サンドリーヌ裁判
『サンドリーヌ裁判』トマス・H・クック(ハヤカワ・ミステリ)

大学教授の夫が大学教授の妻を殺害?殺されたとされる史学教授のサンドリーヌ、彼女はその誠実さで誰からも慕われていた。一方、夫の英米文学教授サミュエルは、自身の知識をひけらかし周囲をいつもみくだしていた。彼は無実を訴え、証拠も状況証拠にすぎなかった。しかし町の人々の何気ない証言が、彼を不利な状況へと追い込んでゆく。やがて、公判で明らかになるサンドリーヌの「遺書」。書かれていたのはあまりに不可解な文章で…妻と夫の間に横たわる深く不可避な溝を、ミステリアスに描き出したサスペンス。(本書あらすじより)

要するにクックがあの作品(ギリネタバレなので自粛)を書くとこうなる、ということですね。肝だけ抜き出せば陳腐なのに、この真相とラストのために長々と裁判と回想に筆を費したらあら不思議、感動作が出来上がりました。やや安易な気もしますが、そこも含めてクックの良さではあるのかなと。

全編、妻サンドリーヌを自殺に見せかけて殺したという容疑をかけられた男サムの裁判が、彼の一人称で語られます。彼らの結婚生活の回想および証言によって、サンドリーヌ、そしてサムの性格、心情が明らかになっていきます。
この語り手サムが、まー嫌なやつなんです。二流大学教授ですが、自分はもっと優秀だ、そして二流大学の街の住民はみんなバカだ、ってな感じで周囲を見下すインテリクソ野郎。サンドリーヌからは感情が欠けていると言われていたようですが、まさにその通り。サンドリーヌとそりゃあ理解しあえっこないわ、としか思えません。語りからは実際に妻を殺したか分からないこともあり、感情移入をはねつけます。
しかし裁判の中で、彼はサンドリーヌの死の直前の不可解な行動を思い返し、サンドリーヌの考えを理解しようとしていくのです。周りの気持ちなんかてんで分からないダメ野郎だったサムが、徐々にサンドリーヌと、そして何より自分を見つめ直し、変化していくところが読みどころ。果たしてサムは本当に殺人を犯したのか? そして判決はどちらに?

と、あとは語るだけ無意味というか読んでねってタイプの話なので、感想はこれくらいで。とにかくクックの毎度のごとくの語りのうまさを堪能できる絶好の材料だったのは間違いありません。話としては比較的単純で物足りなさもありますが、これはこれでひとつの「サンドリーヌ裁判」という完成した物語なのだと思います。クックが好きであれば外しはしないはず。

書 名:サンドリーヌ裁判(2013)
著 者:トマス・H・クック
訳 者:村松潔
出版社:早川書房
     ハヤカワ・ミステリ 1891
出版年:2015.01.15 1刷

評価★★★★☆
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ジュリアン・ウェルズの葬られた秘密
『ジュリアン・ウェルズの葬られた秘密』トマス・H・クック(ハヤカワ・ミステリ)

「ジュリアン・ウェルズという真摯な作家がいた。あの日、彼は自殺した――彼はかけがえのない友だった」犯罪・虐殺を取材し、その本質を抉る作品を発表したジュリアンは、死の直前もロシアの殺人犯に関する資料調査に没頭していたという。執筆意欲のあった彼がなぜ死を選んだのか?親友の文芸評論家フィリップは、やがて友の周囲でかつて一人の女性が行方不明になっていたことを知る。フィリップはジュリアンの妹とともに手掛かりを追うが……。友情という名のかたちのないものをめぐる、巨匠の異色ミステリ。(本書あらすじより)

ようやく教育実習が終わりまして、えー、感想書きに戻ることが出来るわけです。ちなみに現時点で20冊、感想書きがたまっています。ひぃ。
クックは今年の6月に『夜の記憶』を読んだのが初で、で、これがまぁド傑作だったわけですね。というわけで、今年のクックの新刊もいざ読もうと思ったのです。『ローラ・フェイとの最後の会話』『キャサリン・カーの終わりなき旅』に続くタイトル人名シリーズ(というのかは知りませんが)。原作は邦訳順ではなくて、キャサリン・カー、ローラ・フェイ、未訳のThe Quest for Anna Klein、そしてこのジュリアン・ウェルズ、の順番です。

親友ジュリアンが自殺した理由を調べるために、評論家フィリップは彼の足跡をたどり、世界中を旅することになる、という話。ジュリアンは過去にある「罪」を抱えていたようですが、それが何だか分からなく、フィリップとジュリアンの妹は、彼の行った場所を巡り始めます。作家として彼が過去に扱った題材は、いずれも海外の虐殺事件や悲劇ばかり。フィリップたちはそこに出向き、ジュリアンが取材の過程で話した人と会い、少しずつ、ジュリアンの秘密を探っていくのです。

めっぽう面白かったのですが、表現しにくいです。まぁ、異色ミステリとまで言っていいのかは分かりませんが、あらすじにある「友情という名のかたちのないものをめぐる」ミステリ、というのがまさに言い得て妙。自殺した作家ジュリアンと、主人公フィリップの友情物語としては、これ以上ないってくらい美しい物語なのです。決して美しくない真実が、慎重に、切なく、ゆっくりと暴かれていきます。つーか文章がうますぎるわ。

