろハードボイルド的な強固な意志を示し始めており、ここが妙にかっこよかったです。古典的名作、という言葉がしっくり来る良作でしょう。とはいえ、あまり古典だということを意識せず、今でも読み継がれてほしい作品だと思います。おすすめ。

ちなみに、作中で登場した主人公の語りで好きな部分がこちら。「ミステリ作家」の表現として非常に秀逸なものです(笑)
「さらに彼は、平均的知性水準の人間が、当然ながら、青年期の心の糧程度にしか評価しないとはいえ、少なくとも、その機会あらば、犯罪を予防し、犯罪者の逮捕について警察に協力することが理非をわきまえた男女の義務であることを肯定するという意味で価値の認められる、ある種の小説の作家として成功している人間である。」

原 題:A Coffin for Dimitrios(1939)
書 名:ディミトリオスの棺
著 者:エリック・アンブラー Eric Ambler
訳 者:菊池光
出版社:早川書房
     ハヤカワ・ミステリ文庫 15-1
出版年:1976.04.30 1刷
     1999.03.15 3刷

評価★★★★☆
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『刑事くずれ』タッカー・コウ - 2017.12.10 Sun

ウェストレイク,ドナルド・E(コウ,タッカー、スターク,リチャード)
刑事くずれ
『刑事くずれ』タッカー・コウ(ハヤカワ・ミステリ)

ミッチェル・トビンがニューヨーク市警から追われることになったきっかけは、ディンクという窃盗常習犯を逮捕したときだった。逮捕は何事もなく済んだが、そのときトビンはディンクの細君、リンダ・キャンベルに出会ったのだ。リンダは小柄で愛嬌があり明るい女だった。彼らは関係を持つようになり、それはトビンの相棒、ジョックが射殺された日まで続いた。
ジョックが射殺されることになった犯人逮捕は、ディンクの逮捕と同じほどに簡単に済むはずだった。だが、それが上手くいかなかった。相手の賭博犯が、知らぬ間に麻薬患者になっていたのだ。ジョックはトビンをリンダの所でおろして、ひとり死神に会いに行った。そして、彼のポケットには、緊急の際相棒に連絡すべくリンダの電話番号が入っていた……。
警察当局は彼を許さず、彼自身も自分を許すことはできなかった。この裏切りは彼を徹底的に打ちのめした。シンジケートのニューヨーク支部長ケンベクが、組織内の殺人事件――多額の金を持ち逃げし、何者かに殺された彼の情婦リタ――の犯人を捜すよう依頼してきたのはトビンがようやく過去から立ち上ろうとした矢先だった!
落伍した刑事の汚名を負いながら、組織内の殺人という困難な事件を追う元刑事ミッチ・トビン。ハードボイルドと本格推理の魅力をもつ鬼才コウのシリーズ第1弾!(本書あらすじより)

ウェストレイクの別名義、タッカー・コウによる刑事くずれシリーズ第1作。ハードボイルドと、本格ミステリとしての両要素で有名なシリーズで、以前第3作『刑事くずれ/蝋のりんご』を読んだことはあるのですが(なぜか感想記事がないやつ)、あちらはホワイダニットの名作でした。
で、今度は1作目を読んでみたのですが……あんまりにも面白いもんで、一日で読み切ってしまいました。やっぱりすごいわ、ウェストレイクさんは。ぐうの音も出ない完成度の高さではないでしょうか。

諸事情あって(あらすじに書いてあります)刑事をやめることになったミッチ・トビン。そんな彼の元に、犯罪シンジケートのボスから、組織内部での殺人を調べてほしい、という連絡があった。ボスの愛人が、お金を持ち逃げし、死体となって見つかったのである。組織の内部の人間の仕業であることは明らかなようだ。あまり乗り気ではないものの、金のためから、トビンは久々に捜査を行うのだが……。

あとがきにあるバウチャーによるウェストレイク評「プロッティング、会話、性格づくりにおける完全無欠なプロ作家の職人芸」が完璧に発揮されていて、実に素晴らしいです。事件の全貌が一気に解きほぐされていく終盤の謎解きは圧巻でしょう。
特に、ここまで容疑者を明確に限定してガチフーダニットやろうという根性が良いのです。組織内の殺人犯を探すというフーダニットに持ち込む流れがまず完璧で、殺人犯以外の様々な人物による行動で複雑化していた事件が順番に謎解きされるのはクリスティーのごとし。基本的に後半は容疑者巡礼ミステリではありますが、その中でもテンポ良く何かが起きるため、200ページ飽きさせることがありません。

それに加えてミッチ・トビンの過去とハードボイルドな語り、容疑者それぞれの明確に描き分けられたキャラクター、小気味よい会話と、とにかく隙がありません。元刑事トビンの、根本的に熱意があるわけではないけど、刑事としての習性に従って真相を追い求める様が名探偵でなくてなんだというのでしょうか。シリーズ1冊目なのに、元刑事という肩書きから想定されるようなめんどくさい展開(警察との確執だとか昔逮捕した犯罪者からの恨みだとか)に全く流されないのもポイント高いです。

