緑のカプセルの謎
『緑のカプセルの謎』ディクスン・カー(創元推理文庫)

小さな村の菓子屋で毒入りチョコレートが売られ、子供たちのなかから犠牲者が出るという珍事が持ち上がった。ところが、犯罪研究を道楽とする荘園の主人が毒殺事件のトリックを発見したと称して、その公開実験中に、当のご本人が緑のカプセルを飲んで毒殺されてしまった。事件も単純、関係者も少数であったが、関係者はそれぞれ強固なアリバイを証明しあうので、謎の不可解性は強くなるばかり。さて、カプセルを飲ませた透明人間は誰か? 作者が特に「心理学的手法による純粋推理小説」と銘うつ本編は、フェル博士の毒殺講義を含むカーの代表作。(本書あらすじより)

先月三角和代さんによる新訳が出ましたが、それではなく、(積みっぱなしだった)旧訳版です。ジョン・ディクスン・カーではなく、ディクスン・カーなのです。なんだかんだ年1冊くらいのペースで読み続けているので、もう地味に15冊も読んだのか……俺はカーを好きだったのか……。

小村での無差別毒入りチョコレート事件というショッキングな事件が既に発生しており、未解決ではあるものの一人の女性が疑われていることがまず示されます。そして毒殺トリックを見抜いたとのたまう荘園の主人がそれを証明するためある実験を行ったところ、その最中に緑のカプセルによって殺されてしまうのです。フェル博士らは、実験を観ていた容疑者の面々の証言から真相を割り出そうとするのですが、この実験がトリックまみれのものであったため捜査は難航し……。

地味なカーで、そしてそれがすごく良いです。冒頭のポンペイのシーンやトリックなど、ミステリとしての構成は非常にクリスティーっぽいのですが、愉快犯的な最初の殺人や10の質問やフィルムなど、要するに事件の不可解性を強調したり解決の鍵になったりする要素はカーっぽいのが面白いですね。
なんといっても秀逸なのが、被害者自身が騙しを仕掛ける実験を行うという設定。同じ舞台を見せられているのに、身長やら色やらがどうだったのか、人によって証言が違うという奇妙な状況が生じます。何しろ被害者によるトリックと真犯人によるトリックが入り乱れているわけですから、非常に複雑。同じ事柄に対して全員の証言が合わないなんて、普通はせいぜいコナンのエピソード3つ分くらいの内容なのに、やり方と見せ方と仕込み方が上手いせいで中だるみしない程よい長編に。っていうかどんだけ本格ミステリ的に便利な設定なんだ……ずるい……この設定のためだけに子供を毒殺するカーはまさしく鬼畜……。
さらに、犯人判明後の説明で実験の全貌がようやく明らかになり、うわそんな単純なことだったのかさすが、ってなるあたりに、このカーの上手さがありますよね。心理トリックとかじゃないんですよ、ゴリゴリの物理トリックで華麗に実験の謎が明かされるわけですよ。感心するしかないじゃないですか。しかも最後に一気に種明かしするわけではなく、中盤から徐々に答えを示していき(時計とか)、さらに説明がつかないところをラストにばっと出すという、さすがの構成力。推理する人たち(諸々の警官など)と読者の思考のスピードが近く感じられるのも見事(毒入りチョコレート事件をさっさと終わらせるあたりとか。あと色が違うとかごちゃごちゃ揉め始めているのも、はいはい色盲ねつまんないやつねと思ったら全然違いましたね……)。

ま、不満がないわけではないのですが、そもそもカーは基本的に少なくない不満を多量の満足で押しつぶすことによって読者を感心させるスタイルですからね。犯人の行動についてどうかと思わないでもないすが、トリックの肝の部分が見事なので許しちゃえます。雑で若干失敗している感のあるロマンスが、2年後『連続殺人事件』で完成するわけですね分かります。ひとつだけ気になった点については、追記にネタバレで書きます。
というわけで、いやー安定のカーだなぁ。本格ミステリ作家、エンタメ作家としてのアベレージの高さには、今さらながら目を見張るものがありますね。

原 題:The Problem of the Green Capsule(1939)
書 名:緑のカプセルの謎
著 者:ディクスン・カー John Dickson Carr
訳 者:宇野利泰
出版社:東京創元社
     創元推理文庫 Mカ-1-12(118-9)
出版年:1961.03.31 初版
     1989.01.06 20版

評価★★★★☆
... 続きを読む
スポンサーサイト
ビロードの悪魔
『ビロードの悪魔』ジョン・ディクスン・カー(ハヤカワ・ミステリ文庫)

