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『黄昏の彼女たち』サラ・ウォーターズ(創元推理文庫)

1922年、ロンドン近郊。戦争とその後の混乱で兄弟と父を喪い、広い屋敷に母とふたりで暮らすフランシスは生計のため下宿人を置くことにする。募集に応じたのはレナードとリリアンのバーバー夫妻だった。ふとしたきっかけから、フランシスは自分よりも年下のリリアンとの交流を深めていくのだが……。心理の綾を丹念に描いて読む者を陶酔させる、ウォーターズの最新傑作ミステリ。(本書あらすじより)

サラ・ウォーターズを読むのは『夜愁』に続いて二度目。ミステリ界隈で最も評判の良い『半身』も『荊の城』も読んでいないんですが、なんかこう、全然読んでいないのに読む前から面白いことが分かっている作家っているじゃないですか、自分の中ではそういう位置づけです(意味不明)。
戦間期イギリスが舞台の、あらすじによれば「傑作ミステリ」なのですが、上巻読了時点でミステリの欠片もありません。っていうかほぼ官能小説なのではというくらい、恋に落ちた女性と女性がもろもろの周囲の状況を無視していちゃついているばかり。とはいえ、文章がめちゃくちゃ良い上に指数関数的に話が盛り上がっていくので、とりあえずガンガン読めます。

と思いきや、下巻冒頭50ページで急展開が発生して、一気に話は別物に。数人しかいない登場人物まで雰囲気が別人に変わります。最初からカタストロフィの予感しかないのですが、とにかくどん詰まりと不幸にむけてまっしぐら。下巻の内容言うとネタバレになっちゃうので何にも言えないんですけど、ギリギリのところを言うと、新手の法廷ミステリになります。つまり事件が起きちゃうわけですね。

確かに展開は一見何一つ予想を裏切らないものなんですが、ただただ泥沼化していくサスペンス的な心理描写がひりつくほどえげつないのです。こんな何も起きない(そんなことはない)話なのにめっちゃ読ませるし面白いし、サラ・ウォーターズすごい(あと訳者の中村有希さんもすごい)。
例えば、登場人物ひとつ取ってもそう。物語は常に主人公フランシスの目線で語られているのですが、フランシスといい関係になってしまうリリアンが途中からどうしても嫌な女に見えます。ところが終盤になると結局勇気のないフランシスよりリリアンの方が行動しているように見えるから不思議。文章という文章を駆使して、作者が読者を見事に手玉に取っているんです。
とはいえ、リリアンのセリフ「わたしのしたことで、あなたがわたしを憎んでるのは知ってる。わたしが弱いと思ってるのも知ってる。もう弱くならないように、わたしだってがんばってるの。それでも、いまだけは弱いわたしでいさせて。何も変わらないって、わたしはすべてを壊してしまったわけじゃないって言って。」の破壊力やばくないですか。なにこれもうこわい。

そして、ラスト。正直なところ、自分には超衝撃的でした。「あぁぁぁぁぁぁぁっ!こんなのありかよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」みたいな気分です。マジかよと、サスペンスフルすぎるだろと。いやどんでん返しも何にもないんだけど、しかしこれは……。

というわけでフワッフワな感想ですが、お察しの通り終始楽しく読み終えることが出来ました。上下巻で、文章が濃いこともあり手こずるかもしれませんが、連続殺人鬼や逃亡犯が出てくるのとは違った、ヘビーな読書体験をしたいミステリ好きにはぜひぜひオススメです。

原 題:The Paying Guests(2014)
書 名:黄昏の彼女たち
著 者:サラ・ウォーターズ Sarah Waters
訳 者:中村有希
出版社:東京創元社
     創元推理文庫 Mウ-14-8,9
出版年:2016.01.29 初版

評価★★★★☆
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夜愁 上 夜愁 下
『夜愁』サラ・ウォーターズ(創元推理文庫)

