夜は千の目を持つ
『夜は千の目を持つ』ウィリアム・アイリッシュ(創元推理文庫)

星のふる晩、青年刑事ショーンは、川に身を投げようとしている娘を救った。彼女の父親が死を予言されたというのだ。予言者は今まで正確きわまりない予言をしてきた謎の人物だという。父親は実業家であり財産家だった。犯罪計画の匂いがありはしまいか? ショーンの要請で警察の捜査が開始された。アイリッシュの真骨頂を示す不朽の名作。(本書あらすじより)

村上博基さん追悼の意を込めて。なお、邦訳ではウィリアム・アイリッシュ名義になっていますが、正確にはジョージ・ハプリー名義の作品です。
毎年ウールリッチ/アイリッシュを一冊ずつ読んでいますが、今回は初めて微妙な作品に当たったかも。アイリッシュって9割は文体みたいなところがあるじゃないですか(その点訳者には恵まれましたよね、本当に)。だからある意味、内容がちょっと微妙でも十分楽しめるので、そういう点では要求は満たされているのです。とはいえ、少々長すぎるようにも感じました。もうちょっと内容を絞っているとだいぶ評価が変わったのではないかと思います。

ストーリーは、父親の死を予言されたと話す娘のために、刑事がその予言者を調べ、さらに死のタイムリミットまでに命を救おうと奔走する、というものです。序盤は自殺しようとしたいたところを助けられたその娘が、刑事に謎の人物が次々と予言を的中させていったいきさつを語る回想形式になっています。復讐型とタイムリミット型のアイリッシュ長編しか読んだことないので、こういうオカルトチックな内容は面白かったですね。

ところがその回想パートが終わり、いざ具体的にその予言者を調べようとしていく後半が物足りないのです。読者としてはその予言が本物なのか、嘘であればどうやって事故や株価の変動などを当てているのか、というところが気になるわけです。で当然、予言の期日まであと数日しかない中、複数の刑事が命令のもと様々な角度から予言について調べていくのですが、全員にきちんと焦点が当たらないせいで、この捜査部分が非常に不十分に感じられます。もしタイムリミット的なサスペンスで盛り上げるのであれば、捜査の内容を絞るべきでしょう。どっちにしろ中途半端なのです。予言は本当なのか?というオカルトチックなネタだけで長編を書けてしまうのは、やっぱりアイリッシュならではなのですが。

中盤の捜査パートこそあれですが、終盤のタイムリミットに募るサスペンス感はさすが。特に時間が迫る中、刑事と娘と死を予告されている父親がルーレットをしながら黙々と全てを賭けていくシーンは、異色作家短篇集に入りそうな凄味があり、非常に素晴らしいと思います。
解決編が腰砕けなのはいつものことですが、今作の場合は現実的な解決になるのか超自然的な解決になるのかで引っ張るので、ある程度は仕方ないでしょう。個人的に、この手の引っ張りはどうせ不満を感じるのであまり好みではありません。ちなみに娘が星を怖がっていた理由も何だったんだろう……。

というわけで、まぁアイリッシュファンなら読んでもいいかな、というくらいですかねー。こういう時もあります。来年の一冊に期待。

原 題:Ngiht Has a Thousand Eyes(1945)
書 名:夜は千の目を持つ
著 者:ウィリアム・アイリッシュ George Hopley
訳 者:村上博基
出版社:東京創元社
     創元推理文庫 Mア-1-4
出版年:1979.07.20 初版
     1989.01.06 12版

評価★★★☆☆
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裏窓
『アイリッシュ短編集3 裏窓』ウィリアム・アイリッシュ(創元推理文庫)

ヒッチコック監督の映画化であまりにも有名な「裏窓」の原作を筆頭に、卓抜なアイディアの「じっと見ている目」、恐怖ショート・ショートの佳編「だれかが電話をかけている」、珍しい密室ものの中編「ただならぬ部屋」、傑作ファンタジー「いつかきた道」ほか、「死体をかつぐ若者」「踊り子探偵」「殺しの翌朝」「帽子」と、粒揃いの名品9編を収めた。(本書あらすじより)

