屠所の羊
『屠所の羊』A・A・フェア(ハヤカワ・ミステリ文庫)

失業中のドナルド・ラムは、求人広告をたよりにバーサ・クール探偵事務所に飛び込んだ。大女バーサの毒舌をかわすうち、見事採用が決定したが、本人にとって、果たして幸せだったのか不幸せだったのか? かくして彼はアメリカのミステリ史に初登場することになった。が、この新米私立探偵、ありようはまさに屠所にひかれていく羊にほかならなかった。吝嗇な大女バーサと、小柄だが頭脳明晰なドナルドの〈なれそめの記〉。(本書あらすじより)

数年前の千葉読書会の二次会にて、猟奇の鉄人様がこうおっしゃるのです。「ガードナーはすごい。そしてA・A・フェア名義もすごい。特に『屠所の羊』はあの手のトリックの最初ではないかと思う」
で、読んでみたら、ペリイ・メイスンと似ているのかと思いきや全然違くてびっくりしました。話のタイプが違うのではなくて、語り口、読み口が全然違うのです(もちろん翻訳も)。かなり正統派ハードボイルドっぽさがあるのですが、でも正統派ハードボイルドではない、ってのがまたいいのです。

なんやかんやでバーサ・クール探偵事務所の所員となったドナルド・ラム。ラムが最初に扱うことになったのは、離婚訴訟の召喚状を離婚するまいと逃走中の夫に届ける、というものだった。しかしながら別の組織の介入や夫の謎の企みにより、バーサ・クール探偵事務所はもめ事に巻き込まれてしまう。

ラム君の一人称による行動派駆け引き私立探偵小説で、ラム君の心情についてはあまりくどくどと描かれず、ひたすら会話と行動で話が進行していきます。ラムのキャラクターが絶妙で、地味なタフさと(ずるがつきそうな)賢さが両立しているのが特徴です。落ちぶれた元弁護士、ってあたりからして、ダークサイドに落ちたペリイ・メイスンみたいな雰囲気とでもいいましょうか。
ドナルド・ラムとバーサ・クールの関係もまた絶妙。要するにぱっと見バーサの方が上の立場っぽいのですが、ラム君が一切引かないしバーサとも積極的に交渉するし、事件においてもラム君はバーサに何も言わず勝手に行動して勝手に解決しています。面白いなぁ。

ところでこのコンビを見ると、必然的に思い出してしまうのがこれより発表年が前のネロ・ウルフ&アーチー・グッドウィン。例えばバーサ・クールとネロ・ウルフの共通点を考えてみても、
・太っている
・金にうるさい
・部下使いが荒い
・食事を愛する
・食事の時間に厳しい
・駆け引きがうまい
・取り引きをさせたら無敵
などなど。
ところが、ラムとアーチーは似ているようで完全に別物。ラム自身が主人公並に動くし騙しますからね。ここらへん、通り一遍のバディ物の私立探偵小説を書くまいとするガードナーの意地が感じられて面白いです。

終盤の法律の抜け道云々はペリイ・メイスン的ですが、さすがに抜け道すぎて読者にピンと来るはずもないものなので、実を言うと特に何も思いませんでした。むしろ中盤で使われたトリックのさりげない上手さ(伏線多し)とか、殺人の真相(犯人はどうでもいいんだけどそれを導くロジックが良い。伏線多し)なんかにガードナー/フェアのプロっぷりを感じます。鉄人様の言っていたトリックというのも、おそらくこの中盤のやつですね。

こうした事件の真相を明かす過程を、法律の抜け道云々を利用したラム君の奮闘劇に落とし込んでスマートに小説としてさらっと仕上げているのが、本当に上手いなぁと。2作目以降またどのような事件を取り扱うのか興味もありますし、職人作家であるガードナーの技を楽しめる第2のシリーズとして、今後も読んでみたいなと思います。

原 題:The Bigger They Come(1939)
書 名:屠所の羊
著 者:A・A・フェア A.A. Fair
訳 者:田村隆一
出版社:早川書房
     ハヤカワ・ミステリ文庫 4-1
出版年:1976.07.31 1刷
     1987.06.30 2刷