というわけで、案の定めちゃくちゃ面白かったです。もしかして『蝋のりんご』より楽しめたかも(主としてホワイダニットへの興味のなさのせい)。残り3作、大事に読み進めていくことにします。

原 題:Kinds of Love, Kinds of Death(1966)
書 名:刑事くずれ
著 者:タッカー・コウ Tucker Coe
訳 者:村上博基
出版社:早川書房
     ハヤカワ・ミステリ 1181
出版年:1972.08.15 1刷

評価★★★★★

『重力が衰えるとき』ジョージ・アレック・エフィンジャー - 2017.12.06 Wed

エフィンジャー,ジョージ・アレック
重力が衰えるとき
『重力が衰えるとき』ジョージ・アレック・エフィンジャー(ハヤカワ文庫SF)

アラブの犯罪都市ブーダイーンで探偵仕事を営むマリードは、ある日ロシア人の男から行方不明の息子の捜索を依頼される。だがその矢先、依頼人が目の前で殺されてしまった! しかもなじみの性転換娼婦の失踪をきっかけに、周囲では続々と不穏な事件が。街の顔役の圧力、脳を改造した正体不明の敵……マリードは今日もクスリ片手に街を疾走する。近未来イスラム世界で展開するサイバーパンクSF×ハードボイルドミステリ。(本書あらすじより)

せっかくSFミステリを読んだので、ついでに積読SFミステリも倒そう!ということで、SFハードボイルドのこちらです。
SFとハードボイルドは相性がいい、という話を先日名古屋のSF読み・片桐さんとしたのですが、全くそのとおりだなぁというタイプの作品でした。とはいえ、ハードボイルドとしてはそれなりに普通の出来なので、全体的にはこう、なんかそこまで高評価でもないっていうか……。

電脳化が進み、性転換も一般的になった近未来のイスラム都市。主人公のマリードは電脳化されていない、どこにも属していない一匹狼の私立探偵として、それりにやってきていた。しかし、行方不明の息子探し、失踪した娼婦、正体不明の殺し屋と立て続けに事件が相次ぎ、マリードは否応なく事件の渦中に飛び込んでいくはめになるのだが……。

まずSF的な要素から言うと、なんといっても電脳化です。頭にソフト(モディーやダディーと呼ばれる)を挿入することで、例えばジェイムズ・ボンドに心からなれたりしちゃうわけですよ。ネロ・ウルフに完全になりきり推理、なんてシーンはめちゃくちゃ面白いです。ただ、最終的にこの設定があんまりストーリー上では生かされていない気がするんだよなぁ。
むしろこの設定は、電脳化を避け続けてきたマリードが、街のボスに圧力をかけられ、依頼を引き受けざるを得ない中で、ついに電脳化を迫られる……という、主人公の葛藤を描くための要素として、つまりハードボイルドのために積極的に用いられている気がします。だからこそ、内容はかなりハードボイルド寄りなんですよね。薬漬け私立探偵という設定も、ハンディキャップ持ちの多いネオ・ハードボイルドの影響でしょうか。

また、イスラム世界を舞台にしている、という点での面白さもあるし(アラビア語が頻出する上、基本的には現在のイスラム世界と変わらない中で、SF設定とどう折り合いをつけるか……というあたり、作者の構築した世界観がなかなかに楽しいのです)、なんだかんだどんでん返しは悪くなかったし、終わり方のイヤ〜な感じも、まぁ嫌いとは言えなかなかクルものがあるしで、良いところはいっぱいあります。ただ、あんまり積極的に褒める気にならないのは、結局、ちょっとダレちゃったのかもしれません。

とはいえ、この終わり方なのにシリーズ続編があるというのはかなり気になります。ほとんど見かけない気がしますが、見かけたらまた買って読んでみる……かも。とにかく、オリジナリティの高さと無難にまとまったハードボイルドさの塩梅が、魅力的なシリーズなのでしょう。

原 題:When Gravity Fails(1987)
書 名:重力が衰えるとき
著 者:ジョージ・アレック・エフィンジャー George Alec Effinger
訳 者:浅倉久志
出版社:早川書房
     ハヤカワ文庫SF 836
出版年:1989.09.15 1刷
     2014.11.25 7刷

評価★★★☆☆

『フロスト始末』R・D・ウィングフィールド - 2017.08.27 Sun

ウィングフィールド,R・D
フロスト始末 上 フロスト始末 下
『フロスト始末』R・D・ウィングフィールド(創元推理文庫)