(2015年に読んだ本の感想になります。書きそびれていました)
アイリッシュ/ウールリッチは基本的に年一冊ずつ読んでいますが、短編集は初めてです。
1つ1つ個性的で、読んで数ヶ月経ったものですらよく覚えている、というような短編集でした。ユーモラスなものからファンタジー、人間の隠された狂気を描いたノワールから密室殺人まで、とにかくバラエティに富みますが、アイリッシュの本領は「事件の捜査」なんじゃないかと思います。
ベストはアイデアの秀逸さが光る傑作「じっと見ている目」ですが、代表短編であろう「裏窓」「ただならぬ部屋」も十分に面白いです。その他では「殺しの翌朝」の発想もいいですね。アイリッシュは短編でも、サスペンス下の状況を作るのが上手いんだなぁ……。おすすめです。
以下、収録短編の個別感想です。なおせっかくですので、以前作ったアイリッシュ/ウールリッチの邦訳短編集の比較表を載せておきます。こちらをご覧ください。雑誌収録短編なんかもいずれ追加したい……。

「裏窓」It Had to Be Murder(Rear Window) (1942)
裏窓からいろいろと目撃する話。
映画未視聴。1942年の短編で、『幻の女』とか書いていたキレッキレの頃の作品。ずっと郊外の一軒家の2階の窓から何かを目撃する話かと思ってたんですが、普通にニューヨークのアパートでした。そりゃそうだ、アイリッシュなんだし。
主人公は足が不自由で動けないのですが、結構積極的な休養中の刑事。自分が目撃したのが殺人かもしれない、ということに主人公が気付くまでが遅いのです。この気付きの遅さがテーマの1つになっていて繰り返し出て来るのですが、当然読者は早々と気付いているわけで、このズレにサスペンスが生まれています。
主人公が死体の隠し場所を気付くとこなんかは完全に本格ミステリでやだもーアイリッシュさんったらーという感じ。サスペンスの古典中の古典で、ベタの域をどこまでも外れないんですが、その安定さが良いのです。不安を煽りすぎないところも良いですね。そしてやっぱりメインは夜のニューヨーク。

「死体をかつぐ若者」The Corpse and the Kid(1935)
義母を殺した父親を救うため、息子は死体を隠そうと奮闘する。
奮闘したことで思いもよらない結果が引き起こされるのですが、この毒っ気のなさが読んでいて清々しい作品。車(ロードスター)の補助席ってどういうもんなんだろう……助手席ってことだよね……?

「踊り子探偵」Dime a Dance(1938)
踊り子連続殺人犯に親友を殺された踊り子ジンジャーは犯人を見つけられるのか。
ジンジャーのすれた口調の一人称で、狂った殺人犯、および刑事との淡い恋愛が描かれます。サスペンス味溢れつつも最後の一言が美しい読み心地のよい良短編。
なんかさぁ、貧しく哀れなんだけど、でも強気で一生懸命なジンジャーが、刑事とツンデレな恋に落ちるわけですよ。どんだけロマンチックなんだよっていう。やっぱりアイリッシュは夜の都会の恋とサスペンスを書かせると圧倒的です。

「殺しの翌朝」Morning After Murder(Murder on My Mind)(1936)
刑事のマークはその朝発見された殺人現場へと行く。しかし景色に違和感を覚えたり、なぜか隠されてた証拠品をあっさりと見つけたりと妙なことが相次ぎ……。
このテーマを恐怖より寂しさで締めるのがアイリッシュ。ほのめかしの積み上げが抜群にうまいです。

「いつかきた道」Guns, Gentlemen(1937)
スティーヴンは自分とそっくりな、若くして亡くなった肖像画の先祖に憧れていた。
幻想的でファンタジックな短編。アイリッシュこんなのも書けるんだなぁ。ラストに現実と幻想が混ざり合っているんだけど、このあといったいどうなるんでしょう。

