ソニア・ウェイワードの帰還
『ソニア・ウェイワードの帰還』マイケル・イネス(論創海外ミステリ)

海上で急死した妻、その死を隠し通そうとする夫。窮地に現れた女性は救いの女神か、それとも破滅の使者か……。軽妙洒脱な会話、ユーモラスな雰囲気、純文学の重厚さ。巨匠マイケル・イネスの持ち味が存分に発揮された未訳長編!(本書あらすじより)

今年『ある詩人への挽歌』で初イネスを体験し、やべぇこの作家はやべぇと感心したばかりですが、このタイミングで論創社からイネスが出ました。すわ、読むしかないのです。
……いや、この、なんだその、えーと。いや別につまらなくはないんだけど……みたいな気持ち。

突然死した作家の妻の死体を、なぜか処分してしまったペティケート大佐。せっかくなので自分の文才を試したいと、彼は妻の書きかけの小説に取り組み始めた。しかしながらそのせいで、とんでもない窮地に追い込まれることに……。

変則倒叙コメディというか。古き良きユーモア小説みたい。100年前くらいの(別に殺したわけではないので倒叙ではないんですが、まぁ死体を抱えるところから始まるという点ではそう)。

いやー分かるんですよ、イネスのやりたいことは。スノッブなダメ男が妻の死体を捨てたせいで迷走するうちに、問題を山ほど抱えてしまうというコメディに、作家という職業をネタにした遊びを入れてみたかったんだろうなと。「自信作を書いたつもりが、書けたものをあとで読み返してみたら超苦痛ではないか」とか主人公に言わせてみたかったんだろうなと。
序盤はかなり微妙だったんですが、終盤に入ってコメディのお約束のようなご都合主義的な展開が連続してかなり面白くなりました。妻の死体はもうない、けれども殺したと思われて逮捕されてはもっと困る、だからむりやり妻の不在をごまかさなければならない……というわけ。オフビートなまま、ひたすら主人公が自分の身を守るために奔走し、様々な手を打つも思いもよらない裏目に出続けるのです(良い意味でも悪い意味でも)。某国のせいであれやこれや、という部分はまさにコメディの醍醐味という感じ。

ただユーモア小説にありがちな軸のない感じや、端役のエピソードをちゃんと説明しないところなど、全体的にもやもやしたまま読み終わってしまったという印象は否めません。舞台っぽいというか、喜劇っぽいというか、要するに主人公のペティケート大佐さえ描き切れれば作者的には十分なんですよ。だからペティケート大佐まわりのあれこれを読者に見せるのが主眼なのでしょうが、いくらなんでも色々うっちゃったまま終わっているのでは……と思ってしまいます。
そのペティケート大佐も、そもそも最初から死体を捨てるという行動からしてちょっと理解しがたいのも事実。ご都合主義もいいのですが、発端がいきなり「????」となるのも困りものです。

なんだかまとまらない感想ですが、正直イネス中期の代表作がこれなのか……というがっかり感が強いです。おそらく初期作と比べれば読みやすいのではないかと思いますが、むしろ読みにくさの方を求めたくなります。

原 題:The New Sonia Wayward(1960)
書 名:ソニア・ウェイワードの帰還
著 者:マイケル・イネス Michael Innes
訳 者:福森典子
出版社:論創社
     論創海外ミステリ 189
出版年:2017.04.10 初版

評価★★★☆☆
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ある詩人への挽歌
『ある詩人への挽歌』マイクル・イネス(ミステリ・ボックス)

ラナルド・ガスリーはものすごく変わっていたが、どれほど変わっていたかは、キンケイグ村の住人にもよく分かっていなかった……狂気に近いさもしさの持ち主、エルカニー城主ガスリーが胸壁から墜死した事件の顛末を荒涼とした冬のスコットランドを背景に描くマイクル・イネスの名作。江戸川乱歩は「非常に読みごたえのある重厚な作品」として1935年以後の世界ミステリのベスト5に挙げた。(本書あらすじより)

江戸川乱歩が「スコットランド方言が分からなくて序盤ほとんど読めなかったけど、マイべストに入る」と謎の激推しをしたことで有名なマイクル・イネスの作品です。翻訳不可能とすら言われていたらしいですが、さすがはミステリ・ボックス、何でも出せるんだぜ。
というわけで満を持して読んでみましたが、うわっこれ面白いですね。古典本格好きには間違いなくおすすめです。

田舎の城主ラナルド・ガスリーの墜死事件を、複数人の手記形式で明らかにする、というのが大まかな話です。それぞれ手記であるということを意識して書いており(アプルビイ警部だけ違う気もする)、ウィルキー・コリンズ『月長石』以上に手記形式ミステリとして完成されていると思います。
で、その中で展開されるミステリなんですが、単純に作り方が上手いんですよ。靴直し職人、古典引用大好きな青年、さり気なくお茶目な老弁護士、警部……とそれぞれかなりクセが強く読んでいて楽しい面々による文章(特に乱歩が読むのに苦戦したという靴直し職人イーワン・ベルの語りがすごく良い)の中で、部分的に真相を少しずつ示していく手法がかなり技巧的。スコットランドの寒々しいど田舎っぽさがにじみ出る語り(書き手に村の住人もいれば外部の人もいるので余計にそれが伝わります)の中で、みんなが好き勝手に素人推理を言いつつ、さりげなく伏線がずんどこばらまかれていくんだからもう最高。よくよく考えたら、この形式でかなり際どいことやっているんですよね、イネスすごい。

ちなみに終盤の氷のあたりでめっちゃ興奮しました。こっこれは俺が大好きな『ナイン・テイラーズ』とか『自宅にて急逝』みたいなパターンでは! 最後にどーん的な!と思っていたら、なんかあのシーンはいろいろ目まぐるしすぎてそれどころではなかったね……(作者が結構非情)。このへんにイネスの話作りのうまさが感じられてめっちゃ好きです。ベタなやつに見せかけて、ちゃんとどんでん返しもあるっていう見事さ。
人物によってガラッと語りを変えていく翻訳がすごく良かったので、桐藤ゆき子さんという方は他にどんなミステリを訳されているのかと思ったら『ジョン・ブラウンの死体』だけでした(村上実子名義でSFはいくつか訳されていますね)。残念だなぁ。

というわけで、良いもの読んだなぁという総じて満足度の高い一冊です。ミステリ・ボックスはまだまだ隠れた名作がありそうで、本当に読みがいがあります。良いラインナップなんだよな、いやまったく。

原 題:Lament for a Maker(1938)
書 名:ある詩人への挽歌
著 者:マイクル・イネス Michael Innes
訳 者:桐藤ゆき子
出版社:社会思想社
     現代教養文庫 3039 ミステリ・ボックス
出版年:1993.07.30 1刷
     1994.01.20 3刷

評価★★★★☆