評価★★★★☆
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智勝寺殺人事件
『智勝寺殺人事件 大谷本部長捜査シリーズ①』ジェイムズ・メルヴィル(C★NOVELS)

智勝寺で禅の修行をしている外国人の一人ディロンから、誰かが自分のスーツケースに麻薬を入れたという通報が兵庫県警に入った。自ら調査しようと大谷本部長が乗り出すが、麻薬は偽物だった。ところが、当のディロンは殺害されてしまう。関係者を尋問中に、見張りをまいて住職の岡本が逃亡する。岡本は神戸の暴力団と接触し、またその事実を警察に密告する者まで現れる。一方、赤軍派が寺の外国人の同志を奪還しようと、寺を襲撃し炎上させてしまう。事件はますます複雑になり、CIAがからんでいたり、外務省がかかわってきたりする……(本書あらすじより)

『青鉛筆の女』以降、外国人が書いた日本人(日系人)、というテーマで本を読んでいるのですが、次はこちら、もう表紙も名前もやばそうな雰囲気が漂うこちらです。あらすじの「かかわってきたりする……」の部分が好きです。ちなみにこのシリーズ、地味に邦訳は3作出ています。
ちょっと面白い(ネタ的にも)、くらいの気持ちで最初は読んでいたのですが、勘違いでした。これはひどい……ひどすぎた……今年ワーストなのでは……。

外国人が禅修行のために宿泊している智勝寺で、麻薬絡みの事件と殺人が発生した。大谷本部長自ら捜査に赴くが、ヤクザ、赤軍、外務省など様々な団体の介入により事件は複雑化し……。
読み心地は完全に昭和ノベルス。日本描写が親切丁寧超濃厚(正確)だったり、いきなりのベッドシーンがあったりで、ペーパーバックの大衆小説感もすごいです。

欧米人が楽しめるよう、やたらとふんだんに日本描写が挿入される(大谷本部長がお昼ごはんのお弁当で味付けのりを袋から出すとかまで書いてある)のが中盤以降まだるっこしい、とかは、あくまで欧米人読者を意識してのことなので仕方がないと思います。それはわかります。ひどいのはそういうところではありません。
作者のジェイムズ・メルヴィルは日本に長く住んでいたこともあるようで、その点の怪しさというか、変な日本描写などはありません。読んでいて日本人が書いたかと勘違いするレベル。翻訳ミステリについて大谷本部長が考えたりするシーンとか、いかにも海外ミステリ好きが書いた日本人の書いた小説みたい。おかしな日本描写も違和感もないので、そういう点ではむしろ全然ネタにならないとすら言えます。

あと濡れ場が多いのですが、本筋とほぼ関係のなかったレズビアンカップルだとか、大谷本部長ですら奥さんと作中で2回もいたしていることだとか、そのへんも大衆小説ということで許します。なぜか随所にアメリカ人女性(白人、32歳)とアメリカ人女性(黒人、27歳)の百合シーンが挿入されて、いったい作者が何をしたいのかただただ困惑しますが、まぁそれも良しとします。とはいえ、とりあえずエロいシーンを入れれば読者は喜ぶだろうという作者の浅はかな考えが感じられます。作者はカーター・ブラウンを見習ってください。

そういうこの本のネタっぽいところとか全部抜きにして、なぜダメかというと、単純に話がダメすぎなのです。禅寺をめぐる陰謀を大風呂敷を広げすぎたあげく散らかしたまま終わってしまうという完全な放置プレイ。複雑なようでただ散らかっているだけなので、陰謀が何だったのかすらピンときません。どんでん返し下手か。
禅寺とかヤクザとか日本要素っぽいのでごまかしているけど、これは単純に小説として酷いでしょ……雑かよ……犯人これでいいのかよ……あいつの意外な正体とかめちゃどうでもいいよ……お前の意外な正体と目的も無理矢理すぎるよ……。

というわけで、各位におかれましては、ぜひとも読んでいただき感想を共有したく存じます。自分はもうこのシリーズに何の期待も抱いていないのですが、ひとまず頑張ってシリーズ2作目を古本屋で探します。光文社文庫から出ているロンドン警視庁特派捜査官シリーズも地雷臭がすごいのでいずれチャレンジ……するか……。