「じっと見ている目」The Case of the Talking Eyes(1939)
全身麻痺のためまばたきしか出来ない老女が、息子を殺そうとする嫁の計画を耳にしてしまう。
すごい、ど傑作です。オールタイムベスト短編に入れてもいいくらい。
アイデアがお見事という他ありません。息子を救うべく目だけで奮闘する母親の努力と、嫁の清々しい悪女っぷりがすさまじい。あとはぜひ読んで確かめてみてください。

「帽子」The Counterfeit Hat(The Singing Hat)(1939)
帽子を間違えて持って帰った男は、中から大量の偽札を見つけてしまった。
警察官の捜査小説。ひねりなどはありませんが、アイリッシュお得意のわずかな手がかりから犯人を追跡する様を楽しめます。
アイリッシュって倒叙とかを書くのめちゃくちゃうまいかもしれないですね。犯人の残した手がかりを警察官がたどるのを書くのが抜群に良いです。

「だれかが電話をかけている」Somebody on the Phone(1937)
誰かからかかってくる電話を恐れる妹を見て兄がとった行動とは。
ショートショート。あらすじにあるようなホラー的なものではなく、むしろノワール的。悪くはないのですが、個人的にはもう少し書いて欲しかったかなと。

「ただならぬ部屋」Mystery in Room 913(1938)
セント・アンセルムホテル913号室に泊まった客が飛び降り自殺をする事件が3回起きた。ホテルの保安係ストライカーは自殺と決めつける刑事に抗い独自の捜査を始める。
アイリッシュの代表短編(中編)と言っていいでしょう。「九一三号室の謎」のタイトルで他短編集にも収録されています(集英社文庫の『ホテル探偵ストライカー』はこんなタイトルなのに、ストライカーが出る作品はこれしかないっていう)。
密室下で自殺をさせるトリック、その犯人あてとして、まず文句無しの出来と言ってよいと思います。最後めちゃくちゃ強引にひとつ(もしくはふたつ)辻褄を合わせている雑さは、まぁアイリッシュらしいから許します。某探偵漫画の某トリックは、これを現代化させた内容と言えるかも。
ただ面白いのは、他の短編と同じく、謎解きよりも捜査を重視している点。殺人だという主張を全く相手にされなかったストライカーが、執念でもって事件を解決しようと孤軍奮闘する様の方が印象に残ります。ちなみにフィニイと並ぶ高層ビル短編ミステリでもありました。
ちなみに、このセント・アンセルムホテルとは、もちろんコーネル・ウールリッチの連作短編集『聖アンセルム923号室』の舞台と全く同じです。当時アイリッシュがホテル住まいをしていたことが元となっています。

原 題:Somebody on the Phone and Other Stories(1935~1942、日本オリジナル短編集)
書 名:アイリッシュ短編集3 裏窓
著 者:ウィリアム・アイリッシュ William Irish
訳 者:村上博基
出版社:東京創元社
     創元推理文庫 Mア-1-7
出版年:1973.03.30 初版
     1985.07.05 15版

評価★★★★☆
喪服のランデヴー
『喪服のランデヴー』コーネル・ウールリッチ(ハヤカワ・ミステリ文庫)

旅客機の乗客が心なく落とした壜がすべての不幸を巻きおこした。壜はジョニーの愛する娘の生命を一瞬のうちに奪いさってしまったのだ。永遠にいやされぬ悲しみを心に秘めて、ジョニーは復讐の鬼となった。その日その機に乗り合わせた男たちの妻や恋人を、ひとりずつ誘惑し、残らず殺そうと計画したのだ! 一方、狂った殺人鬼を捕えようと警察は報われぬ努力を続けていた。比類なきサスペンスと、独特な抒情にみちた傑作。(本書あらすじより)

『葉桜の季節に君を想うということ』で読書スピリットをずたずたにされたワタクシは、ストーリーの面白さに浸りたくなり、ウールリッチに救いを求めました。
なんて安定のウールリッチなんだ……面白いよウールリッチ……ウールリッチ面白いよ……読書が楽しくて仕方がないよ……ありがとうウールリッチ……。