1947年、ロンドン。第二次世界大戦の爪痕が残る街で生きるケイ、ジュリアとその同居人のヘレン、ヴィヴとダンカンの姉弟たち。戦争を通じて巡り合った人々は、毎日をしぶとく生きていた。そんな彼女たちが積み重ねてきた歳月を、夜は容赦なく引きはがす。想いは過去へとさかのぼり、隠された真実や心の傷をさらけ出す。ウォーターズが贈るめくるめく物語。ブッカー賞最終候補作。(本書あらすじより)

初ウォーターズ……なのに、なぜか『半身』でもなく『荊の城』でもないという。この2作はミステリとしても大変人気ですけど、『夜愁』はミステリじゃないという話しか聞きません。なぜこれから読んでしまったんだ……。
読んでみたら、確かにまったくミステリではないです。第二次世界大戦前後の時代を中心としたヒストリカルロマンスみたいなものです。
じゃあつまらなかったかって? とんでもない。いやーこれ、めっちゃ面白かったですよ。サラ・ウォーターズ、べらぼうに小説を書くのが上手いのです。

物語は1946年から始まり、徐々に遡っていくという形式をとっています。そうして、登場人物たちの過去がしだいに明らかになっていくわけです。最終的に1946年に戻ることもなく遡って終わってしまうという、なんとも珍しい(見ようによっては適当な)終わり方をしているのも特徴。で、べつに遡っていくからといって誰かの謎が明らかにされるとかそういうミステリ的なあれもありません。一応過去に何があったか伏せられている人物もいることはいるんですが、まぁどうでもいいですね、ぶっちゃけ。

ではひたすら何が描かれるかというと、レズビアン同士の狂おしげな愛情、過去に友人の死にかかわった傷つきやすい心を持った少年の心情、恋した相手が既婚者という不倫カップル、という様々な恋愛模様だったり心情模様だったりなのです。いかにもヴィクトリア小説にありそうな群像劇。いくつかの物語はゆるやかにつながってはいますが、特に意味があるわけではありません。
でまぁ、これらのストーリーの読者を惹きつける力がハンパじゃないのです。確かにプロットもへったくれもないし、もうびっくりするほど何にも起きないし、ストーリー自体ははっきり言って大したことありません。キャラクターもみな魅力的ではありましたが、感情移入させるようなものかと言えばそれも微妙。ところがこのあってなきがごときストーリーがサラ・ウォーターズが命を吹き込んだ登場人物に与えられると、何とも魅力的で、はかなくも美しく悲しい物語に見えて来るんだから本当に不思議です。これは訳文によるところもあるのでしょうが、傷つきやすい心を描いた文章がただただもう素晴らしいの一言。

そしてもうひとつが、1940年代イギリスの風俗・風景描写。上の心情描写については、まぁうまい作家はいくらでもいるとは思いますが、こっちについては今まで読んだ作家の中で一番上手いかもしれません。当時の人が書いたのではなく、あくまで21世紀の人間が過去の時代を調べに調べて書いたからこその、時代を感じさせる濃密な描写の数々。何気ない所作や光景にすら1940年代ロンドンが感じられるのです。これと比べたら、あぁた、ケイト・モートンなんて小学生並ですよ。それほどまでに時代描写にはずば抜けたものがあると思います。

結局のところ、レズビアン小説として、恋愛小説として、戦時小説として、これと言えるような優れた魅力があるわけではないかもしれません。そもそも骨格となるようなストーリーがないことはある意味で致命的な弱点ではあるでしょう。ただ、サラ・ウォーターズという作家が書いたからこそ、この『夜愁』は素晴らしい作品に仕上がったんじゃないのかなぁと、まぁ思うわけでした。というわけで『半身』『荊の城』も絶対読みます、なるべく早いうちに。

書 名:夜愁(2006)
著 者:サラ・ウォーターズ
訳 者:中村有希
出版社:東京創元社
     創元推理文庫 Mウ-14-4,5
出版年:2007.05.31 初版

評価★★★★☆