彼の個人的な運命
『彼の個人的な運命』フレッド・ヴァルガス(創元推理文庫)

三人の若き歴史学者、マルク、マティアス、リュシアンとマルクの伯父で元刑事が住むボロ館に元内務省調査員が連れて来たのは、凄惨な女性連続殺人事件の最有力容疑者だった。彼の無実を信じる元売春婦に託されたこの青年はほんとうに無実なのか? 彼は事件現場近くで目撃され、指紋もしっかり採取されている。三人と元内務省調査員が事件を探る。CWA賞受賞シリーズの傑作!(本書あらすじより)

今年はまず1月にヴァルガスの『裏返しの男』が出るというので、1月2日に『青チョークの男』を読み、2月23日に『裏返しの男』を読み、さらに三聖人シリーズの新刊も出るというので8月9日に『死者を起こせ』を読み、で今回『彼の個人的な運命』を10月12日に読み……と、まさにヴァルガス漬けの一年だったのです(三聖人シリーズ第二作『論理は右手に』だけは読んでいないのですが)。その結果、自分はヴァルガスがとてつもなく好きだという結論に達しました。おそらく唯一、飽きずに何時間でも読める作家なのではないかと思います。作品世界に浸りきり、没頭してしまうんですよ。いやー、いいね、ヴァルガス、東京創元社さん年間2冊も訳すとか偉い!ここでやめないで!

ごほん。さて、自分はヴァルガス大好きですが、別に全作品を褒めまくっているわけではないのです。例えば『青チョークの男』はとんでもない傑作ですが『裏返しの男』はちょっとそれに劣るかな、『死者を起こせ』は面白いけどあと一歩かな、というように。
で、『彼の個人的な運命』ですが……いやはや、こいつは超良作でした。相変わらずのヴァルガス・ワールドを心ゆくまで堪能。独特のまったりとした雰囲気+洒落た会話+程よいサスペンス+本格ミステリで、もう文句なし。最高です。読んでいる間の心地よさが何とも言えません。現時点で『青チョークの男』の次に面白いかな。やっぱヴァルガス最高やー。
内容としては、三聖人版『青チョークの男』といった趣かな? 話の筋にどことなく共通点があります(しかしそれを言えばヴァルガスって全部似ているのかもしれん)。自分は『論理は右手に』を読んでいないので、元内務省調査員ケルヴェレールが登場する作品は初めて読んだのですが……いやぁ、この人いいねぇ。程よい変人です。というか、三聖人シリーズとか言いながら、実質ケルヴェレールが主人公なのでは。はっきり言って三聖人の出番、全然多くはありません(お気に入りのマティアスがあんまり出てこない……)。たぶん、こうやって「三聖人シリーズ」として作ることに限界を感じた、つまりケルヴェレール物になってしまっているということに気付いて、作者はこのシリーズを打ち止めにしたんじゃないかと思うんですよ。いや分かりませんが。

しかし、この空気感は何と形容すればいいのかなぁ。ヴァルガスっぽいとしか言えません。ヴァルガスワールドでヴァルガスキャラクターが生き生きと動き回り、会話している、ってだけでもう十分というか。殺人事件が起きているというのに、誰ひとり深刻さを醸し出さず、ゆるゆるっと事件を捜査していく、これはもはや他作家に真似できるものではありません。ラスト、これがまた憎いのねぇ、読者をよく分かってるじゃないの。
添え物とすら言える本格ミステリ要素について言及するのも野暮なんですが、あえて言えば今回も大人しめで、そこまで凝ったものではありません。ただ、ある1つの要素がエピソードとして面白いだけでなく、ミスディレクションとして非常に上手く用いられているのには心底感心。この人は本気で本格ミステリをやっているのに、それをそうだと思わせないフワフワとした感じがあるのですが、その空気感こそ最大の”騙し”の手法なのかもしれません。

というわけで、ヴァルガスは素晴らしいという話でした。フランス・ミステリ独特の雰囲気ってほんっと良いよね。一冊も読んだことの無いという方、とりあえず『青チョークの男』を読みなさい。

書 名:彼の個人的な運命(1997)
著 者:フレッド・ヴァルガス
出版社:東京創元社
    創元推理文庫 Mウ-12-5
出版年:2012.8.31 初版

評価★★★★☆
スポンサーサイト
死者を起こせ
『死者を起こせ』フレッド・ヴァルガス(創元推理文庫)

愛称マルコ、マタイ、ルカの、それぞれ専門の異なる若く個性的な歴史学者と元刑事が、ともに暮らすパリのボロ館。その隣家に住む引退したオペラ歌手の婦人が怯えていた。ある朝突然、見知らぬ木が庭に植えられていたというのだ。ボロ館の四人がその木の下を掘るが何も出ない。そして婦人は失踪した。いったい何が起こったのか?気鋭の女流が贈る仏ミステリ批評家賞、ル・マン市ミステリ大賞受賞の傑作。(本書あらすじより)