歴史学教授フェントンは昔日のある事件を調べたい一心で悪魔と契約を交し時を遡った。300年前の同姓同名の貴族に乗り移り、その妻リディアが毒殺された事件を自ら解明しようというのだ。きっかけは、当時の事件の顛末を記した執事の手記だった。なぜか事件解明の部分だけが欠落していたのだ。手記の紛失は一体何を意味するのか? そして過去の謎に挑むフェントンは、リディア毒殺を防ぎ歴史を作り変えられるのか? 騎士物語を彷彿させる華麗な恋愛模様と壮絶な剣戟場面を織り込み、中世英国を舞台にものした幻想的な歴史ミステリ巨編!(本書あらすじより)

カーの歴史物にして、最近ではカーの代表作としてカウントされることも多い一作。歴史物読むの初めてかも。
すごく面白いんですよ、トリックもある種カーらしくてすごく良く出来てるし、活劇も楽しいし、歴史ネタも書き込みがほどほどでナイス。分厚さを気にせずがっと読める面白さです。でもなぁ……オチがな……あとこの剣劇シーンはそんなにだろうか……などなど、微妙に不満が残る感じでした。カーの代表作は読んでみるまで自分に合うか分からないので困る……。

話はあらすじの通り。教授の精神のまま、悪魔との契約で過去のニック卿に乗り移るという設定には非常に感心しました。中盤である人物と悪魔の関係が出て来たとこなんかむちゃくちゃ驚きましたし、歴史に刻まれた妻が殺される期日までに犯人を見つけ出すというデッドライン物としての面白さ(これが地味に好き)、設定を上手く用いて仕掛けたトリックの見事さはすごいです。
冒険活劇としてのチャンバラシーンもいいんですけどね、現代の知識を利用し(ずるい)屋敷内の揉め事をばっさばっさと解決しながら執事召使たちとの絆を深めていくあたりは実にアツいですよ。執事のガイルズが薄々察してましたとか言うあたりなんか超アツいじゃないですか。少年漫画みたい。

ただバトル物としては、ラスボスお前かよというがっかりさと、17世紀とは比べて進化したフェンシング技術を手にした主人公は無敵みたいな設定のせいで、いまいち盛り上がらなかった気がします。だって勝つんですよ、これでは普通に(ぶっちゃけこれそんなにチャンバラ物として面白いのかなっていう……こ、これ言ったら怒られそうだ)。あと大学教授のくせに躊躇なく剣を振るいすぎな気も。殺すことにためらいもないのかおい。
イチャミス的には愛人に気を引かれつつも奥さんとイチャイチャし続けるという話だったら良かったんですが、主人公がだらしなかったし、最後のあたりがかなりダメだったのでアウトです(イチャミス的とは……)。あとこの打ち切り漫画みたいなラスト、これは嫌いなパターンなんだよなー。先行き不安でしかないぞ。

総じて大いに楽しめたし、ミステリと歴史小説の融合としては完璧な部類だとは思うけど、カーの面白かったランキングを作るとベスト3には入らないかなぁってくらいです。他の歴史物からも判断したいところ。
カーのよく聞く代表作であと読んでいないのは、『帽子収集狂事件』『囁く影』『緑のカプセルの謎』『白い僧院の殺人』くらいでしょうか。まだまだ終わりが見えないですね……。

書 名:ビロードの悪魔(1951)
著 者:ジョン・ディクスン・カー
訳 者:吉田誠一
出版社:早川書房
     ハヤカワ・ミステリ文庫 5-7
出版年;1981.01.31 1刷
     2003.04.15 4刷

評価★★★★☆
皇帝のかぎ煙草入れ
『皇帝のかぎ煙草入れ』ジョン・ディクスン・カー(創元推理文庫)

フランスの避暑地ラ・バンドレットに暮らす若い女性イヴは、婚約者トビイの父サー・モーリス殺害の容疑をかけられる。夜更けの犯行時には現場に面した自宅の寝室にいた彼女だが、部屋に忍びこんだ前夫ネッドのせいでアリバイを主張できない。完璧な状況証拠も加わって、イヴは絶体絶命の窮地に追いこまれる──。「このトリックには、さすがのわたしも脱帽する」とアガサ・クリスティをして驚嘆せしめた、巨匠カー不朽の本格長編。(本書あらすじより)

言わずと知れたカーの代表作(そうですまだ読んでなかったのです)。カーらしい豪快さとかオカルティズムとかがなく、非常に端正な出来の本格ミステリで、クリスティーなどに近い、むしろ異色作、なんて評価もよく聞きますが、なるほど、読んでみると確かにその通り。カーにしては補助要素というか盛り上げ要素が少なく、殺人容疑をかけられた女性を、トリックを見破った探偵が救うという、雑味のないストレートな本格ミステリです。ただ、肝心のトリックが微妙に弱い、と個人的には感じられたのですが、どうでしょう。