今宵も人手不足のデントン署において、運悪く署に居合わせたフロスト警部は、強姦・脅迫・失踪と、次々起こる厄介な事件をまとめて担当させられる。警部がそれらの捜査に追われている裏で、マレット署長は新たに着任したスキナー主任警部と組み、フロストをよその署に異動させようと企んでいた……。史上最大のピンチに陥った警部の苦闘を描く、超人気警察小説シリーズ最終作。(本書上巻あらすじより)

私的「海外ミステリを読んだことのない人にムリヤリでも読ませたい海外ミステリ」ランキング堂々の1位である、フロスト警部シリーズ、泣きの最終巻であります。何しろ作者がお亡くなりになってしまったので……つらい……。
いやほんと、フロストシリーズの面白さ、楽しさって、本当にこのシリーズ唯一無二の、変えがたいものなんですよ。読書、特に海外ミステリってこんなに楽しいんだぞ!と心から言いたくなるおすすめシリーズです。以下、個人的な思い入れもあり、かなり長めの感想です。

普段のフロストシリーズではあらすじはあまり意味がないのですが(何しろ次から次へと事件が起きるので、説明しても仕方がない)、『フロスト始末』はフロスト定型パターンから色々と外れている面が多くなっています。それもこれも、フロスト警部デントン署を去る!が本筋のメインだから。故にフロストとペアを組まされる向上心強すぎでフロストに立てつくような部下は登場しないし、フロストはやたらと自らの過去やら刑事になりたてのころやら亡くなった奥さんのことやらを振り返るので相当湿っぽくなっています。
しかしあくまで「シリーズ」としての繋がり・ネタバレは一切なく、このどこから読んでも問題ない感は現代ミステリにおいては貴重ですよね。良いやつではあるけどあまりに使えないモーガン刑事が『冬のフロスト』から続投していてびっくりしましたが、特にわざわざ再登場させた意味はなかったし(作者が気に入っていたんだろうな)。また、新人の女性警官も登場しますが、彼女とフロストのウマが合う、ってのも珍しくて、ますますシリーズ完結編っぽさがつのります。デントン署を去るフロストは、残される彼女のことが不安で仕方がなく、色々と面倒を見ようとするのですよ……セクハラさえなければめっちゃいい上司だ……。

さていつものように続発する事件ですが、この長さとこの登場人物数で、一度も登場人物一覧を見ずに済むというのはやはりすごいことです。フロスト自身が毎回忘れているので、そのついでに読者にも思い出させてくれるというシステムの上手さと、ウィングフィールドの人物の書き分けの巧みさ。ウィングフィールドはモジュラー型のプロ。
その上下巻900ページという長さに、一切無駄がありません。……いや無駄だらけですが、この長さに全く不満がないし、そもそも長さを感じません。残り100ページになってからも新たな事件が発生するなど、モジュラー型の利点をこれでもかと上手く使っており、プロットの組み立ても(きっと)技巧的、なんでしょう、長すぎて分析したくないですが。

というわけでこのシリーズが最of高なのはいつもの通りですが、モロにシリーズ最終巻として書かれたものなので(出版経緯についてはきちんと解説に書かれています)、他作品とは微妙に雰囲気が違います。『クリスマス』の頃と比べるとちょっとだけ味わいにも変化があるような気もするし。そのへんもシリーズ読者向けの楽しみ方でしょうか。

あえて厳しい意見
①いつもこのシリーズにあるような、モジュラー型の中でもしっかりと終盤に作られる見せ場というか、小説としてのピークが、今回はやや小規模というかぱっとしませんでした。終盤のもたつき具合や、後片付け感は否めないかなぁと思います。
②本作の敵役であるスキナー主任警部は、フロスト警部をデントン警察署から追放しようとし、実際それに成功するという、(今までのマレットの比ではない)超大ボスなわけですが、その決着の付け方がやや消化不良。後半スキナーの登場シーンが少ないのも、正直もったいないと思います。

以上、フロスト完結編感想でした。シリーズ未読の方はぜひどれでもいいので手に取って、いずれこの作品にたどり着いてくれたらいいなと強く思います。なお、解説に今後のフロストシリーズについて衝撃的なことが書いてありましたが……あ、あんまり期待できない気がするぞ。

なお、おぼろげな記憶に基づいてざっくり順位を付けると、
『フロスト日和』>『クリスマスのフロスト』>『フロスト始末』>『夜のフロスト』>『フロスト気質』>『冬のフロスト』>80点
『夜』がやや低いのは完全に好みで、好きな人はめっちゃ好きな作品。『始末』は完結編追加点込みです。

原 題:A Killing Frost(2008)
書 名:フロスト始末
著 者:R・D・ウィングフィールド R. D. Wingfield
訳 者:芹澤恵
出版社:東京創元社
     創元推理文庫 Mウ-8-8,9
出版年:2017.06.30 初版

