黒い駱駝
『黒い駱駝』E・D・ビガーズ(論創海外ミステリ)

黒い駱駝に魅入られた者は誰だ! 3年前にハリウッドで起こった未解決の殺人事件がホノルルに飛び火し、さらなる殺人を引き起こす。指紋以外の科学的捜査手法がない時代、チャーリー・チャン警部による捜査の行方は……。(本書あらすじより)

やはりビガーズは上手いなぁと思わせる一作。まったりハワイな雰囲気をしっかり演出し、キャラクターで物語を引っ張り、手がかりをばらまききっちり回収し、緊迫感あふれる解決シーンと意外な犯人を用意し、中国系移民の悩みをそっと添えて締める、と。上手いし面白いのです。

実を言うと、『黒い駱駝』は読んだことがあるんですよね。しかもたった半年前。別册宝石の抄訳版なので、分量的には半分くらいのものですが。当時の感想がコレ→『別册宝石 第8巻2号 通巻45号 世界探偵小説全集11/E・D・ビガーズ篇』E・D・ビガーズ

でまぁ、中身についての感想ははっきり言って半年前と大して変わらないわけなので、せっかくですから抄訳版と完訳版の印象の違いについてちょっとだけ書こうかなと。というわけで未読の方は半年前の感想を読んで下さいね。別にここでネタバレするわけではありませんが、そんなに作品の中身について話すわけではないので。

結論から言えば、抄訳版の方がはるかに面白かったです。もちろん初読時のインパクトというのもあるのでしょうが、結局黄金期の本格ミステリなんてものは、余計なところを削ぎ落とした方が面白いんじゃないかってのはあるんですよ、たぶん。こればかりはしょうがありません。
抄訳版で端折られた部分については解説に詳しいのでごちゃごちゃ書きませんが、確かになくても問題ないシーンではあります。中盤の捜査の一部カットは中だるみ防止に貢献していますし、移民としてのチャンの悩みはチャン警部ファンとしては深みが生まれるので欲しいところですが、これもない方がストーリーがすっきりするのもまた事実でしょう。

それにしても、チャン警部が移民として世代間格差を感じる場面があるだけで、こう、作品の印象がガラッと変わるんですよね。抄訳版はもっとのんきな感じだったように思います。一方完訳版はどことなく哀愁を感じるんですよ。結末なんかもちょっと苦い雰囲気で。せっかくアメリカではなくハワイが舞台のチャン警部物なんですから、こういうハワイならではのシーンはやっぱりあると嬉しいですね。

というわけで、やや冗長さを感じないこともなかったので、本格ミステリベスト10でトップテンはさすがに無理でしょうと前言撤回してしまいますが、これはこれで良いものですよ。さぁあとはこれよりはるかに面白い『鍵のない家』を復刊するのです! さぁさぁ!! あの能天気な長編を読みたいぜ!!!
ちなみにこれはあんまり言いたくなかったんですが、翻訳がね……チャン警部の口調とか、というか全体的にちょっと未熟で気持ち悪かったかなぁってのは思いましたね、はい……。

書 名:黒い駱駝(1929)
著 者:E・D・ビガーズ
出版社:論創社
    論創海外ミステリ 106
出版年:2013.6.20 初版

評価★★★☆☆
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世界探偵小説全集11 E・D・ビガーズ篇
『別册宝石 第8巻2号 通巻45号 世界探偵小説全集11/E・D・ビガーズ篇』E・D・ビガーズ(別册宝石)

「あと5年は積みかねない読まなそうな積ん読崩し5人斬り」第五弾、おぉ、とうとうラストですよ。この本はね、とんでもなくボロいんですよ。というわけで、全く手に取りそうになかったので、選んだ次第です。

アメリカの黄金時代を代表する作家、E・D・ビガーズの長編が、なんと恐ろしいことに3つ入っています。3つですよ、3つ。どれだけ抄訳なのかと。
ざっくり感想を言うと、チャーリー・チャン警部物の『鍵のない家』は傑作、同じくチャン物『黒い駱駝』も良作です。この2作は完訳でぜひ読みたいですね。逆に、ノンシリーズ『五十本の蝋燭』は読む必要は一切なし、といったところでしょうか。

いやぁ、しかし、ビガーズはいいですね。チャーリー・チャン警部物、今のところハズレ無しなので、ぜひぜひ全部読みたいところ。とりあえず『チャーリー・チャン最後の事件』を読んで、そんでもって『シナの鸚鵡』を……手に入れるところから……(絶望的)

