黒い天使
『黒い天使』コーネル・ウールリッチ(ハヤカワ・ミステリ文庫)

夫はいつも彼女を「天使の顔」と呼んでいた。それが突然そう呼ばなくなった。ある日、彼女は夫の服がないことに気づく。夫は別の女のもとへ走ろうとしていた。裏切られた彼女は狂おしい思いを抱いて夫の愛人宅を訪ねる。しかし、愛人はすでに何者かに殺されており、夫に殺害容疑が! 無実を信じる彼女は、真犯人を捜して危険な探偵行に身を投じる……新訳で贈るサスペンスの第一人者の傑作。(本書あらすじより)

毎年1冊この時期にウールリッチ/アイリッシュを読みかれこれ6年目。今年のウールリッチも天才でした。
裏表の関係にある『黒衣の花嫁』や『喪服のランデヴー』と同様、強烈な意思を持った主人公が巡礼式に人を訪ねていく……という話です。いわゆる「短編が得意なウールリッチが得意とする短編をつなげた形の長編小説」なわけですね。
ただ形式的には同じなのですが、内容的には大きく異なります。これはいわゆる悪女ものや復讐譚の基本ラインからは大きく外れた、というかむしろ全く別物と言ってよい作品だからです。というのも主人公であるアルバータはひたすら夫の無実を証明しようと努力するただの善人なのです。

浮気した夫をそれでも愛し、彼に着せられた殺人の罪を晴らすべく、22歳で弱気な若妻アルバータは自らを鼓舞して犯人候補の人物と次々に会い、ニューヨークの裏社会に分け入っていくことなる……というストーリー。彼女は各章で犯人候補の男性と出会い、犯人かどうかを見極めるため彼らを罠にかけていきます。
それにしてもウールリッチはこのパターンの小説を思い付く天才だな……。一人称ってのが上手いんですよ。「踊り子探偵」もそうでしたが、ウールリッチは女性の一人称が抜群に上手いと思います。

で、確かにウールリッチはこのパターン、要するに短編をつないだような長編が得意な作家です。ただ、『黒い天使』ははっきりと長編であると言えると思うのです。
世間知らずで善意の塊でしかなかったアルバータが、男たちを訪ねていく上で、スラムにも行き、犯罪にも加担し、最終的にはファム・ファタルのような立ち回りもしてしまいます。「アルバータ」という“天使”の変化がこの上なくはっきりと現れており、それ故にラストが異色とも言うべき独特な仕上がりになっているのです。登場人物の順番を多少入れ替えても問題のなさそうな『黒衣の花嫁』などとは全然異なるわけですね。
そしてハッピーともバッドエンドとも言い難い、様々な感情が入り乱れるラスト。ウールリッチは終盤にどんでん返しを仕掛けるほど失敗するので、ラストに期待せず9割までを大いに楽しむのが吉というまことに全力では褒めにくい作家なわけですが(それがいいんだけど)、その中でこの『黒い天使』はめちゃくちゃレベルが高いと思います。短編つなぎ長編形式を見事に生かした結末と言えるのではないでしょうか。

個人的には強烈なサスペンス性と熱気を誇る『喪服のランデヴー』、ミステリ史上に燦然と輝く名ヒロインを生んだ『黒衣の花嫁』の方が上です。しかしながら『黒い天使』の唯一無二性はやはり高く評価するべきでしょう。この作品をベストに押す人も多いと聞きますが、よく分かります。ほんとにいいミステリを書くんですよこの作家は……。

原 題:The Black Angel(1943)
書 名:黒い天使
著 者:コーネル・ウールリッチ Cornell Woolrich
訳 者:黒原敏行
出版社:早川書房
     ハヤカワ・ミステリ文庫 10-6
出版年:2005.02.28 1刷

評価★★★★☆
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暗い夜の記憶
『暗い夜の記憶』ロバート・バーナード(ミステリ・ボックス)

1941年、ロンドンからイーズドン駅に着いた学童疎開列車に、名簿に記載されていない男の子が混じっていた。サイモン・ソーンと名のった5歳ほどの少年は、里親となったカザリッジ夫妻に育てられるが、ロンドンの家がどこにあるかもわからず、自分自身が本当はだれなのかも思い出せなくなった。彼と過去をつなぐものは、たびたび見る悪夢だけだった――ころしちゃううよ! やめて!(本書あらすじより)