主人公の女性イヴは窓越しに隣家ローズ家の殺人の目撃者となりますが、もろもろ証拠があっていろいろ疑わしい状況に陥ってしまいます。この証拠の多様さがなかなか面白く、読者が説明できること(イヴの服についた血とか)だけでなく、服についたかぎ煙草の欠片など説明できないことまであるため、非常に謎がスリリングです。
で、そのトリックはある点に気付けるかどうかにかかっていまして、細かいところまで推理できるかはともかく、そこに気付くとよく分からなくてもほぼ犯人が確定してしまいます。結構綱渡りにヒントを出しているせいで、気付いてしまったのが本当に残念。もちっと解決場面で驚きたかったです。ただ、それを隠すための叙述の巧みさには感心しました。

それ以外の要素は、わりと適当なローズ一家の人物描写(おじさんパイプ咥えてるだけじゃん)とか、イヴが疑われてからのもったりした展開とか、カーらしい魅力を排しているだけに、まぁ普通。イヴの婚約者であるトビイのクソっぷりとかはなかなか読ませるとは思います。こういうミステリは中学生のうちに読むべきでしたよ、うん。
まぁカーはまだまだ読みたい作品あるので、そっちからちゃんと潰していかないとですね。『囁く影』とか『緑のカプセルの謎』とか『ビロードの悪魔』とかそのへんです。カーらしいカーが読みたいな、とりあえずは。

書 名:皇帝のかぎ煙草入れ(1942)
著 者:ジョン・ディクスン・カー
出版社:東京創元社
     創元推理文庫 Mカ-1-14
出版年:2012.05.25 初版

評価★★★★☆
夜歩く
『夜歩く』ディクスン・カー(創元推理文庫)

刑事たちが見張るクラブの中で、新婚初夜の公爵が首無し死体となって発見され、現場からは犯人の姿が忽然と消えていた!夜歩く人狼がパリの街中に出現したかの如き怪事件に挑戦するのは、パリ警視庁を一手に握るアンリ・バンコラン。本格派の巨匠が自身満々、この一作をさげて登場した長編デビュー作。カーの代表作と目される作品のトリックをいち早く使用した密室物ものの秀作。(本書あらすじより)

このあらすじはどうかと思いますけど、とにかく『夜歩く』です。この間新訳が出ましたが、それではなくて、新訳が出たことを機にあわてて積ん読から引っ張り出してきた旧訳版です。本読みは、積んでいる本を復刊されたら負けなのです。なんのこっちゃ。
古い創元なので、ジョンのつかないディクスン・カーですねー。

面白いことは面白いのですが……少々凡庸というか、ありきたりというか、これといって目立つものがないというか、まぁはっきり言って、新訳も色々出て来た2013年に、いまさらカーの作品からこれを読む必要は感じません。カーらしさ&らしくなさを見たいファンが読めば十分なんじゃないかな、と。

トリック諸々は分かってしまう人も多いでしょうね(○○の正体とか自分は普通に驚きましたが、よく考えれば分かりますね、これ)。不可能犯罪は少々不自然。しかし、かなり長尺の解決シーンは話を大いに盛り上げ、犯人の自白も迫真というか狂気に満ちていて実に読ませます。ラストに近づくほど芝居がかってくるのも楽しいです。
ただやはり序盤中盤が地味ですねー。狂人が誰かに化けてるぜ!な要素も出しっぱなしで緊張感に欠けるし、容疑者に話を聞いて回るのもばらばらとしていて集中出来ません。古典ミステリにありがちな語り手の頭の回転の遅さも少々いらっとします。容疑者がそれぞれもっと魅力的なら良かったのかな。

個人的には、フェンシングによる決闘を書いてくれれば、もっと楽しかったんじゃないかなと思いますが、まぁそういうのはカーがまだこの頃は抑えていたから仕方ないですね。全体的に頑張っていることは分かる処女作らしい処女作、という印象です。

書 名:夜歩く(1930)
著 者:ディクスン・カー
出版社:東京創元社
    創元推理文庫 Mカ-1-17
出版年:1976.7.23 初版
    1995.7.7 26版

評価★★★☆☆
三つの棺
『三つの棺』ジョン・ディクスン・カー(ハヤカワ・ミステリ文庫)