以下、個別の感想です。

「鍵のない家」(1925)
ジョン・クインシイ・ウィンタスリツプは、伯母を連れ戻しにはるばるボストンからハワイへ渡った。だが上陸直前、島では彼の親戚の資産家が殺されていたのだ。容疑者として拘留された男の娘(かわいい)のために、ジョンは地元の警部チャーリー張と共に事件解決のため奔走する。

チャーリー・チャンのデビュー長編です。
なんじゃこら、面白過ぎるでしょう。傑作と言っちゃって良いのでは。少なくとも今でも十分読めるレベルの作品なのは間違いないです……だからどこか完訳版を出して下さい頼んます頼んます。

フーダニット的な面白さはもちろんですが、それ以前にハワイのまったりとした雰囲気や、あらゆる人種が入り乱れた世界、それを背景とする事件に引き込まれます。三股をかける主人公、男まさりの伯母さん、魅力的な女の子、そして何よりチャーリー張警部。いっやぁ楽しいですね。
程よくユーモアを交えながら生き生きとハワイを描いていくビガーズは本当に上手いです。ラストとか超かっこいいですよ。これだけしっかりとした、なおかつ楽しいミステリが1925年のアメリカで書かれたというのは、よく考えたらすごいことじゃないでしょうか。

ちなみにミステリ的側面ですが、ハウダニットっぽい点での意外性はそれほどでもないんです。が、あまり明示されてはいませんが、手掛かりはちゃあんと出ているんですよ。しかもこれがトリックと犯人特定の伏線として綺麗に生きて来るのです。まぁ本格とかどうでもいいですけどね!ホノルルを楽しめれば十分ではないかと!


「五十本の蝋燭」(1926)
ある屋敷の旦那様が殺される。誕生日パーティーの前だったためケーキがあったが、その場には蝋燭が50本。しかし旦那様は50歳ではなかった。果たしてこれはいったい誰を祝うためのものだったのか?……みたいな話でした、たしか。

あまりに極端な抄訳らしいので、一概に判断を下すことは出来ませんが、まぁしかしこれは読まなくてもいいんじゃないでしょうか。わりかしお粗末な一品。変にトリックとか入れなくてよかったのに。あと恋愛パートもちょっと雑かな。全体として魅力を感じられませんでした。


「黒い駱駝」(1929)
ハリウッドで活躍する女優シーラ・フェーンが、撮影のためハワイに来た。船上で大富豪に結婚を申し込まれた彼女は、ある過去のせいでそれを素直に受け入れられず、相談するため占い師をアメリカから呼び寄せる。さらに監督や俳優が続々と集結。ついにシーラ主催のパーティで事件が……。

チャーリー・チャン物の第4長編ですが、抄訳なので100ページほど。これまた非常に面白かったので、『鍵のない家』ともどもぜひ復刊していただきたいですね。いやホントお願いします。お願いです。どうかどうか。きっとその年の本ミス10位には入ります。
この事件、手がかりの数が異様に多いんですよ。壊れた腕時計やら消えた宝石やら各人のアリバイやら切り抜かれた新聞紙やら手紙やら各種目撃証言やらがやったら出てくるのです。前半はそれらがポイポイ出てくるばかりでやや退屈ですが、後半それらが一つ一つ解かれていく様が抜群に上手く、面白いですね。
抄訳であるため何とも言えませんが、やはり犯人特定の証拠はいささか物足りないように感じられます。しかし、終盤の二転三転する展開にかなり驚けるので、まぁいっか、と許せてしまうのですね。チャンが犯人をあぶり出すためある罠をしかけるシーンとか、じらし具合が絶妙でむちゃくちゃ面白いじゃありませんか。やっぱりビガーズは読者を分かってますねぇ。

ハワイが舞台であることの何がいいって、アメリカからの観光客の素性がはっきりしないことでしょうね。いわゆるアイデンティティ偽装が非常に効果的に働くのです。犯人が、自分の正体を隠そうと細工をしようと思えばいくらでも出来てしまうわけですよ。
もちろん限界はあるのですが、ビガーズはちゃんとその限界をわきまえているので、登場人物の行動に「なにやってんだ……」的不自然さは生じません。実に合理的なのです。結果、限られた容疑者の中で、怪しさをバランスよく振り分けることができてしまうというわけ。いやぁ面白かったです。

ちなみにチャン警部は名探偵です。大抵の読者より先を推理しているので、読者の先読み推理は基本的に負けます。たまにクラシックミステリで「いや、それはこうでしょ気付けよアホか、くそっ探偵がドヤ顔で推理し始めたもう分かってんだようざっ」となることがありますが、ビガーズはそういうことはほとんどないですね。