評価★★★★☆

『カナリヤ殺人事件』ヴァン・ダイン - 2017.08.17 Thu

ヴァン・ダイン,S・S
カナリヤ殺人事件
『カナリヤ殺人事件』ヴァン・ダイン(創元推理文庫)

ブロードウェイの名花“カナリヤ”が密室で殺される。容疑者は4人しかいない。その4人のアリバイは、いずれも欠陥があるが、犯人と確認し得るきめ手の証拠はひとつもなかった。名探偵ファイロ・ヴァンスは、ポーカーの勝負を通じて犯人に戦いをいどむ。ヴァン・ダインの第2作で、〈ワールド〉紙が「推理小説の貴族」と評し、発売後7か国語に翻訳された。(本書あらすじより)

中学でグリーン家を読み、高校で僧正を読み、大学でシリーズ順に年一冊ずつ読もうとベンスンを読み、あまりのつまらなさに絶望し、それからかれこれ4年が経ちました(年一冊とは何だったのか)。今回読むのは当然『カナリヤ殺人事件』です。死ぬほど退屈なヴァン・ダインも、シャーロット・アームストロングに感動した勢いに乗っかれば、一気に読み切れるはずなのです。

読みました……おいおいウソだろ……「面白い長編小説を書くのは、1作家6作が限度」とかよく言えたなこの出来で……デビューしてからまだ1作も書けてないじゃないか……。

さて、もうあらすじとかどうでもいいですね。通称カナリヤと呼ばれる女優が殺され、容疑者4人からいかに犯人を絞り込み、特定するか、という話です。当然名探偵ファイロ・ヴァンスが乗り込んできます。黄金時代の犯罪研究家素人探偵もの、たいてい地方検事やら部長刑事がわざわざ家にまでやってきて「とんでもなく不可解な事件が起きた」と連れて行くくせに、実際はそんなに不可解でもなく、むしろ素人探偵がドヤ顔しながら現場で早速推理を披露することでようやく不可解な事件とやらになる気がするんですけど。
ちなみにマーカム地方検事、「今度こそは、君の理論について行けば、絶望的な迷路にはまりこみはしないかと心配だね。今度の事件は警察でいう“開いて閉じた”(ひと目でわかるほど明白な)事件なのだ」とかのたまうんですが、じゃあなんでお前はファイロ・ヴァンスを呼んだんだ……。

ダメな理由その①:『ベンスン』もそうでしたが、基本的にファイロ・ヴァンスの推理が読者の推理速度を一切超えてきません。常に想定の範囲内のことしか言わないのです。ヴァンスのどや顔推理にありがたみがなさすぎます。少なくとも読者の一歩先くらいは行ってほしい……。
ダメな理由その②:見どころの1つであろう、犯人を特定するための心理トリックがマジで特定しかしていません。特定したファイロ・ヴァンスが一番びっくりしている上に、よしじゃあこいつが犯人だから頑張って証拠を探そう、という斬新な順番になります。すぐ犯人を決めつけて逮捕したがるような無能刑事と、本質的に変わらないような。っていうかファイロ・ヴァンス、地方検事が「あの男は殺人なんか犯すタイプじゃない」などと言うと、見た目で判断できるものかとすごいバカにするくせに、自分だって骨相学を駆使して「あいつは殺人犯じゃないよ」などとのたまうので全く信用できません。
ダメな理由その③:密室トリックが古典だからとでも言い訳しないと許せないクオリティ。あと警察の捜査が雑かよ。
ダメな理由その④:最終的にトリックを解明した方法が完全に偶然で、だんだんファイロ・ヴァンスがドーヴァー主任警部に見えてきます。たまたま証拠品を見つけて、しかもそれの重要性に気付かないまま、なんやかんやでたまたま解明したというレベル。名探偵やめちまえ。
ダメな理由その⑤:テンポ感とかストーリー性とかヴァンスのだらだらしゃべりとか抜きにしても、単純に面白くないです。木々高太郎は犯人 vs 探偵として評価したらしくて、まぁある意味そういうアリバイ崩し的な楽しみもあるのかなと言えなくもないですが……ばりばりフーダニットの割に犯人バレバレっていうのも……。
ダメな理由その⑥:ヴァンスのキャラクターがダメ。『ベンスン』で描かれたのは「現場に入って即座に真相を見抜く(けど言わない)ようなムカつく探偵像」としてのファイロ・ヴァンスだったわけで、クオリティはともかくとしてまだ名探偵としての魅力はあったのに、それすら奪われたファイロ・ヴァンスに何も残っていないのがつらいです。