『幻の女』とか『黒衣の花嫁』は、結末にひねりがある一方で、そこが微妙な上に説明がだらけるせいで前半9割が面白いって感じでしたが(どっちも大好きですけどね)、『喪服のランデヴー』は結構ストレートで、その分ウールリッチ節を堪能出来て、つまり傑作でしたねまたしても。相変わらずの読みやすく哀愁漂う叙情性豊かな文体と、メリハリの効いた良サスペンス。まさに隙なしというお仕事ぶりでした。

飛行機の窓から放り投げられた壜に当たって、ジョニーの恋人は死んでしまいます(ギャグではない)。復讐の鬼と化したジョニーは乗客全員を不幸のずんどこに落とすべく計画を練り始める……というのがもう設定の勝利。飛行機の窓は開かないとかそういう無粋なツッコミはなしよ!
読者はもちろんジョニーを応援したいんですが、彼のやり方があまりに悲劇的で見ていてつらくなってきます。そうして引き起こされる一連の事件を追い、殺人を未然に防ごうとするカメロン刑事、この人がまーかっこいいんです。使えない上司を持つせいで大変なカメロン刑事ですが、それでも頑張って犯人を探します。次第に明らかになっていくジョニーの存在! 追うものと追われるもの! とこの辺は王道中の王道。
ジョニーは乗客を次々と殺していきますが、彼らの関係性があまりに希薄なため、警察はこれが連続殺人だとすら気付けません。カメロン刑事はいかにして真相に気付き犯人を追い詰めるのか?という倒叙っぽい要素、探偵vs犯人という(どちらにも肩入れしたくなるような)対決と、ミステリっぽさでも良く出来ています。

というあらすじで分かると思いますが、『黒衣の花嫁』の裏バージョンといった趣なんですよね。主人公が男か女かという違い。ただ、最初にも言いましたが、『幻の女』『黒衣の花嫁』のような捻りがない分、こちらの方がストレートに楽しみやすいかもしれません。
まぁそのせいで普通に終わったなーって気もしますが、いまラストを読み返したらなんか感動して泣けてきちゃったので、やっぱり感情移入しまくってたんですね。各話の充実した恋愛エピソードと、ジョニーの壮大な物語。ウールリッチの描く究極の愛の物語をご賞味下さい。傑作です。
ウールリッチはこれで4冊読みましたが、『幻の女』も『黒衣の花嫁』も『喪服のランデヴー』も『聖アンセルム923号室』も全部傑作だし、いやほんとすごい作家さんです。

ちなみに佐野洋さんが作品内のとある矛盾を指摘して、こんな欠点のある作品が書店に並ぶのはけしからん、絶版にしろ、と言ったそうで、てっきり飛行機の窓は開かないとかそういうことかと思ったら、自転のことだったんですね。うーん確かにこれはとんでもない間違いですが……まぁ面白いからいいじゃないですか、ね。

書 名:喪服のランデヴー(1948)
著 者:コーネル・ウールリッチ
出版社:早川書房
     ハヤカワ・ミステリ文庫 10-1
出版年:1976.04.30 1刷
     2002.02.28 8刷

評価★★★★★
黒衣の花嫁
『黒衣の花嫁』コーネル・ウールリッチ(ハヤカワ・ミステリ文庫)

ジュリーと呼ばれた女は、見送りの友人にシカゴへ行くといいながら、途中で列車をおりてニューヨークに舞い戻った。そして、ホテルに着くと自分の持物からイニシャルをすべて消していった。ジュリーはこの世から姿を消し、新しい女が生まれたのだ……やがて、彼女はつぎつぎと五人の男の花嫁になった──結婚式も挙げぬうちに喪服に身を包む冷酷な殺人鬼、黒衣の花嫁に。巨匠ウールリッチの黒のシリーズ劈頭を飾る名作。(本書あらすじより)

うぉぉぉぉぉぉぉウールリッチすげぇ面白い!あんたは天才か!
『聖アンセルム923号室』『幻の女』しか読んでいなかった自分ですが、いずれも傑作でした。『黒衣の花嫁』もやはり傑作。代表作はいずれもきちんと傑作。なんと素晴らしい作家なんですか。