書 名:別册宝石 第8巻2号 通巻45号 世界探偵小説全集11/E・D・ビガーズ篇
著 者:E・D・ビガーズ
出版社:岩谷書店
    別册宝石 45号
出版年:1955.2.10 1刷

評価★★★★☆
『チャーリー・チャンの活躍』E・D・ビガーズ(創元推理文庫)

姿なき殺人鬼が世界一周観光船の中に跳梁する。アメリカの富豪がロンドンで絞殺され、船がパリ、南仏、イタリアと移動するにつれて犠牲者が続出する。事件は未解決のまま、ロンドン警視庁のダフ警部の手からハワイ警察のチャン警部に引き継がれることになった。中国人の英知と洞察力を秘めたチャーリー・チャンの名推理。一世を風靡し、何度も映画化された人気シリーズの完訳版。(本書あらすじより)

ビガーズを読むのは2回目です。『チャーリー・チャンの追跡』が非常に面白かった(そういや、活躍と追跡は、タイトルむしろ逆の方があってるような…)ので、神保町で見つけたとき、きったない奴を買いましたが…。ちなみに、最近増版されらようですので、入手は簡単なんですが。

これは当たりですよ。まず、黄金時代にありがちな「古臭さ」がいっさいない(その辺はクリスティも似てますね)。生き生きとした文が本当に読みやすいです。事件自体も魅力的で、特に世界一周旅行メンバー内というのは非常に斬新だと思います。閉鎖的状況や、タイムリミットを簡単に使えるわけですし。

ビガーズはレッドヘリングを数多く用意しており、もはや意外性もなにもないくらい全員怪しいんですが、きれいに作者に流されて読むのもいいと思います。構成もしっかりしてるし、証拠はそこまですごいもんではないですが、タイミングはばっちりです。話の構成は、まさに世界旅行を扱う事件にはピッタリですね。

そして、チャン自身のキャラの良さですね。『活躍』ってほど出てないし(ってか、出てくるのはラスト3分の1だけど)、やたらと訳してる人がカタコトでしゃべらせるけれども、あの人柄が読んでいて安心感に繋がるんです。やたらと出す中国の故事もいい味出してます。時として見せる決然とした態度もいいですよね。探偵としての素質があますところなく描いているというのが、ビガーズのすばらしさですね。

前半の探偵ダフ警部も、単なる端役警部で終わらせないのはさすがだと思います。チャンに心から親しみを表しているところがいいですし、犯人をぜひとも捕まえたいとする熱意もなかなかかっこいいです。捜査も主人公じゃないのにちゃんとやってます。むしろ、彼のほうが主人公です(笑)

そりゃつっこめばいくらでも文句は出せますが、海外ミステリ好きにはぜひとも薦めたい一冊であるといえます。

書 名:チャーリー・チャンの活躍
著 者:E・D・ビガーズ
出版社:東京創元社
    創元推理文庫 122-1(Mヒ-2-1)
出版日:1963.8.2 初版
     1975.9.12 8版

評価★★★★★
チャーリー・チャンの追跡
『チャーリー・チャンの追跡』E・D・ビガーズ(創元推理文庫)

元ロンドン警視庁の副総監がサンフランシスコで殺された。事件の背後には、十五年前インドで失踪した若妻、十一年前ニースで姿を消した女優、七年前ニューヨークで行方不明となったモデルと三重の失踪事件が絡み、さらに十五年前ビロードの靴をはいた姿で殺されたロンドンの弁護士の事件も関連していた。幾重にも重なった時間のカーテンの陰に潜む真相に迫るチャンの名推理。(本書あらすじより)

1928年に出された、中国系のチャーリー・チャン警部が主役のシリーズの中でも屈指の出来を誇ります。ということらしいです、他のは読んだことないので。

いやー、しかし、確かにこれは面白いですね。チャンのキャラクターも魅力的です。特に、自分の子供に対してカンペキに親バカなところはいい(笑)登場人物一人ひとりが上手く描かれているのも上出来。事件自体も、まぁ犯人がなんとなく想像がつくとはいえ、先をぐいぐい読みたくなるような展開はお見事です。

そして一番驚いたのは、1928年刊だということ。古臭さがまったく感じられないんですね。それなりのテンポもあり、解決ももったいぶってなく、古びた感じが微塵もない。古典に数えられる本作ですが、そんなこと言わずに、読者をもっと増やしておしいものです。

書 名:チャーリー・チャンの追跡
著 者:E・D・ビガーズ
出版社:東京創元社
     創元推理文庫 Mヒ-2-2
出版年:1985. ?版

評価★★★★☆