まぁでも確かに、vs知能的な連続殺人犯、というドラマ性っぽさがほのかに出始めているあたり、超リアル路線の『ベンスン』は脱していて、『グリーン家』に向かい始めているのかなとは思います。あとは犯人の名前を明かすくだりとか、とりあえず読者を驚かせようという努力をしてください。捜査記録読んでるんじゃねぇんだぞ、ミステリなんだぞ。ヴァン・ダインはもしかして『鍵のない家』も『トレント最後の事件』も『813』も『黄色い部屋の秘密』も『ビッグ・ボウの殺人』も読んでいなかったんじゃないか……。
それにしても、『ベンスン』『カナリヤ』と地獄のような出来栄えなのに、なぜこの流れでいきなり『グリーン家』『僧正』みたいなタイプの異なるミステリを書けてしまったのかさっぱり分かりません。何があったんだろう。というのを含めて、来年読むとすれば、既読の『グリーン家』『僧正』を飛ばして『カブト虫』ですかねー。

ちなみに、名探偵ファイロ・ヴァンスの協力者であるこの物語の書き手、作中人物としてのヴァン・ダインですが、ポーカーのシーンですら完全に名前が消えていて、もはや叙述トリックみたいでした。ヴァンはファイロ・ヴァンスにいじめられているのかな……。

原 題:The Canary Murder Case(1927)
書 名:カナリヤ殺人事件
著 者:ヴァン・ダイン S. S. Van Dine
訳 者:井上勇
出版社:東京創元社
     創元推理文庫 Mウ-1-2
出版年:1959.05.05 初版
     2000.01.28 66版

評価★★☆☆☆

『魔女の館』シャーロット・アームストロング - 2017.08.15 Tue

アームストロング,シャーロット
魔女の館
『魔女の館』シャーロット・アームストロング(シリーズ百年の物語)

ふとした偶然から同僚の大学教授の不正を知ったパットは、追跡劇を演じるうちに瀕死の重傷を追って魔女の館に閉じこめられてしまう。サスペンスの女王がくりひろげる白昼夢のような世界。(本書あらすじより)

かれこれ7年前、母親に渡されたシャーロット・アームストロング『毒薬の小壜』を読んだわたくしは、そのあまりの傑作っぷりにノックアウトされました。それ以来、『毒薬の小壜』は我がATB10に燦然と君臨しているのです。
しかしながらそれから7年、なぜか他のアームストロング作品には手を出すことなく現在に至ります。いやそろそろ読もうよ、というわけでついに手に取ったのが、シリーズ百年の物語から『魔女の館』(創元推理文庫版あり)、久々のアームストロングに期待がかかります。

えぇ……なんだこの傑作は……シャーロット・アームストロングは天才なのか……。現時点で断言しますが、おそらく今年のベスト1位内定です。

大怪我を負った男が頭のおかしい魔女こと老婆に捕まり、息子が戻ってきたぞひゃっほいみたいなノリで監禁されます。普通、ここからホラーが始まるじゃないですか。ホラーじゃなくてもつらい何かが始まるわけじゃないですか。でも監禁云々は結局どうでもよくて、救出劇というドラマが中心になります。
ひたすら行方不明になった夫の身を案じる行動派の妻、胡散臭さが炸裂している感情面において欠陥を抱える双子、未熟な若造警官と人間を知り尽くした退職直前の老警官、体面を気にする大学長などが織りなす、行方不明者捜索と、その過程で浮かび上がる事件とは。後半に入ってからのスピード感が素晴らしくてもうため息しか出ません。

確かに冒頭だけ見ると、狂人系監禁物でめっちゃつらそうなんです。それ以降も明らかな悪人はいないのですが、相手のことを勝手にこういう人だと決めつけることの恐ろしさが、もうめっちゃいやらしすぎて地獄のようにつらいのです。
しかしながらこれはイヤミスではありません。「善意のサスペンス」の書き手と言われる作者の本領発揮は、そんなところではないのです。シャーロット・アームストロングは、人間の善意から生まれる悪を知り尽くしているにもかかわらず、最終的に人間は変われると信じているので、こういう勧善懲悪の人間賛歌をさらっと書けてしまうのですよ。こんなの読んだら「なんだこの傑作は」としか言えないわけですよ分かりますか。

人間を語らせると世界一かっこいい作家、シャーロット・アームストロングは、作中人物にこう語らせます。
「他人はあなたを不幸にすることはできるかもしれないけど、無意味な存在にすることはできないの」
くぅぅぅ、素晴らしい。あとはもう、読んでください。

『毒薬の小壜』は後半の構成がそれこそ少年漫画の最終バトルみたいな激アツさを持つ震えるレベルの傑作なわけですが、そこに至るまでの仕込みの前半をもっとあっさり目に、かつストーリーに自然に組み込ませ無駄なく作り上げたのが『魔女の館』なのかなぁと思いました。とにかくまごうことなき傑作ですので、未読の方はぜひぜひお読みください。そもそも『毒薬の小壜』が未読だという方は、もう、あれですよ、いいから図書館で借りるなりして絶対に読んでください。約束です。