生命に関わる重要な話があるので後日訪問したい――突然現われた黒装束の男の言葉に、酒場で吸血鬼談義をしていたグリモー教授は蒼ざめた。三日後の雪の夜、謎の人物が教授を訪れた。やがて教授の部屋から銃声が聞こえ、居合わせたフェル博士たちがかけつけると、胸を撃ちぬかれた教授が血まみれで倒れていた。しかも密室状態の部屋から、客の姿は煙のごとく消えていた……史上名高い〈密室講義〉を含むカー不朽の名作!(本書あらすじより)

ようやくカーの代表作を片付けました(でもまだ『かぎ煙草』とか『帽子』とか『囁く影』とか『ビロード』とか残ってる)。カー読了としては11作目。個人的にカー名義よりディクスン名義の方が面白い(非常に適当な見解)という思い込みがあるのですが、はたして本作はどうか。

うーん……言いたいことは色々あるんですけど、とりあえずなぜこれがカーの代表作なのかがイマイチよく分かりません。代表作たる貫禄は感じるし、トリックも実際すげぇよく考えたなこれさっすがとは思いましたし、感心したんですが、ぶっちゃけ読んでてあんまり楽しくないなぁと。

密室ものとしてはこれ以上ないほど良く出来た作品であることは間違いないかと思います。いったい犯人はどうやったんだこれ、と問答無用で読者に思わせる非常に堅牢な密室。トリックの面から言うと、自分はこの手のトリックが好きなので結構気に入っています。まぁ何箇所もいやそんな都合良すぎるわぁとツッコミたいのは山々ですけど、カーは何というか遠慮なく密室もののための密室を作ってしまうような作家なわけですし、それは一旦置いておきましょう。特に2つ目の事件の完成度はすごいと思います。これは全く気付きませんでした(全然違う可能性を考えてました)。100点をあげてもいいかも。

じゃあどこが良くないのか、というと、まずこの堅苦しい雰囲気がどうにも楽しくないんです。翻訳によるところも大きいとは思いますが、やっぱり原文に笑いが足りないんじゃないかなぁ。自分はカーのバカバカしい雰囲気が大好きなので、生真面目っぽくなるとなんか途端に面白くなくなるように思えてしまうんです(あくまで個人的な意見ですよ)。そういや『火刑法廷』も真面目すぎて……いやそれは別の話。
まぁそのちょっとお堅い雰囲気あってこその「三つの棺」というオカルト話があるわけですよ、例によって。死者の復活とか東欧の何とかとかそういうやつ。それはいいんですけど、話を引っ張る要素や盛り上げる要素としてあんまり機能していないような気がします。小説全体の背景を支配するおどろおどろしい話となっているのではなく(そのあたり『火刑法廷』は上手いよね)、あくまで「挿話」に留まっているというか。小道具として出てくる絵なんかを効果的に使えば、もっと話のテンションを上げられたのではないかと思えるだけに、ここはもったいないところ。

というわけで、楽しめはしたけど、もうちょっと頑張ってほしかったかな。要は「退屈」ということです。いやそこまで退屈ではないけど。文句垂れ流してしまいましたが、別にそんなつまらなかったわけではないし。標準カーくらいの満足度なんじゃないかなぁ。
ちなみにですが、例の「密室講義」はめちゃくちゃ面白かったです。講義の内容ももちろんなんですが、メタっぽい笑いがあったり、あちこちにくすぐりがあったりして、まぁ読ませるんですよ。以前ヘイクラフト編の評論集で読んだことはあったんですが、良いですね、やっぱり。ネタバレの嵐なのは、うん、さすがにどうしようもないか……。

書 名:三つの棺(1935)
著 者:ジョン・ディクスン・カー
出版社:早川書房
    ハヤカワ・ミステリ文庫 5-3
出版年:1979.7.15 1刷
    2004.1.15 16刷

評価★★★★☆
火刑法廷
『火刑法廷』ジョン・ディクスン・カー(ハヤカワ・ミステリ文庫)

編集者のエドワードは、社のドル箱作家の書き下ろし原稿を見て愕然とした。添付されている十七世紀の毒殺犯の写真は、まごうかたなく妻マリーのものだった!しかもその夜、隣人の妻にかかる毒殺容疑の噂の真相を追い、墓を暴きに出かけた彼は、妻の予言どおり、棺から死体が消失しているのを発見した……婦人毒殺魔が流行のように輩出した十七世紀と現代が妖しく交錯し、カー独特の世界を創出した第一級の怪奇ミステリ。(本書あらすじより)

『幻の女』に続いて名作消化タイムに突入しています。当然ですけど、当たり外れの多い新刊を読むよりはるかに楽しいですね。とか言ってるとますます新刊が読めなくなる……。
で、『火刑法廷』、ようやく読めたわけですが……。