気付いたら感想書いていない本が10冊になっていたので、若干焦っています。最近週1ペースでしか更新してないからな……。
というわけで、ロバート・バーナードです。読むのは3冊目。ポケミスと光文社文庫が中心ですが、これはミステリ・ボックスなのです。それはともかく、これは良い作品だ……。
ノンシリーズを3冊読んで、ロバート・バーナードの作風がようやく掴めてきた気がします。市井の人々を登場人物に置き、本格ミステリ的な枠組みの中に人間関係を軸にした小説としての感動を落とし込む(あるいはその逆)のが抜群に上手い作家なのかなぁと。ですから基本的には、非常に地味で、ガチガチではないけど本格ミステリっぽさのある小説……という仕上がりになるのだと思います。

『暗い夜の記憶』は、サイモン・ソーンという少年が学童疎開で田舎町に着いたところからスタートします。サイモンは集団疎開でやってきたものの、出自が不明で、一切戸籍などの情報が分かりません。とはいえサイモンは心優しい里親のもとで成長し、やがて自らの親を探し求めるべくロンドンに舞い戻るのです。

この本、何がすごいって、どう見ても本格ミステリではないことなんですよ。身元不明の状態で疎開した主人公の出生探しという過程は、確かに調査は調査だし、母親と子供はどうなったのかという謎はありますが、母親が機転を利かせてどうにかやったんだろう、くらいの謎にしか見えないのです。
ところがもう伏線につぐ伏線が仕込まれていたことが終盤明らかになり(名前のくだりとか超丁寧すぎてやばい)、主人公の出自がこれ以上なく明解に明かされ、さらに小説全体を通じて描かれてきた右翼活動(ユダヤ人排斥・移民排斥運動など)とぴったりリンクします。なんだこの職人技は。引っかけ方といい、話のテーマといい、いやもう実にお見事という他ありません。

おそらくバーナードの文体ってあんまり読みやすくないのかなと思うのですが、今回はそこに浅羽莢子訳という破城槌がぶち込まれるボーナスポイント付き。これは素直におすすめです。『作家の妻の死』『雪どけの死体』もそれぞれクセがあって感想を一言で伝えにくいのですが、読んだ人とぜひ感想を共有したくなる何かがあるんですよね。

原 題:Out of the Blackout(1984)
書 名:暗い夜の記憶
著 者:ロバート・バーナード Robert Barnard
訳 者:浅羽莢子
出版社:社会思想社
     現代教養文庫 3023
出版年:1991.03.30 初版

評価★★★★☆
パパはビリー・ズ・キックを捕まえられない
『パパはビリー・ズ・キックを捕まえられない』ジャン・ヴォートラン(<ロマン・ノワール>シリーズ)

パリ効外の団地で、結婚式をあげたばかりの花嫁が射殺される。純白のウエディングトレスの胸を真っ赤に染めた花嫁が握りしめていたのは一枚の紙切れ。そこにはこう書かれてあった。「ネエちゃん、おまえの命はもらったぜ」。シャポー刑事はその下に記された署名を見て愕然とする。ビリー・ズ・キック。それは彼が娘のために作った「おはなし」の主人公ではないか。続けてまた一人、女性が殺される。そして死体のそばにはビリー・ズ・キックの文字が……。スーパー刑事を夢見るシャポー、売春をするその妻、覗き魔の少女、精神分裂病の元教師。息のつまるような団地生活を呪う住人たちは、動機なき連続殺人に興奮するが、やがて事件は驚くべき展開を見せはじめ、衝撃的な結末へ向かって突き進んでゆく。(本書あらすじより)

ノワールの傑作という評判の、『パパはビリー・ズ・キックを捕まえられない』をついに読みました。これがなんと、読んでみたら本当に素晴らしいのです。
冒頭40ページの間にもうありとあらゆる変人と変事が登場しているし、文章もキレッキレでやば面白いのです。なぜだか分からないけどずっと面白いのです。全ページ面白いと言っても過言ではないのです。俺がフランス・ミステリに求めている要素が全部入っている気すらするのです。これぞロマン・ノワールだぜみたいな。