友情物語として見ると、とりあえず278ページのジュリアンの友達よ、ってとこがもうやばいし、終章の書き方がさらにやばいですよ。だってあれですよ、表面的には親友でも、決して理解しあえていなかったであろうフィリップとジュリアンは、ジュリアンの死によって真の友人となるんですよ。何だよラスト読んでどうしろっていうんですか。この最終章があるからクックは”小説家”なんですね……すごいね……。
ジュリアンの過去の罪とは何なのか、という謎解き要素は濃いけど、結構バレバレで意外性自体はは薄いです(伏線すごく多いんだけどね)。正直素直にだまされたかったかなという気がしますが、でも、それでどうこうという話じゃないし、むしろそこへ至る道のりを読ませる小説なんだと思います。

で、そういうのが、抑えた残酷さと冷徹さを備えたクックの文体で語られるわけじゃないですか。オールタイム悲劇目白押しで、描かれる内容はしんどいのに、ぐいぐい読ませるのです。それで結局描かれるのは、どれだけ悲惨なことを経由しようが、友情なんですよ。すごい。この人はべらぼうにうまいよ。

とまぁこれだけ褒めてるのに個人的には70点くらいなんですが、まぁクックという作家のすごさを感じる一冊でした。万人におすすめしたくなるようなものでもないですが、いいものです。

書 名:ジュリアン・ウェルズの葬られた秘密(2012)
著 者:トマス・H・クック
出版社:早川書房
     ハヤカワ・ミステリ 1880
出版年:2014.02.15 1刷

評価★★★★☆
夜の記憶
『夜の記憶』トマス・H・クック(文春文庫)

ミステリー作家ポールは悲劇の人だった。少年の頃、事故で両親をなくし、その直後、目の前で姉を惨殺されたのだ。長じて彼は「恐怖」の描写を生業としたが、ある日、50年前の少女殺害事件の謎ときを依頼される。それを機に“身の毛もよだつ”シーンが、ポールを執拗に苛みはじめた―人間のもっとも暗い部分が美しく描かれる。 (本書あらすじより)

今まで何となく敬遠していたんですよ、クックって。暗そうだし重そうだしつらそうだし。それで、自分が企画した読書会のためについに初クックを読んだんです。『夜の記憶』は記憶シリーズの中でも本格要素があって読みやすいという話でしたし。でまぁ、クックの印象は実際そんなに間違っていなかったんですが、そんなことはどうでもいいんです。

断言しましょう、傑作です、大傑作です。読んだことある人からすれば超いまさらでしょうけどね、いやね、ほんとね、もうやばいっすよこれは。自分のオールタイムベストが書き換えられるレベル。すっばらしい、言うことなしです。
二つの過去の真実が明らかになる瞬間の感動が、もうね、忘れがたいんです。重く、暗い文章に引き込まれ、ラスト、がつんと背中を押されました。これを傑作と言わずして何といいましょうか。

あらすじ。作家である主人公は、悲惨な過去を抱え、それに向き合えていない、という引きこもりみたいな重っ苦しい男です。さらに、想像力が激しく、勝手に物語を作り上げ悲惨な出来事をイメージしてしまうという妄想癖を持ちます。やばいです。そんな彼が、50年前に起きた少女の殺人事件を再構成して小説にするよう、とあるご婦人から依頼されるのですね。過去にとらわれながらも、彼はたまたま出会った戯曲作家の女性と協力して、真実を見つけようともがくことになります。

主人公の過去は大まかに最初に明かされ、細かい部分は徐々に明らかになっていくという形。当然ながら重すぎて、読んでいて非常につらいんです。そんな主人公目線で物語が進行するもんですから、明るさなんてみじんもありません。
ところが、これになーぜか引き込まれてしまうんです。単に鬱屈としているわけではなく、主人公の妄想癖が自由すぎて信頼できない語りが非常に魅力的です。主人公の目と、手記を通して、様々な人間の心が迫力をもって描かれていくのですね。

そして主人公の過去・小説、協力する女性の過去、50年前の殺人事件、という要素が、似たような要素をはらんでいるんですが、その絡ませ方・見せ方・明かし方がもうめちゃくちゃにうまいんですよ。おそらくかなり細かいところまで計算しつくされています。全ての部分が絡み合い、そして怒涛の勢いとなって最後に主人公の過去を攻撃します。この構成のうまさはもううなるしかありません。
回想の殺人物で本格っぽいということでしたが、この点でも期待を大きく上回る出来と衝撃でした。刑事の手記や、まだ生きている人の証言、そして主人公の妄想から、試行錯誤しつつ真実が引き出され、そして最後、ぱっと目の前に立ち上がります。妄想推理的な面はデクスター好き的にもツボでしたね。
うーん、その、なんというか、単に衝撃的なオチを用意したってだけではなく、一切無駄のない構成によってオチが衝撃的になっているところがすごいんですよ。そしてこのラストじゃないですか。正直安易だとは思いますが、このラストのために、主人公が自分を自作の小説内登場人物とダブらせていく様がもうすごくて。そこに主人公の成長みたいなものも見られて。いやもう、すごすぎ。

と、いうわけで、べた褒めです。おそらく今年読んだ本1位です。クックなめてました、完全に。読みましょう。
……しかしやっぱり重量級の作品ではあるので、続けてクックを読もう、とはならないんですねこれが。うぅ。

書 名:夜の記憶(1998)
著 者:トマス・H・クック
出版社:文藝春秋
     文春文庫 ク-6-10
出版年:2000.05.10 1刷

評価★★★★★