……うぅん、何と言うか、非常に感想が書きにくいです。全面的にこの作品を肯定していないから、でしょうね。好きな方には真に申し訳ないですが。というわけで、感想文も何となくまとまりない感じですが、まぁお許しを。ささっと書きます。

まず本格ミステリとしての側面です。この点を褒めている人をよく見かけるのですが、個人的には、ぶっちゃけそれほどでもないな、という感じを受けました。密室からの消失トリックが2つ用意されていますが、そのうち死体消失については読者には見破りにくくなりすぎている感があります(もっとも、これは文化圏の問題で、西洋の人には納得出来るのかもしれません)。消えた貴婦人については、なるほどとは思いますが、それ以上でもそれ以下でもないというか。とはいえ、全体としてかなりキッチリと作られていることは確かですし、完成度は水準以上だとは思います。

そして怪奇小説としての側面ですが、こちらは良いですね。序盤からたたみかけるように不安をあおるエピソードが続けざまに投入され、中盤~終盤にかけて謎解きの要素が強まることでいったん落ち着くものの、最後にまた一気にぶち壊す(文字通り)ことで、「いやいやいやいやいや」と驚きを隠せないような結末を迎えています。
……しかし残念なのは、こういうオチだよ、というのを、別のカー作品とマクロイの某作品でネタバレされてしまったことでした。いやもう、つくづく悔しいです。また、『火刑法廷』より先にマクロイの某作品を読むことは断じてお勧めできません。

しかし、そのマクロイとカーを両方読んで思ったのですが、いえ、本質的には完全に両者は別物ですけど、どうも自分はこの手のオチが好きではないのかな、という気がします。いわゆる、本格読者の期待を裏切ることで意外性を演出しているわけですが、もう、何と言うか、タイプじゃないんです。こればっかりはしょうがない。

ま、歴史的に見ても重要な作品ですし、そもそも面白いので、やはり読んでおくべきでしょう。カーのベストか、と言われると……今まで読んだ10作品の中では、到底トップとは言えないな、というのが現時点でのコメントです。

書 名:火刑法廷(1937)
著 者:ジョン・ディクスン・カー
出版社:早川書房
    ハヤカワ・ミステリ文庫 5-1
出版年:1976.5.31 1刷
    2005.9.15 15刷

評価★★★☆☆
疑惑の影
『疑惑の影』ディクスン・カー(ポケミス)

本書『疑惑の影』はカー得意の密室殺人で、そのトリックが完璧なフェアプレイで、きわめて合理的なことは彼の数多い作品中にも稀な一品と言える。
さらにこの作品の面白さは、トリックだけでなく、カー独特のオカルティズム――中世以来の邪教悪魔教、魔女、黒ミサ等の神秘的な背景が作中に妖幻な雰囲気を与えているところにある。これに加うるに上品な英国流のユーモア、まじめくさつた顔をして人を微苦笑させる大人のユーモアが作中いたるところにあらわれて、神秘的な雰囲気にとけこみ、渾然一体をなしている。探偵小説は二度読めぬものという定例を破つた楽しさと妙味とを兼ね備えた作品である。(本書あらすじより)

”偉大なる弁護士”バトラーが弁護を引き受けた娘ジョイスは、テイラー夫人を殺した容疑で捕われていた。夫人はジョイスと二人きりの邸内で、薬とすり替えられた毒を飲んで悶死したらしい。不利な状況の中、バトラーは舌鋒鋭い弁護で無罪判決をかちえた。が、その直後に新たな事件が……。バトラーとフェル─―二人の名探偵が突き止めた血の香漂う事件の真相は?全篇を覆う無気味な雰囲気の中に巧妙な心理的トリックを用いたバトラー初登場作!改訳決定版(HM文庫版あらすじを一部改編)

うぅむ……1956年出版ですか。ここ数年自分が読んだ本の中では一番古い本ですね、たぶん。二番目はエーリヒ・ケストナー『消え失せた密画』でしょうが、これは1970年ですから、おもいっきり飛んだことになります。
というわけで、カー祭りに便乗して、カーの積ん読をつぶそうと『疑惑の影』です。去年の5月15日、高円寺の「本の五月祭」に行った際、翻訳ミステリー大賞シンジケートが出店していた店で、最近読んだ『貴婦人として死す』がめちゃ面白かった、と言ったら、じゃあこれも面白いよ、と言われて買ったものです。1年前か……なつかしい。