とにかく変な登場人物しか出てきません。数ページごとに語り手がかわり、次々と衝撃的なことをしでかしていきます。その中で、刑事が娘に語るお話の登場人物であった「ビリー・ズ・キック」が現実に現れ、次々と殺人を重ねていく……というのが本筋。既にぶっ飛び具合がハンパじゃありません。
7歳の女の子はおちんちんとあそこマニアで団地中の人たちのを隠れて見ているし、おじいさんは団地を恨みまくって爆薬をしかけまくるし、団地の管理人はエレベーターに暴露話を書きまくるし、背の低い右翼刑事は厚底靴を履くだけで性格が変わるし、その上司の警視はトカゲと戦っています。おちんちんとあそこが好きな7歳の女の子の件が、伏線になっているとは誰も思わないじゃんよ……。

ビリー・ズ・キックの正体(これがまたすごい)が分かるまでは本当に見事。疾走感とヤバさのハイブリッド。その後はフランス・ミステリらしい包囲網になって、ちょっとおとなしくなるのですが、ラストの落とし方がまた良いんだよなぁ。
ノワールらしい問題意識も非常にはっきりしていて分かりやすいし、登場人物の行動それぞれに作者の皮肉がしっかりと効かせてあります。全体的に雰囲気は明るめでどろどろしていない中で、日常に狂気がにじみ出ている様を描くのが見事。非情さとか、暴力とか、そういったものが苦手な方も楽しめる、けれども正統派のノワールの傑作だと思います。

1974年の作品なので、ポケミスから出ていた可能性も十分にあった……と思うと面白いですね。同作者の『グルーム』は暗さが印象的でしたが、あちらよりはるかに『ビリー・ズ・キック』は好みでした。おすすめです。『鏡の中のブラッディ・マリー』も欲しいなぁ……。

原 題:Billy-Ze-Kick(1974)
書 名:パパはビリー・ズ・キックを捕まえられない
著 者:ジャン・ヴォートラン Jean Vautrin
訳 者:高野優
出版社:草思社
     <ロマン・ノワール>シリーズ
出版年:1995.08.01 1刷

評価★★★★★
棺のない死体
『棺のない死体』クレイトン・ロースン(創元推理文庫)

強大な権力を有する実業家ウルフには、死を異常に恐れる一面があった。怪しい男の来訪をきっかけに彼の周囲では怪異現象が続発し、ついにはウルフ自身が不可能状況下で殺害される! 何度死んでも生き返る“死なない男”の存在が不気味な影を投げかける、奇術師探偵マーリニが手がけた最大の難事件。カーと並ぶ密室本格派の名手が、二重三重の仕掛けを駆使した謎解き推理長編!(本書あらすじより)

積みっぱなしにしていたら復刊してしまい、何とかようやく読めました。初長編ロースンです。短編は『37の短篇』で読みましたね。
ぶっちゃけロースンは微妙だぞと、あまり期待するなと聞いていたので、覚悟して読み始めましたが……なんだろう、この……劣化版カーっていうか……密室とラブコメと怪奇(笑)みたいな……。

実業家ウルフの屋敷を舞台に、不可能殺人事件が起こります。ただこれは中盤以降で、それまでに死体を隠したり、その死体が消えたり、はたまた生きているのが目撃されたりと、死体もののコメディっぽい不可能状況も生じています。

基本的に物理(迫真)トリックの極致みたいな密室トリックが連発されます。ひとつだけ悪くないトリックもあるのですが、全体的に謎解きを最後に持ってこないというか、ちょこちょこネタをバラしながら話が進行するので、何の意外性も驚きもないまま終盤がもったりと進んでいきます。
マーリニのキャラクターも「奇術師」であること以外何にもないし(うんちくがつらい)、読みにくいわけではないですが、不可能興味だけで読み進めるのも(そのシチュエーションがそれほど魅力的でもないせいで)しんどいのです。何度も死ぬ男、というメインアイデア自体は悪くないんですが、いちいち後出しかつ驚かせ方が不十分で、提示の仕方がなぁ、微妙なんだよなぁ。

ふと思ったのですが、カーって不可能状況からトリックを考えていたのでしょうか。ロースンはマジックのネタからミステリを書いてるような気がするのです(だからシチュエーション自体はいまいち盛り上がらないのかなと)。事件自体は『三つの棺』レベルでめちゃくちゃ複雑なんですが、ワチャワチャしている印象しかないんですよね。鮮やかさには大いに欠けます。