原 題:The Wages of Zen(1979)
書 名:智勝寺殺人事件 大谷本部長捜査シリーズ①
著 者:ジェイムズ・メルヴィル James Melville
訳 者:田中昌太郎
出版社:中央公論社
     C★NOVELS f-6
訳 者:1983.08.25 初版

評価★★☆☆☆
天皇の密偵
『天皇の密偵 ミスター・モトの冒険』ジョン・P・マーカンド(角川文庫)

カルビン・ゲーツがその日本人と初めて会ったのは、釜山へ向かう連絡船の上だった。常に微笑を浮かべ、やたらに”アイム・ソーリー”を連発する、慇懃無礼な男だった。男の名前はⅠ・A・モト。柔和な外見の下にカミソリのような頭脳を隠し、小柄な体に恐るべき柔術の業を秘めた、日本No.1の秘密情報部員である。
時代は、日本が中国侵略に乗りだした昭和10年代。ゲーツがひそかに目指すのは、今まさにキナ臭さを増し始めた中国奥地であった。そして同じ車中には、これまた秘密の匂いのするアメリカ娘と、同行のロシア人、その3人から監視の眼を離さないミスター・モト。旅の進展とともに明らかになる、大がかりな国際謀略とは?(本書あらすじより)

『青鉛筆の女』に第二次世界大戦中の日系人が出てきたので、この本を読むタイミングは今しかない!と思い読んでみました。結構面白いんです、これが。

時は1937年。とある目的からモンゴルへ旅に出たアメリカ人男性ゲーツは、道中で謎の日本人男性ミスター・モトに出会う。気付けばゲーツはシガレット・ケースをめぐる日本、ロシア、中国、モンゴルの駆け引きに巻き込まれてしまうのだが……というお話。

とにかくべらぼうに書き込み・時代背景描写が上手いです。日本の天皇と軍部の対立、ロシアの動向、1937年の日本の支配下にある中国・朝鮮の様子などがしっかりと描かれていて、普通に勉強になります。欧米人の描く「日本人物」としての違和感もほぼ感じませんでした。1938年にこれを書けるって相当すごいと思います。
ミスター・モトが読む前に予想していたほどデフォルメ日本人っぽくないのが興味深いですね。笑みを絶やすことなく、ただし圧力は十分かけるめちゃくちゃ立ち回りの上手い政府高官、という感じ。あらすじにあるような武術面は特に披露されませんでしたね。全て主人公の白人ゲーツ視点で描かれるのはチャーリー・チャンと同様です。そういえば本書に登場する白人は、日本人や中国人などをきちんと見分けているんですが、これも結構珍しい気がします。
ゲーツがモンゴルを目指す動機や、各国の策略の入り乱れる終盤など、古き良きスパイ物としてのストーリー性も十分。ミスター・モトの、一見日本に不利なことを目論んでいるかと思われる行動に対するホワイはやや腰砕けでしたが、これだけ複雑な諜報戦を描けているんだから仕方ないかなと。

期待をはるかに上回る内容で、なるほどこれはチャーリー・チャンとセットで語られるなぁと。似ているんですよね、雰囲気とか、ちょっとした男女の駆け引きなんかを添えている点とかが。『サンキュー、ミスター・モト』も評判良いので読んでみます。
それと『青鉛筆の女』で言及されていた1942年発表のシリーズ第5作も気になるところですが……論創海外ミステリさん、頑張ってくれないかな……。第二次世界大戦中に発表されたミスター・モトシリーズだそうで、どうモトを扱っているかが気になります。

原 題:Mr.Moto Is So Sorry(1938)
書 名:天皇の密偵 ミスター・モトの冒険
著 者:ジョン・P・マーカンド John P. Marquand
訳 者:新庄哲夫
出版社:角川書店
     角川文庫 赤545-1
出版年:1981.02.28 初版