数えてみたら、今年に入ってヴァルガスを読むのは3冊目なのでした。この「三聖人シリーズ」の第三作がこの間出たばかりなので(それに合わせて読んだんだけど)、合わせて計4冊読むことになりそうです。同一作家を年間に何冊も読むことのない自分にしては珍しい。うぅむ、ま、読みやすいからねー。

というわけで、「三聖人シリーズ」第一作です。アダムスベルグ署長を主人公とした『青チョークの男』『裏返しの男』とは別シリーズですね。

例によってエキセントリックで賢すぎるキャラがわらわら登場し、とりとめなすぎる独特な文体で淡々と物語が進行します……つまり、いつものヴァルガスワールドです。ただ、アダムスベルグ署長シリーズと比べて丁寧な本格物、っぽい印象を受けます。でもまぁ、かといってガチガチの論理やってるとか、そういうわけでは全然ありませんし。まったりした雰囲気を楽しむのがメインかな。

ただ、ホワイダニットもフーダニットも良く出来ているし、素直に感心しましたが、あまり驚けなかったのはなぜなんでしょうか。いろいろ要因はあると思いますが、ラストの空気がやや異質になり、読者がおいてけぼりになってしまった……という理由が大きい気がします。いや、とっても面白いんですよ。けど、もっと面白くなるはずです。上手く説明出来ませんが、んー、なんか惜しさを感じるんだよなぁ。

元刑事のおじさんがアダムスベルグ署長っぽい、きっかけが共に不可思議な現象であるなど、『青チョークの男』との似た点がちらほら見られます。三聖人の中ではマタイことマティアスがイケメン過ぎるので彼に大いに萌えるべし。もうね、やることなすことイケメン過ぎて羨望すら感じますよ、えぇ。ま、あんまり深いキャラクターとは思えないんですが。
……というか主人公らしきマルクのキャラが案外薄くないですか?(笑)


全体的に、キャラ、謎、結末、雰囲気など、全ての点で『青チョークの男』が勝っている気がします。ヴァルガス初読者は『青チョーク』から入った方がいいのではないでしょうか。そしてアダムスベルグに萌えなさい。あーもう彼はとことん素敵なんですよ。最高ですよ。ザ・名探偵ですよ。超カッコイイですよ。……いったい自分は何の話をしているんでしょうか?(爆)

えー、ごほん。とにかく、『死者を起こせ』は非常に面白いんですが、エキセントリック成分というか、不思議ちゃん度合いがちょっと大人しめかな、ということです。でもまぁ、『青チョークの男』を読んだ人はヴァルガスを好きになること確定なので、結局はこのシリーズも読むし、ちゃんと満足できるでしょうね。はい、皆さん『青チョークの男』を読みましょう。

ちなみに、どうせすぐ値段が変わってしまいそうなのでここにメモっておきますが、2012年9月2日現在、Amazonの『死者を起こせ』は新品品切れ、中古3128円より、となっています。前日までは在庫もあって普通だったらしい。やっぱりマケプレはあてにならないですね……。

書 名:死者を起こせ(1995)
著 者:フレッド・ヴァルガス
出版社:東京創元社
    創元推理文庫 Mウ-12-1
出版年:2002.6.14 初版

評価★★★★☆
裏返しの男
『裏返しの男』フレッド・ヴァルガス(創元推理文庫)

フランス・アルプスの村で、羊が噛み殺される事件が続いた。喉に残された巨大な狼の歯形に人々は恐怖した。山で暮らす、変わり者の男こそ狼男だ、と主張し始めた女牧場主が殺され、その喉にはやはり巨大狼の噛み痕が……。グリズリー研究家のカナダ人とその村で暮らすカミーユは、友人だった女牧場主の死に引き寄せられ、事件に巻き込まれていく。そしてニュースで事件を知り、村の映像に忘れがたいかつての恋人カミーユが映ったのに気づいたアダムスベルグ警視が事件に興味を抱き……。仏ミステリ界の女王の傑作。CWA賞受賞シリーズ第二弾。(本書あらすじより)

いよっ、待ってました!
1作目の『青チョークの男』を読んだのはついこの間ですが、それ以来自分はアダムスベルグ署長の大ファンです。この人の捉え難いまったりとした感じが、もうね、大好きなんですよ。

……と思っていたら、なんと舞台が山だと言う。え?え?どういうこと?
実は、前半は全体的にカミーユ(前作で忘れがたい印象を残したアダムスベルグの元カノ)が主人公なんです。アダムスベルグはちょこちょこ出てきますが、主役として活躍し始めるのは後半に入ってから。前半と後半で主役が交代しているようです。よく分かりませんが。
というのも、アダムスベルグはパリ五区の警視なわけですから、事件がパリで起きない限り、彼は主役になりえないわけです。で、狼ですからね、田舎ですよ田舎。このへんが都会が舞台だった前作との大きな違いでしょうか。