というわけで、まだまだロースンの長編は未読があるのですが、確かにこの作家はトリックをバーンと示せば終われる短編型かなと思います。そう考えるとカーってすげぇな……。

原 題:No Coffin for the Corpse(1942)
書 名:棺のない死体
著 者:クレイトン・ロースン Clayton Rawson
訳 者:田中西二郎
出版社:東京創元社
     創元推理文庫 Mロ-2-1
出版年:1961.05.19 初版
     1994.10.21 2版

評価★★★☆☆
復讐の子
『復讐の子』パトリック・レドモンド(新潮文庫)

“私生児”と蔑まれながらも才能に恵まれ、美しい少年に成長したロニー。豊かな幼少期を過ごしたものの、母親の再婚とともに不穏な世界へと突き落とされたスーザン。多感な年頃に出会ったふたりは、待ちに待っていたかのように惹かれあう。だが、ロニーがスーザンに打ち明けた秘密は恐るべきものだった……。愛情を憎悪に変え、悲劇の連鎖を引き起こす戦慄の少年少女を冷徹に描く力作。(本書あらすじより)

パトリック・レドモンド。そう、あの大傑作『霊応ゲーム』の作者です。その作者によるもうひとつの邦訳作品が、この『復讐の子』なのです。これだけダサいタイトルであっても、傑作オブ傑作『霊応ゲーム』の作者であることを考えると、面白くないわけがないのです。期待せざるを得ないのです。

読みました。

くそーー! おもしれーなーーー!! パトリック・レドモンドめっちゃおもしれーなーーー!! なんで2作しか訳されていないのかなーーー!!! もっと読まれてほしいんだけどなーーーーーーーー!!!!
というわけで、今回もおすすめです。

あらすじは超普通。私生児であり、過酷な親戚のもとで少年時代を過ごした美しく賢いロニー。彼はやがて、表面的には優等生を演じつつ、影で自らと母親に害をなすものに対して容赦ない罰を与えるようになってしまいます。
これだけならどこかで見たことある話なのですが、作者が上手いのはこの先。ロニーの話と並行して、別の町に暮らす美少女スーザンの物語が描かれるのです。スーザンはこれまた複雑な過程に育ち、過酷な少女時代を過ごすはめになります。ひたすらエグいです。ロニーの比ではないどん底の生活なのです。
この2人が後半に出会い、ついに、物語は大きく動き出すのです。

『霊応ゲーム』ほどの衝撃やカタストロフィはありませんが、それでも非常に読ませる作品。少年少女のつらい幼年時代(ベタ)からの復讐(ベタ)というテンプレートで殴る面白さがたまりません。終盤に明かされる過去のインパクトも良いですね。670ページもあるのにとんでもなく読みやすいので、厚さが苦になりません。
心に闇を抱えた復讐の子、ロニー・サンシャインの狂気譚……というだけなら、ありきたりかなとは思うのです(それでも十分面白いと思うけど)。ところが同じく復讐の子であるスーザン・ラムジーの話も並行させているあたりが上手いんだなぁ。成長したふたりがついに出会い、大人たちへの反逆を企てるんですよ、めっちゃお話として強くないですか。
救いのあるラストが光りますが、これはスーザンの強さあってこそのものですね。

というわけで期待にたがわぬ面白さでした。レドモンド、あと3作未訳の作品があるようなのですが、頼むからどうにかして紹介されてくれませんか……。
というわけでまずは『霊応ゲーム』がもっと売れなければ困ります。とりあえず未読の人は『霊応ゲーム』を読むのです、話はそれからです。分厚いと思うかもしれないけど気にしてはいけません(めっちゃ読みやすいし)。寄宿舎BL興味ないとか言っていないで読むのです。登場人物も多いけど気にしてはいけません(どうせみんな死ぬ)。そしてハマった方は、『復讐の子』もぜひ。

原 題:Apple of My Eye(2003)
書 名:復讐の子
著 者:パトリック・レドモンド Patrick Redmond
訳 者:高山祥子
出版社:新潮社
     新潮文庫 レ-9-1
出版年:2005.03.01 1刷

評価★★★★☆