評価★★★★☆
(2015.11.29 更新しました)
(2016.04.09 更新しました)
(2017.01.14 更新しました)
(2017.07.09 更新しました)
今月のアクセス解析を見たら、フランス・ミステリ関連で検索していらっしゃる方がわりと多いなということに気付きました。最近は月1冊は読むようにしていますけど、まだまだ代表的なところで読んでいないのがいっぱいありますからね、何にも偉そうなこと言えないんですが。
でもここらでちょっと感想記事だけまとめちゃってもいいんじゃないかなと思ったわけです。自分も便利だし。というわけで、作家と作品名のインデックス(リンク付き)を作ってみました(うわぁホームページっぽい)。今後も読んだら追加していく予定です。なお、フランス語圏すべて含んでいます。ベルギーとか。若干ミステリっぽくないのも含まれています。
しかしいざリストにしてみたら、ほんと読んでないもんですね……が、頑張ろう。あと過去の感想見たら、いまだって文章へたっぴですけど、さらにひどいレビューばっかりで頭痛くなりました。過去は適度に振り返りましょう。ちなみに評価の星も書いてありますが、あくまで読んだ当時の感想ですので、そこらへんいい加減に見て下さい。どうせ星4つばっかりだからたいして参考にもならないし。だいぶ好みも変ったからなぁ。
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青鉛筆の女
『青鉛筆の女』ゴードン・マカルパイン(創元推理文庫)

2014年カリフォルニアで解体予定の家から発見された貴重品箱。そのなかには三つのものが入っていた。1945年に刊行されたパルプ・スリラー。編集者からの手紙。そして、軍支給の便箋に書かれた『改訂版』と題された原稿……。開戦で反日感情が高まるなか、作家デビューを望んだ日系青年と、編集者のあいだに何が起きたのか? 驚愕の結末が待ち受ける、凝りに凝った長編ミステリ!(本書あらすじより)

千葉読書会のために読んだ本です。いやこれ、発売前から気になっていたんですよ(ゲラ版モニターも申し込んで落ちたし)。おまけに帯に踊る文字が「書籍・手紙・原稿で構成される三重構造の驚異のミステリ」「MWA候補の超絶技巧ミステリ」ですよ。もう期待せざるを得ないのです。
……と思っていざ読み始めたら、知り合いの国内ミステリ読み系女子Oさんがこう言うのです。

「作中作で面白かったミステリ、一度も読んだことないんだけど」

ななな、何てことを言うんですか。仮にもO女史は国内ミステリ読み系女子でしょうが。そんなこと言うと、えーと自分は海外ミステリ読み系男子だからよく分からないけど、アレとかアレとか、あちこちに喧嘩を売るんじゃないですか。いい加減にしてください。

読みました。

O女史「どうだった?」
吉井「O女史の説は覆らなかったよ……」


やってることは面白いんだけど、全然驚かそうという気がない構成だったのが悲しいです。

あらすじはあまり知らずに読む方が良いかも。第二次世界大戦中に発売されたパルプ・スリラー、その編集者(=青鉛筆の女)から作者への手紙、そして謎の原稿、の3つが交互に登場します。

趣向が徐々に明らかになる序盤は非常に楽しいのです。「こっこれ、どういうこと?? 説明して!!」と思いながら読むのですが、当然それを作者が説明してくれるわけがありません。読みながら段々と読者がそれに気付いていき、仕掛けが分かった時に「そういうことか! すげぇ!」と面白さのピークを迎えます。
問題はそれが分かったあとなんですよ。特に謎の原稿の主人公スミダが介入し始めてからがすげぇ普通というか、ありきたりの域を出なすぎなんです(意図的に007みたいな王道を書こうとしているだけになおさら)。手紙部分の青鉛筆の女も不快。パルプ・スリラー風の物語を意図的に書いているんですが、そもそもパルプ・スリラーだって面白いものはもっと面白いぞ……結末も納得いかないし……。

結局作者はこの趣向を試したかっただけで、小説的な面白さをあまり追及していないんですよね。戦中アメリカの日系を扱っている点なども、結局趣向的に使いやすいからだけですし。差別など突っ込んで書けばいくらでも深くなりそうなのに、そうもならず、表面的であるのは否めません。総合的にはイマイチですし、とりあえずネタが気になる人だけ読めば十分かなと思います。

原 題:Woman With a Blue Pencil(2015)
書 名:青鉛筆の女
著 者:ゴードン・マカルパイン Gordon McAlpine
訳 者:古賀弥生
出版社:東京創元社
     創元推理文庫 Mマ-27-1
出版年:2017.02.28 初版

評価★★★☆☆