いやー、しかし、相変わらずの面白さでした。前作同様、登場人物は意味分からん奇人・変人たち。ゆるーい空気の中もったりと話は進みますが、その実本格ミステリで、最後には意外な犯人が明らかになります。
……というと、ちょっと語弊があります。ミステリとしての完成度は、おそらく前作には負けるでしょう。犯人の身元を表す手掛かりが出てくるのもタイミング的にはちょっと遅すぎ。消去法的にも犯人はこの人しかいない、という感じ。

ですが、このシリーズにはミステリとしての完成度以前に「読んで良かった!面白かった!」と言える魅力でいっぱいです。やはりヴァルガスのキャラクター造形がピカいちだというのもありますが、そうした登場人物により紡がれる全体的な雰囲気というか、幻想的・ファンタジックな空気がたまらなく居心地がいいんです。作品内に独自の世界を構築できるという点においては、ヴァルガスは天才的だと言ってよいです。2日間一気読み。良作をありがとうございました。

1つだけ文句を付けるなら……アダムスベルグをもっと出しやがれこのやろう。

というわけで、まずは『青チョークの男』を読んでみてください。そこでハマる人には、『裏返しの男』も文句なしの傑作であるはずです。

書 名:裏返しの男(1999)
著 者:フレッド・ヴァルガス
出版社:東京創元社
    創元推理文庫 Mウ-12-4
出版年:2012.1.27 初版

評価★★★★☆
青チョークの男
『青チョークの男』フレッド・ヴァルガス(創元推理文庫)

パリで続く奇妙な出来事。夜のうちに歩道に青いチョークで大きな円が描かれ、朝、人が見つけるとき、その中には何かが置かれている。クリップ、羊肉の骨、オレンジ、人形の頭、本、蝋燭………およそガラクタばかりだ。そして<ヴィクトール、悪運の道、夜の道>という文字が必ず。誰がなぜこんなことを?人畜無害な偏執狂のイタズラと思われていたが、ある朝、様相が一変する。円の中には喉を切られた女性の死体があったのだ。そして、また一つ、また一つ、死体を囲む青い円。奇怪な事件となった青い円の謎に五区警察の署長アダムスベルグが挑む。現代フランス・ミステリ界の女王、フレッド・ヴァルガスの傑作シリーズ第一弾。(本書あらすじより)

初ヴァルガスです。「三聖人」シリーズでしたか、あっちは未読。フレッドというから男かと思ってたら、あらすじをみたら「女王」だそうです。フレデリックを略してフレッドなんだとか。フランス人の名前はピンと来ないなぁ。

……そんでもって、これはまたとんでもないミステリですね。素晴らしいです。もう何というか、強烈な魅力を持っているように思います。

体裁としては、真っ当な本格ミステリなんですよ。円の中にがらくたが置かれるという謎が、やがて殺人事件に発展する。何人か容疑者がおり、最終的にアダムスベルグが犯人を突き止める、というわけで、一見まともそうな本格ミステリに思えます。

ところが、「殺人事件」を扱っているはずなのに、まったく現実味がないんですよね。ファンタジックとすら言える不思議な雰囲気です。けだるくぼんやりとしたまま、妙な緩急を付けて話が進むんですよ。いかにもフランスミステリらしいです……って、そんなにフランスミステリを読んでるわけじゃないですか。最近読んだものだと、『ウサギ料理は殺しの味』の雰囲気とか。やっぱりファンタジックじゃないですか。
そもそも、解説にもある通り、登場人物がエキセントリックでまともじゃない。現実感のない人ばかりですが、特に主人公アダムスベルグ、彼はすごいですよ。これほど訳の分からない主人公は初めてです。もうファンにならざるを得ないです。彼の活躍が見たいがために次作は必ず読みたくなる、そんな人です。
物語は、そのエキセントリックな登場人物たちによる会話主体で進行します。変な人たちが変な会話を繰り広げているわけで、とにかくグイグイ読ませます。一体この話はどこに向かってるんだ、という面白さ。ちょっと薄めな分量もピッタリです。

ミステリとしての出来も良く(もっとも、犯人当てに関してはある点がマイナスです。追記にでも書きます)、非常に満足できる一冊でした。いやー面白かった。今月出る新刊が楽しみです。

ところでこの作品の発表年が、いまいちよく分かりません。翻訳権のページでは1996年、解説によると1990年です。wikipedia英語版では、1996年だったり、1991年だったり(作者ページと作品ページで年代が違う)。wikipediaフランス語版は1991年です。うーん……多数決で1991年にします(笑)今月出る新刊の巻末で明らかにされる……か?

書 名:青チョークの男(1991?)
著 者:フレッド・ヴァルガス
出版社:東京創元社
    創元推理文庫 Mウ-12-2
出版年:2006.3.24 初版

評価★★★★☆