原 題:The Witch's House(1963)
書 名:魔女の館
著 者:シャーロット・アームストロング Charlotte Armstrong
訳 者:近藤麻里子
出版社:トパーズプレス
     シリーズ百年の物語 6
出版年:1996.11.25 1刷

評価★★★★★

『コードネーム・ヴェリティ』エリザベス・ウェイン - 2017.07.25 Tue

ウェイン,エリザベス
コードネーム・ヴェリティ
『コードネーム・ヴェリティ』エリザベス・ウェイン(創元推理文庫)

第二次世界大戦中、イギリス特殊作戦執行部員の女性がスパイとしてナチスの捕虜になった。彼女は親衛隊大尉に、尋問をやめる代わりに、イギリスに関する情報を手記にするよう強制される。その手記には、親友である女性飛行士マディの戦場での日々が、まるで小説のように綴られていた。彼女はなぜ手記を物語風に書いたのか? さまざまな謎が最後まで読者を翻弄する傑作ミステリ。(本書あらすじより)

今年の作品の中ではかなりの話題作となっている『コードネーム・ヴェリティ』を読んでみました。なるほど、これは実に良い「ありうる話」です。

第1部は第二次世界大戦中にドイツ軍に囚われたある女性スパイが書いた手記、第2部は女性飛行士として活躍するマディがその女性を救うべく奮闘する手記、という構成になっています。
第二次世界大戦を描いた戦争小説としてじっくり読ませはするのですが、とはいえ第1部は非常に地味。地味なんだけど、読んでいてところどころのよくわからなさにモヤモヤするのです。自分のことはあまり語らず、ひたすら親友マディについた手記で語り、イギリスの情報をドイツに密告し続ける彼女は、いったいぜんたい何が目的なのか?……と思っていたら第2部になってしまい、どういう話なのかが依然としてさっぱり見えません。

小説としての魅力は、女性2人が軍の中で次々と活躍していく様を描いた第1部の方が上かなと思います。しかしながら第2部では、終盤の第1部の見事な謎解き、そして何より主人公2人の友情の物語が素晴らしいのです。なんとなく、第1部の書かれた目的みたいなものは、伏線の張り方からして予想できなくもないのです。ただそれをどう使うんだろうと思っていたら、予想以上に自分が第1部に騙されていたことが分かってほぇぇぇぇぇとなりました。

というわけで、かなり地味ではありますが、巧みな構造に、戦争小説としての魅力と冒険小説としての面白さと友情物語としての感動を入れ込んだ、実に良い作品です。これがYA小説として売られている海外の状況がうらやましい……。翻訳ミステリー大賞にノミネートされる予感。

原 題:Code Name Verity(2012)
書 名:コードネーム・ヴェリティ
著 者:エリザベス・ウェイン Elizabeth Wein
訳 者:吉澤康子
出版社:東京創元社
     創元推理文庫 Mウ-24-1
出版年:2017.03.24 初版

評価★★★★☆

『ソニア・ウェイワードの帰還』マイケル・イネス - 2017.07.04 Tue

イネス,マイクル
ソニア・ウェイワードの帰還
『ソニア・ウェイワードの帰還』マイケル・イネス(論創海外ミステリ)

海上で急死した妻、その死を隠し通そうとする夫。窮地に現れた女性は救いの女神か、それとも破滅の使者か……。軽妙洒脱な会話、ユーモラスな雰囲気、純文学の重厚さ。巨匠マイケル・イネスの持ち味が存分に発揮された未訳長編!(本書あらすじより)

今年『ある詩人への挽歌』で初イネスを体験し、やべぇこの作家はやべぇと感心したばかりですが、このタイミングで論創社からイネスが出ました。すわ、読むしかないのです。
……いや、この、なんだその、えーと。いや別につまらなくはないんだけど……みたいな気持ち。

突然死した作家の妻の死体を、なぜか処分してしまったペティケート大佐。せっかくなので自分の文才を試したいと、彼は妻の書きかけの小説に取り組み始めた。しかしながらそのせいで、とんでもない窮地に追い込まれることに……。

変則倒叙コメディというか。古き良きユーモア小説みたい。100年前くらいの(別に殺したわけではないので倒叙ではないんですが、まぁ死体を抱えるところから始まるという点ではそう)。

いやー分かるんですよ、イネスのやりたいことは。スノッブなダメ男が妻の死体を捨てたせいで迷走するうちに、問題を山ほど抱えてしまうというコメディに、作家という職業をネタにした遊びを入れてみたかったんだろうなと。「自信作を書いたつもりが、書けたものをあとで読み返してみたら超苦痛ではないか」とか主人公に言わせてみたかったんだろうなと。
序盤はかなり微妙だったんですが、終盤に入ってコメディのお約束のようなご都合主義的な展開が連続してかなり面白くなりました。妻の死体はもうない、けれども殺したと思われて逮捕されてはもっと困る、だからむりやり妻の不在をごまかさなければならない……というわけ。オフビートなまま、ひたすら主人公が自分の身を守るために奔走し、様々な手を打つも思いもよらない裏目に出続けるのです(良い意味でも悪い意味でも)。某国のせいであれやこれや、という部分はまさにコメディの醍醐味という感じ。