なんてったってまず話がべらぼうに面白いのです。謎の女(めちゃくちゃ魅力的なヒロイン)に、一見無関係に思われる男たちが次々と殺されていくという展開がもうひたっすら楽しいし、それを必死で追う刑事もいいし、とにかくべらぼうにカッコイイ小説。毎章毎章が必要最小限の言葉でキッチリまとまり、終わっていくのが素晴らしく良いんですよねぇ。天性の才能を感じます。読者を飽きさせまいと、毎回変化をしっかりと加えているのにも好感が持てるところ。そして第4部で、なかなか面白い繋がりが出てくるとともに、サスペンス感が一気に強まるわけですよ、激アツじゃないですか。
何よりもヒロインである「花嫁」が魅力の塊のような人で、殺人犯である彼女を読者は応援せざるを得ません。復讐の方法がまたいちいちカッコイイんですよ。これは(映画化されちゃいましたが)絶対に映像化出来ない作品のような気がします。三次元で見たら、とたんに魅力が薄れてしまうような。

しかし解説にあるとおり、決して欠点のない作品ではありません(『幻の女』も読み終わったあとこんな気分になった記憶が)。正直、最後の展開はちょっと気に入らないのですが、これはもしかしたら彼女に感情移入しすぎたせいでしょうか。刑事がここまでこの事件に執着する理由が別にないというのもやや問題かもしれません。ウールリッチはラストの説明がいちいち長いのか、『幻の女』と同様、必要な説明ではあるにもかかわらず、最後に蛇足っぽさをどうしても感じてしまいます。
でもま、これだけ面白けりゃ最後どうなろうがどうでもいいというか、ラストがちょっとアレでも気にしない、というのが本音です。ウールリッチファンを自称する人は、きっとこういう欠点も含めて愛おしくなるんでしょうね。

というわけで、ウールリッチすげぇぇな、と思わせられる一冊でした。まだまだ未読の長編だらけですし、短編集なんかも面白そうなので、じっくり読み進めていきたいところです。

書 名:黒衣の花嫁(1940)
著 者:コーネル・ウールリッチ
出版社:早川書房
    ハヤカワ・ミステリ文庫 10-4
出版年:1983.8.15 初版
    1989.12.31 4刷

評価★★★★★
幻の女
『幻の女』ウィリアム・アイリッシュ(HM文庫)

夜は若く、彼も若かった。が、夜の空気は甘いのに彼の気分は苦かった……ただ一人街をさまよっていた男は、奇妙な帽子をかぶった女に出会った。彼は気晴らしにその女を誘ってレストランで食事をしカジノ座へ行き、酒を飲んで別れた。そして帰ってみると、喧嘩別れをして家に残してきた妻が彼のネクタイで絞殺されていたのだ!
刻々と迫る死刑執行の日。唯一の目撃者“幻の女”はどこに?サスペン小説の巨匠の最高傑作!(本書あらすじより)

すげぇ!!!!!!

といきなり叫んでしまうくらい超好みでした。こっ、これは準オールタイムベストか、それ以上クラスでは。有名作ですので、もう読まれた方が多いかと思いますが、もし未読の方がいたら、読みましょう。読みなさい。傑作です。

自分は基本的に、この手のサスペンスは苦手なのです。心臓に悪い(そんなこと言ったらサスペンスもくそもないんだけど)。主人公に無実の罪が……というパターンを楽しめないんですよね。というわけで、読むまではやや敬遠していました。旧版の表紙の感じが悪かった、というのもあります(笑)

しかぁし!この作品の本質は、そりゃあもちろんサスペンス性もありますが、一番は1940年代ニューヨークの叙情性ですよ。夜の街ですよ。どこか物悲しいアイリッシュの語りこそがこの作品を傑作たらしめているのです。もちろん、翻訳された稲葉明雄さんの名訳も忘れてはいけません。あまりに有名な最初の文章、「夜は若く、彼も若かった。が、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。」がいきなりまずカッコイイじゃないですか。
ちなみに、現在書店に並んでいる新版は、稲葉さん本人により翻訳がやや手直しされていて、「若かったが、~」と、1文にまとめられています。が、どう考えてもこちらの方が良いです。直訳過ぎて意味がずれている、とかいう文句もあるらしいですが、えぇい知ったことか、いいものはいいんじゃ。