で、読んでみましたが……まぁまぁ、という感じですかねー。読んでいる間はとっても楽しかったです。
どうもamazonとかいろいろ見てみると、この本の評判は決して良いものばかりじゃないんですよ。いや、それは確かにその通り、けなそうと思えばいくらでもけなせてしまうんです。主人公がひたすらうざい、動機意味不明、構成ぐちゃぐちゃ、冒険風味は中途半端、記述がひょっとしてアンフェア、などなど。悪魔崇拝とかが出て来ますが、まさかこんな形で真相に絡んでしまうとは思いませんでしたし、そのせいで微妙な動機と変な冒険小説っぽさが生まれてしまっています。また、主人公・バトラーのうざったさには半端ないものがあります。彼、フェル博士を押しのけて一人でどたばたしているんですが、もうとにかく自己中心的でうぬぼれ屋、勝手気ままなのです。それこそ一人だけノリが冒険小説。最終的にフェル博士の推理を横取りして犯人にドヤ顔で解説って、ちょっとあんた何様なんですか。さすが、この後発表された『バトラー弁護に立つ』で、もはやフェル博士なしで主役になっただけはあります。

ところが、このどうしようもない中途半端さの一方で、ミステリとしての完成度がかなり高いんですよ。読者に仕掛けられたミスリーディングはなかなか面白いし、二重の事件を成立させるための必然と偶然のバランスも絶妙。フェル博士の、ある点が全く逆の見方も出来る、という指摘には素直に感心しましたし。とある手掛かりについては、おそらく記述していないためややずるい気がするのですが、まぁ些細なことでしょう。フェアかアンフェアかと言われれば、これは全体的にフェアである、と個人的には思います。

というわけで、このアンバランスさにより、何とも言えない完成度となっています。これだけ良い出来なんですから、いろいろ詰め込んで微妙な感じになってしまったのはやはりもったいないですね。特に動機に関しては、読者の予想を悪い意味で裏切る展開はどうかと思います。
とはいえ、軽く冒険風味が味付けされていることで、読んでいて楽しい一冊であることは確か。カーファンであれば、読むべき一冊ではないのかなぁ、と思います。カーファンじゃないから分かりませんが。

書 名:疑惑の影(1949)
著 者:ディクスン・カー
出版社:早川書房
    ハヤカワ・ポケット・ミステリ 263
出版年:1956.5.31 初版

評価★★★★☆
騎士の盃
『騎士の盃』カーター・ディクスン(ハヤカワ・ミステリ文庫)

誰かが鍵のかかった部屋に入り、騎士の盃を動かしている─―ブレイス卿夫人の訴えに、マスターズ警部は現地へ赴いた。近くに住むH・M卿を頼みにしていたが、卿は歌の練習に余念がない。仕方なく自ら問題の部屋に泊まった夜、警部な何者かに殴られた。ここに至り卿はやっと重い腰をあげた。だが、ドアを抜け、宝物を盗まずに動かすだけという怪人の真意とは?著者得意の密室犯罪をユーモラスに描くH・M卿最後の長篇(本書あらすじより)

巷ではカー祭りとかやってるわけですから、こうなりゃ自分も『火刑法廷』とか『三つの棺』とか『皇帝のかぎ煙草入れ』とか『帽子収集狂事件』とか読みたかったんですけど、結局課題本の『騎士の盃』を読むことになってしまったわけですね。……うぅん、なんでこんなマイナー作品ばかり読んでいるんでしょうか、自分。

さて、HM卿最後の長編です。発表年は1954年。カーは1972年まで小説を書いていますし、フェル博士物は1967年まで書いているのと比べ、えらく早い退場です。フェル博士よりHM卿の方が好きな自分としては、残念なことです。

『騎士の盃』は、どうもカーの中でも異色作にあたるようです。「なぜ、どうやって、犯人は密室の中の盃を動かしたのか」という謎が中心で、犯罪性がないんです。というわけで、ひたすら緊張感のない中、物語はユーモアたっぷりに最後まで語られていくことになります。
……いや、ユーモアたっぷりどころじゃないですね。実際、この小説の9割はまったく不要なドタバタコメディです。HM卿物の中でも断トツにコメディっぽいというか、もうめちゃくちゃ。ってかミステリ部分にほとんど筆が割かれていません。次のギャグを生み出すために、ひたすら伏線が張られていく様は、まるでしょうもないコメディドラマを見ているかのよう。ユーモアが多いとかではなく、これはもはやドーヴァー警部並のユーモアミステリです。
そしてこれがもう、楽しいんですよ、えぇ。まぁ、自分がこういうユーモア過度なミステリが好きだというのもありますが、とにかく笑わされます。ってか、カーが何かやりたい放題で(笑)