ただユーモア小説にありがちな軸のない感じや、端役のエピソードをちゃんと説明しないところなど、全体的にもやもやしたまま読み終わってしまったという印象は否めません。舞台っぽいというか、喜劇っぽいというか、要するに主人公のペティケート大佐さえ描き切れれば作者的には十分なんですよ。だからペティケート大佐まわりのあれこれを読者に見せるのが主眼なのでしょうが、いくらなんでも色々うっちゃったまま終わっているのでは……と思ってしまいます。
そのペティケート大佐も、そもそも最初から死体を捨てるという行動からしてちょっと理解しがたいのも事実。ご都合主義もいいのですが、発端がいきなり「????」となるのも困りものです。

なんだかまとまらない感想ですが、正直イネス中期の代表作がこれなのか……というがっかり感が強いです。おそらく初期作と比べれば読みやすいのではないかと思いますが、むしろ読みにくさの方を求めたくなります。

原 題:The New Sonia Wayward(1960)
書 名:ソニア・ウェイワードの帰還
著 者:マイケル・イネス Michael Innes
訳 者:福森典子
出版社:論創社
     論創海外ミステリ 189
出版年:2017.04.10 初版

評価★★★☆☆

『黒い天使』コーネル・ウールリッチ - 2017.06.25 Sun

ウールリッチ,コーネル(アイリッシュ,ウィリアム)
黒い天使
『黒い天使』コーネル・ウールリッチ(ハヤカワ・ミステリ文庫)

夫はいつも彼女を「天使の顔」と呼んでいた。それが突然そう呼ばなくなった。ある日、彼女は夫の服がないことに気づく。夫は別の女のもとへ走ろうとしていた。裏切られた彼女は狂おしい思いを抱いて夫の愛人宅を訪ねる。しかし、愛人はすでに何者かに殺されており、夫に殺害容疑が! 無実を信じる彼女は、真犯人を捜して危険な探偵行に身を投じる……新訳で贈るサスペンスの第一人者の傑作。(本書あらすじより)

毎年1冊この時期にウールリッチ/アイリッシュを読みかれこれ6年目。今年のウールリッチも天才でした。
裏表の関係にある『黒衣の花嫁』や『喪服のランデヴー』と同様、強烈な意思を持った主人公が巡礼式に人を訪ねていく……という話です。いわゆる「短編が得意なウールリッチが得意とする短編をつなげた形の長編小説」なわけですね。
ただ形式的には同じなのですが、内容的には大きく異なります。これはいわゆる悪女ものや復讐譚の基本ラインからは大きく外れた、というかむしろ全く別物と言ってよい作品だからです。というのも主人公であるアルバータはひたすら夫の無実を証明しようと努力するただの善人なのです。

浮気した夫をそれでも愛し、彼に着せられた殺人の罪を晴らすべく、22歳で弱気な若妻アルバータは自らを鼓舞して犯人候補の人物と次々に会い、ニューヨークの裏社会に分け入っていくことなる……というストーリー。彼女は各章で犯人候補の男性と出会い、犯人かどうかを見極めるため彼らを罠にかけていきます。
それにしてもウールリッチはこのパターンの小説を思い付く天才だな……。一人称ってのが上手いんですよ。「踊り子探偵」もそうでしたが、ウールリッチは女性の一人称が抜群に上手いと思います。

で、確かにウールリッチはこのパターン、要するに短編をつないだような長編が得意な作家です。ただ、『黒い天使』ははっきりと長編であると言えると思うのです。
世間知らずで善意の塊でしかなかったアルバータが、男たちを訪ねていく上で、スラムにも行き、犯罪にも加担し、最終的にはファム・ファタルのような立ち回りもしてしまいます。「アルバータ」という“天使”の変化がこの上なくはっきりと現れており、それ故にラストが異色とも言うべき独特な仕上がりになっているのです。登場人物の順番を多少入れ替えても問題のなさそうな『黒衣の花嫁』などとは全然異なるわけですね。
そしてハッピーともバッドエンドとも言い難い、様々な感情が入り乱れるラスト。ウールリッチは終盤にどんでん返しを仕掛けるほど失敗するので、ラストに期待せず9割までを大いに楽しむのが吉というまことに全力では褒めにくい作家なわけですが(それがいいんだけど)、その中でこの『黒い天使』はめちゃくちゃレベルが高いと思います。短編つなぎ長編形式を見事に生かした結末と言えるのではないでしょうか。