理解不能な状況に巻き込まれ、死刑執行目前、という主人公を助けるべく現れる主人公の友人が、「俺が助けるぜ!」とか言い、男の友情を感じさせます。うぐぐ、泣けるじゃねぇか。刑事さんも地味に良いポジションを持って行きやがってこのやろう。
そして、これから読む人の驚きを減らさないために極力何も言いたくないんですが、ラスト、「おぉっ!」という展開にちゃんとなります。何も考えずにハラハラしながら読んでいた自分は普通にぶったまげました。見事にしてやられましたよ、すげぇなアイリッシュさん。

まぁね、某人物の正体が最後に明かされますが、これはちと余計かな、とは思います。読者の想像に任せた方が魅力的だったかと。とはいえ、『幻の女』、文句なしの傑作です。読んでいて本に没頭すること間違いなし。いやぁ、面白かったです。これからはアイリッシュ攻めるべきですね、えぇ。

書 名:幻の女(1942)
著 者:ウィリアム・アイリッシュ
出版社:早川書房
    ハヤカワ・ミステリ文庫 9-1
出版年:1979.8.31 1刷
    1993.7.31 30刷

評価★★★★★
『聖アンセルム923号室』コーネル・ウールリッチ(ハヤカワポケミス)

ウールリッチ(アイリッシュ)初読です。コーネル・ウールリッチが数年間の沈黙ののち、母の死をきっかけに書いたという作品です。本国ではミステリとしては出版されていないそうですが、確かに必ずしもミステリには入らないでしょうね。ポケミスから出してもいいとは思いますが、いっそのこと一般向けに出した方がよかったかもしれません。短編集の形を取っている用に見えますが、長編として発表されたようです。独立した話が7つあるようで、微妙なつながりがあるんです。

ホテルの一生と人間の一生を重ね合わせて、ホテル誕生から閉鎖までの約60年におきた、7つのストーリーを描いています。どれも一つ一つが心に残る作品ですね。1話は人間の純真さとその素晴らしさ(?)、2話と3話はいかに人間がさばさばしているかという話、4話は命のはかなさと孤独についてで、5話は自殺、6話は戦争批判を加えた人間の芯の愛情を語り、7話で人間の一生を描きます。

個人的に、お気に入りは5話です。事業に失敗した実業家が自殺しようとホテルに来る話ですが、生きる素晴らしさ、希望を与える話です。ありがちそうな題材ですが、ホントにきれいに仕上がっています。7話も素晴らしいですが、これに関してはノーコメントで。ネタバレで読んでは意味が全くありません。全話、タイトルは「何とか年」となっていますが、6話のみ「……年」とあるのも非常に意味深いですね。

ちょっとよくわからんかったんは、6話です。これを読んだ人の中には、後日の悲劇を暗示しているんじゃないかという人もいるようです。確かに、例の日付の前日の話だというのが愛情のもろさを示しているのかもしれません。しかし、この作品はやっぱり、翌日のニュースの中で、周りの非難の中、愛し合う男女の強い愛情を描こうとしているんだと思いたいです。ぜひ日本人なら読んでおいていいと思います。どうでもいいですが、登場人物のケンという名前には恐れ入りました。

ところで、これは神田の古本街で買ってきたんですが、文章が「なつた」「なになにしちやつたよ」みたいなのが最初読みにくくて……。まぁ、すぐなれますけどね。第2版なんだから、文体くらい直してもよかったんじゃないのかな…。いやでも、この文体がある種の雰囲気をも与えているし……。

書 名:聖アンセルム923号室
著 者:コーネル・ウールリッチ
出版社:早川書房
     ハヤカワ・ポケット・ミステリ 506
発 行:1959. 初版
     1983.6.15 2版

評価★★★★☆


【追記】小文字が大文字になつている本を読んだのは、確かこれが初めてでした。今はどうってことないんですが、この感想文を読み返すと、最初はそうでもなかったんですね。ポケミスが文字を直さないのには、今の意見では賛成です。その方がなんかかっこいいんですよ、平成生まれにとっては。