ちなみに気にいったセリフの掛け合いがこれ(趣味悪いとか言わないで)。

「ミスタ・ハーヴィのお言葉を拝借させていただけますなら、うるわしのエレインは長椅子にかけ、着衣をほとんど脱ぎすてて……」
「ベンスン、あのかたはまさかすっかり――すっかり……?」
「いえ、奥方さま」執事はきっぱりとした口調で安心させるようにいった。「部屋の中は薄暗く、入り日がさしこんでものうい雰囲気がただよっておりましたが、あのかたが靴下と靴を身につけておられたことははっきり申しあげられます」
「すごくいいアイディアだ」トムが心から賛成といった口調でどなった。「ぼくが何度もいったじゃあないか、ジニー、アマチュアもプロと同じように、そうすべきだって。その効果たるや……」
「あなた。」
とかまあ、こういった塩梅。これはカーの好みなんでしょうか……。


じゃあミステリとしてはどうなんだというと、まず密室トリック自体はたいしたものではありません。この基本形は、19世紀に既に登場していますね。ここに過度な期待は禁物です。
ところが、ホワイダニット、なぜ盗まずに動かしたのか、という点については、非常に良く出来ているんです。何というか、違和感なく納得して真相を受け入れられてしまうような、そんな説得力があります。その理由は、ドタバタ喜劇の中にその動機の手掛かりが実にさりげなく、また効果的に配置されているから、でしょうね。バカばっかり書いているように見えますが(いや事実書いているんだけど)、登場人物の個性をくっきりと浮かび上がらせつつ、セリフの端々に手掛かりをさりげなく潜ませているところなどを見ると、やはりカーは本格ミステリ作家として並々ならぬ力量を持っていたんだなぁ、と素直に感心します。

まあ、というわけで、とりわけ抜きん出て出来が良いというわけではないですし、絶対必読ではないですが、ま、カーファンなら読むべき、なのかな、たぶん。これ、カーなんて1つも読んだことない「日常の謎」好きが読むと、案外はまるんじゃないかと思うんですが。

書 名:騎士の盃(1954)
著 者:カーター・ディクスン
出版社:早川書房
    ハヤカワ・ミステリ文庫 6-10
出版年:1982.12.31 1刷

評価★★★★☆
第三の銃弾[完全版]
『第三の銃弾[完全版]』カーター・ディクスン(ハヤカワ・ミステリ文庫)

密室で射殺された元判事の死体の傍らには、拳銃を握りしめた青年がたたずんでいた。しかし、被害者を襲った凶弾は青年の銃から発射されたものではなかった……。この不可解で錯綜した事件に挑むマーキス大佐は、不可能犯罪の巨匠が創造したシリーズ探偵マーチ大佐のプロトタイプ。従来の簡約版では、エラリイ・クイーンのひとりフレデリック・ダネイにより大幅に削除されていた部分を、完全復元した待望のオリジナル版!(本書あらすじより)

おぉ、これは面白い。傑作とは言えなくとも、「佳作」という言葉がピッタリな作品です。まっとうな、正統的本格ミステリといったところでしょうか。


ところで突然話は変わりますが、今まで自分が読んできたカー/ディクスン作品はと言いますと、
『仮面劇場の殺人』(中学生の時、なぜ初めてこれを手に取ったんだろう……)『曲った蝶番』『連続殺人事件』(以上カー)『ユダの窓』『プレーグ・コートの殺人』『貴婦人として死す』(以上ディクスン)
という、何とも意味不明のラインナップです。つまり、『火刑法廷』も『皇帝のかぎ煙草入れ』も『帽子収集狂事件』も『三つの棺』も『白い僧院の殺人』も読んでないわけですよ。『ユダの窓』くらいですね、有名作は。
ということは、カーお得意、みたいによく言われる怪奇趣味とか、ファースとか、まぁそういうもんをまだ自分は到底つかみ切れていないわけです。ファースに関しては薄々分かって来ましたが。


なんて人にとっては、この作品、非常に読みやすいのではないでしょうか。

文庫版でサイズが解説込みで239ページですから、長めの中編といった分量です。そのためもあるでしょうが、怪奇とかファースとか、そういう要素が完全に排除されているんですよ。この点がカーファンにとっては物足りないのかもしれませんね(といってもこの作品は評判良いですが)。とにかく謎解きに終始するのですが、これがとっても面白いです。毎章新たな謎がたたみかけるように提示されるのですが、とにかく魅力的な謎でして、これが読者をぐいぐい引っ張っていくのです(ページ数が少ないおかげでもあるでしょうね)。そして最後にそれらが一気に解ける……うーん、これぞ本格ミステリ!と叫びたくなります。