個人的には強烈なサスペンス性と熱気を誇る『喪服のランデヴー』、ミステリ史上に燦然と輝く名ヒロインを生んだ『黒衣の花嫁』の方が上です。しかしながら『黒い天使』の唯一無二性はやはり高く評価するべきでしょう。この作品をベストに押す人も多いと聞きますが、よく分かります。ほんとにいいミステリを書くんですよこの作家は……。

原 題:The Black Angel(1943)
書 名:黒い天使
著 者:コーネル・ウールリッチ Cornell Woolrich
訳 者:黒原敏行
出版社:早川書房
     ハヤカワ・ミステリ文庫 10-6
出版年:2005.02.28 1刷

評価★★★★☆

『パパはビリー・ズ・キックを捕まえられない』ジャン・ヴォートラン - 2017.06.18 Sun

ヴォートラン,ジャン
パパはビリー・ズ・キックを捕まえられない
『パパはビリー・ズ・キックを捕まえられない』ジャン・ヴォートラン(<ロマン・ノワール>シリーズ)

パリ効外の団地で、結婚式をあげたばかりの花嫁が射殺される。純白のウエディングトレスの胸を真っ赤に染めた花嫁が握りしめていたのは一枚の紙切れ。そこにはこう書かれてあった。「ネエちゃん、おまえの命はもらったぜ」。シャポー刑事はその下に記された署名を見て愕然とする。ビリー・ズ・キック。それは彼が娘のために作った「おはなし」の主人公ではないか。続けてまた一人、女性が殺される。そして死体のそばにはビリー・ズ・キックの文字が……。スーパー刑事を夢見るシャポー、売春をするその妻、覗き魔の少女、精神分裂病の元教師。息のつまるような団地生活を呪う住人たちは、動機なき連続殺人に興奮するが、やがて事件は驚くべき展開を見せはじめ、衝撃的な結末へ向かって突き進んでゆく。(本書あらすじより)

ノワールの傑作という評判の、『パパはビリー・ズ・キックを捕まえられない』をついに読みました。これがなんと、読んでみたら本当に素晴らしいのです。
冒頭40ページの間にもうありとあらゆる変人と変事が登場しているし、文章もキレッキレでやば面白いのです。なぜだか分からないけどずっと面白いのです。全ページ面白いと言っても過言ではないのです。俺がフランス・ミステリに求めている要素が全部入っている気すらするのです。これぞロマン・ノワールだぜみたいな。

とにかく変な登場人物しか出てきません。数ページごとに語り手がかわり、次々と衝撃的なことをしでかしていきます。その中で、刑事が娘に語るお話の登場人物であった「ビリー・ズ・キック」が現実に現れ、次々と殺人を重ねていく……というのが本筋。既にぶっ飛び具合がハンパじゃありません。
7歳の女の子はおちんちんとあそこマニアで団地中の人たちのを隠れて見ているし、おじいさんは団地を恨みまくって爆薬をしかけまくるし、団地の管理人はエレベーターに暴露話を書きまくるし、背の低い右翼刑事は厚底靴を履くだけで性格が変わるし、その上司の警視はトカゲと戦っています。おちんちんとあそこが好きな7歳の女の子の件が、伏線になっているとは誰も思わないじゃんよ……。

ビリー・ズ・キックの正体(これがまたすごい)が分かるまでは本当に見事。疾走感とヤバさのハイブリッド。その後はフランス・ミステリらしい包囲網になって、ちょっとおとなしくなるのですが、ラストの落とし方がまた良いんだよなぁ。
ノワールらしい問題意識も非常にはっきりしていて分かりやすいし、登場人物の行動それぞれに作者の皮肉がしっかりと効かせてあります。全体的に雰囲気は明るめでどろどろしていない中で、日常に狂気がにじみ出ている様を描くのが見事。非情さとか、暴力とか、そういったものが苦手な方も楽しめる、けれども正統派のノワールの傑作だと思います。

1974年の作品なので、ポケミスから出ていた可能性も十分にあった……と思うと面白いですね。同作者の『グルーム』は暗さが印象的でしたが、あちらよりはるかに『ビリー・ズ・キック』は好みでした。おすすめです。『鏡の中のブラッディ・マリー』も欲しいなぁ……。

原 題:Billy-Ze-Kick(1974)
書 名:パパはビリー・ズ・キックを捕まえられない
著 者:ジャン・ヴォートラン Jean Vautrin
訳 者:高野優
出版社:草思社
     <ロマン・ノワール>シリーズ
出版年:1995.08.01 1刷

評価★★★★★

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Author:ヨッシー
クリスティ、デクスター、グライムズ、ディヴァインが好きな、ヨッシーことTYこと吉井富房を名乗る遅読の新社会人が、日々読み散らかした海外ミステリ(古典と現代が半々くらい)を紹介する趣味のブログです。ブログ開始から7年になりました。ちなみにブログ名は、某テンドーのカラフル怪獣とは全く関係ありません。
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