例によって不可能犯罪でして、トリック自体がそこまで優れているというわけではありません。ただ、相当凝ったものになっていて、その見せ方・組み立て方が上手いです。特に、ベタではありますが、犯行に関して読者にある思い込みをさせておき、それをえいやっ、とひっくり返すのにはかなり感心しました。読んでいて目に浮かぶような犯行シーンには思わずワクワクするものがあります。この不可解な状況が起きた必然性がきちんと説明されているのも好印象。


タイトルが[完全版]となっているのは、まぁあらすじに書いてある通りで、解説にめちゃめちゃ詳しく載っているので説明は省きます。探偵役がロンドン警視庁警視監マーキス大佐である理由は、おそらく出版元が異なるからでしょう。このマーキス大佐なる人物がまたとっても面白いです。シリーズ化しなかったのはつくづく残念。
『カー短編全集2 妖魔の森の家』に含まれている中編版の「第三の銃弾」は、解説によると、かなり不完全なもののようです。いくら分量を少なくしたかったとはいえ、フレデリック・ダネイがいかにセンスがなかったかを如実に示すわけですね(こら)。


と、いうわけで、かなり満足な一冊でした。まあ、今年読んだベスト10に入るとか、そういうことはないでしょうが、そこそこの出来の黄金期の物を読みたいという方には調度良いのではないでしょうか。おすすめです。

書 名:第三の銃弾[完全版]
著 者:カーター・ディクスン
出版社:早川書房
    ハヤカワ・ミステリ文庫 6-11
出版年:2001.9.15 1刷

評価★★★★☆
貴婦人として死す
『貴婦人として死す』カーター・ディクスン(ハヤカワ・ミステリ文庫)

絶壁へと続く二筋の足跡は、リタとサリヴァンのものに違いなかった。七十フィート下には白い波頭が果てしなく押し寄せている……リタは老数学教授の若き妻、サリヴァンは将来を嘱望された俳優だった。いつしか人目を忍ぶ仲となった二人の背徳の情熱は燃えた。破滅が来ることはわかっていたはずだった。しかし、まさか心中するなどとは。一見ありふれた心中の裏には、H・M卿も匙を投げかけた根深い謎が秘められていた!(本書あらすじより)

いやはや、自分はどうやらカーを舐めていたようです。まさかこんな作品をカーが書けるとは。文句なしの傑作だと思います。

事件は、カー(便宜上カーと呼びますが)お得意の不可能犯罪。足跡物です。怪奇趣味は一切なし。そのかわり、人間ドラマというか、人間関係に重点を置いている気がします。

そしてそれこそ、この作品が優れている点でしょう。もちろん人間関係と言っても、キャロル・オコンネルみたいなネチネチした濃いものではないですよ。うーん、ネタバレになるから言いにくいんですが、とにかく'カーらしくない'仕上がりであることは確かでしょうね。ある一つの皮肉な人間関係こそがこの話の重点と言っていいと思いますが、それが事件を妙に美しいものにし(実際美しくないんだけど)、さらには読者を引っ掛けてしまうわけです。

なお戦時中を舞台にしてますが、これもまた後味を考えるといい味を出していますよねぇ。

確かに犯人の行動も被害者の行動も、自己中心的ではあると思います。しかし、カーはそうしたマイナス要素をマイナスに見せまいと、極上の物語を提供してくれるんです。タイトル『貴婦人として死す』は、物語的にもミステリ的にも秀逸です(こう訳した訳者さんにも感心)。もちろん、カーター・ディクスンに付き物のコメディ要素も顕在。今回はH・M卿は、冗談じゃなく死にかけます(笑)


不可能犯罪の面としても悪くないと思います。黄金時代の不可能犯罪におけるトリックをしばしばあほらしく感じるTYとしては、このトリックだって、まぁ普通程度に感じるかもしれません。しかし、名トリックではないにしろ、手がかりの一つ一つの大きさを考えると、これはまぁ文句を付けられないのではないかなと思います。一つ、犯人のミスに関してはおいちょっと、と思うんですが、まぁこれがないとある意味話になりませんからねぇ(苦笑)
ネタバレになるので何とも言えませんが、とにかくプロットの出来が大変よろしいです。単なるトリックメーカーではない、カーの新たな魅力を発見した思いです。


物語としての完成度、ミステリとしての構成の秀逸さ、読みやすさ、ユーモア、それらがいい感じで合わさった小粒な傑作です。良質な本格ミステリを読みたい人はぜひ。

書 名:貴婦人として死す(1943)
著者:カーター・ディクスン
出版社:早川書房
    ハヤカワ・ミステリ文庫 6-3
出版年:1977.3.31 初版
    1993.9.30 3刷

評価★★★★★